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「平和の礎」小金井空襲・小金井駅戦災(栃木県下野市)

栃木県下野市。かつての栃木県下都賀郡国分寺村。
小金井駅と付近を走る列車に対して機銃掃射による空襲があった。


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小金井空襲

昭和20年7月28日
艦載機P51戦闘機14機が宇都宮市内空爆と機銃掃射を実施。国鉄宇都宮駅前にあった日清製粉宇都宮工場を襲撃し、勤労動員の下野中学校生(現在の作新学院高等学校)5名が犠牲となった。また乱射された宇都宮駅や周辺の列車も犠牲となり、当日は全体で30名以上の死者が出たという。
宇都宮を襲撃した14機のうち3機は、宇都宮駅を発車した列車を追跡。

11時55分ごろ。
宇都宮駅を出発して南下し、東北本線「小金井駅」に向けて走行していた福島発の東北本線上り上野行き「第118号旅客列車」は、戦死者の遺骨を抱いて乗車していた遺族などもおり、そして小金井駅では、乗客を迎えるために集まった群衆もいた。

そんな「第118号旅客列車」を米軍のグラマン艦載機P51戦闘機3機は機銃掃射。さらに小金井駅に集まる群衆にも機銃掃射を行い、結果として、列車出迎えの市民らをはじめ、駅員や列車の乗客らも死傷し、31人が亡くなり、70人以上が負傷したとされている。

この昭和20年7月28日の空襲では、宇都宮駅、小金井駅、小山駅周辺で、米軍艦載機が機銃掃射を実施。
栃木県下では7月12日の宇都宮大空襲に次ぐ、70余名の犠牲者を出した空襲であった。


平和の礎

小金井駅西口広場に慰霊碑が立つ。

昭和20年7月28日
小金井駅戦災
平和の礎
平成10年秋 国分寺町之建

第二次世界大戦の昭和20年(1945年)7月28日正午ごろ、福島発上野行き列車が小金井駅手前で米軍戦とう機3機の銃撃をうけ多数の死傷者が出た。
 駅には戦死者の遺骨を迎える人が集まっていて、停車中の列車とともに再び銃撃をうけた。
 ぎせい者は、死者31名、負傷者7~80名である。
 こんな農村にまで及んだ戦争の惨禍を決して忘れることはできない。
 ここに、ぎせいになられた方の、ごめい福をお祈りし、碑を建て後世に語りつぐものである。
  平成10年秋天
   国分寺町長 若林英二謹書

国分寺駅前にはほかにもいろいろあった。

C57の動輪。C5738機。

下野の国分寺

国分寺があれば古代の下野国の中心地。

歴史好きとしては、興味深い街でもあり。

かんぴょう生産量が日本一だそうで、カンピくん。

レンタサイクルもある。私は今回は駅前のみの散策でしたが。

東の飛鳥とは、大きく出た感じですね。

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ご当地アニメもあった

下野市を舞台にした初のシティプロモーション用のご当地アニメ「サクラノチカイ~まろに☆え~る 東の飛鳥 下野市をえーる!~」を制作しました。

小金井駅の北側。この空に、銃撃があった。。。

※2023年1月撮影


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