相即寺・延命閣地蔵堂(東京都八王子市泉町)
西八王子駅よりバスに揺られて約15分ほどで「花川バス停」に到着。すぐ隣の寺院が目的地の「相即寺」
相即寺には、戦争ゆかりのお地蔵様、通称「ランドセル地蔵」というお地蔵様が鎮座しているというので足を運んでみた。
目次
ランドセル地蔵
昭和20年6月、米軍による空襲が激化した都市部では、子どもたちの強制疎開がはじまっていた。
なかでも、八王子は、東京都心部からの手近な疎開先として約1200名の子どもたちが疎開をしてきたという。
品川区立原国民学校(旧品川区立原小学校・現在品川区立小中一貫校伊藤学園)4年生であった神尾明治くんも、八王子に疎開していた。
八王子に疎開中の子供たちに対し、昭和20年7月8日に飛来した米軍戦闘機P51は機銃掃射を実施。
神尾明治くんの体を、機銃弾は貫き、そして「痛いよー」と悲痛な叫びを残して、神尾明治くんは絶命した。
悲報を聞いた母親は、形見となってしまった遺品のランドセルを、我が子の面影に一番良く似た堂内のお地蔵様に背負わせたという。
そのお地蔵様が「ランドセル地蔵」として、そうしていまも往時のランドセルを背負われ、悲劇を伝承し続けている。
ランドセル地蔵の鎮座する「相即寺延命閣地蔵堂」は、毎年、6月23日・7月8日・8月8日の3日間のみ御開帳。
合掌
八王子城戦死者供養150体地蔵・ランドセル地蔵尊
相即寺延命閣地蔵堂
相即寺延命閣地蔵堂
御本尊-延命地蔵尊
建立年月日-明和8年12月8日
堂内百五十体地蔵尊
天正18年6月23日、八王子城落城の時、283人の相即寺縁の戦死者供養の為、造立されたもの。
ランドセル地蔵尊
昭和20年7月8日、東京品川の原国民学校四年生神尾明治君が、疎開先の元八王子隣保館保育園で米軍飛行機P51の銃弾を受けて死亡し明治君のお母様が、明治君が使用していたランドセルを、明治君に一番似ている堂内一地蔵にかけて東京に帰り、お母様も昭和21年2月28日死亡した。
児童文学作家古世古先生が「家出ねこのナゾ」を書かれて後、初めて真相が判明した。
ご開帳の月日
毎年6月23日。7月8日。8月8日。
午前8時より午後6時まで。
神尾明治くんのランドセル
相即寺延命閣地蔵堂
「ランドセルをしょったじぞうさん」
新日本出版社
古世古和子/作北島新平/絵
ケンジは、肩ひものちぎれたランドセルの修理をお母さんにたのんだまま、とつぜん疎開先のお寺をおそった空襲で死んでしまった。お母さんはわが子に似たじぞうさんにランドセルを背負わせます。じぞうさんは、現在もじっとたっています。
https://www.shinnihon-net.co.jp/child/detail/code/978-4-406-00691-0
相即寺延命閣地蔵堂・延命地蔵尊
八王子城での戦死者供養の地蔵尊
相即寺山門
山門の扉には機銃掃射の銃弾痕が残っている。
相即寺
浄土宗寺院。八王子城の鬼門除けの寺。
同じ日。昭和20年7月8日に、高尾駅も機銃掃射を受けていた。。。
位置関係
国土地理院航空写真:94C7-C14-211
1944年12月21日-帝国陸軍撮影
上記を一部加工。