サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

高尾山の戦争慰霊碑

平成31年1月

2019年の1月は高尾山に。硫黄島の慰霊碑に。

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高尾山有喜苑

高尾山薬王院へ赴く途中、 男坂と女坂に挟まれた高台に仏舎利塔がある。
その敷地内に幾つかの慰霊碑もある。

高尾山有喜苑
 護國英霊碑
 南無護国英霊

硫黄島戦没者慰霊碑

 硫黄島は此処から南六百里の洋上に浮かぶ孤島であるが 大東亜戦争の末期 太平洋に於ける日米攻防戦の天王山であった
 されば昭和二十年二月十九日から展開された戦闘は凄惨熾烈を極め 日本軍は約二万名が玉砕したのに対し 米軍も亦戦死約七千名 負傷二万千名を算した
 米軍の上陸した同島南海岸正面の防衛戦闘に 独立歩兵第309大隊の機関銃中隊長として奮戦した阿部武雄氏は死闘の末遂に捕らえられて 米軍野戦病院に収容され奇しくも生還した
 阿部氏は当協会常任理事 組織部長として 協会の事業目的達成の為献身奔走する一方 戦没者の供養と平和を祈念する為 この慰霊碑及び平和観音を建立の上 碑下に戦没者舎利を納める事を発願し今茲に結願す 功徳実に大である
 仏舎利塔に隣接した聖域を 薬王院当局の好意に依り卜する事が出来たが 硫黄島への渡島が困難である事情に鑑み 此処に詣でて 遥かに南溟の空を仰げば 必ずや平和観音の妙智が作用して現地供養を彷彿たらしめる効を顕わすものと信ずる次第である
 讃に曰く
  丘上新碑影 尊像馥郁香 
  佇立望南溟 滂沱憶硫黄
 昭和四十六年四月十八日
 硫黄島協会 会長  和智恒蔵 謹撰
       副会長 森本一善 謹書

硫黄島の形をした慰霊碑

永代供養
厚生大臣 小泉純一郎書

鎮魂
平和への
 もといとなりし
  み霊よび
 高尾の森に 
  小鳥とあそべと
 丁丑皐月二十四日(平成9年5月 24日)
 硫黄島協会

支那駐屯歩兵第二聯隊
慰霊顕彰碑

高尾山大僧正秀順書 
昭和55年建立

支那駐屯歩兵第二聯隊は昭和11年に天津駐屯歩兵隊を改編して設けられ、天津の海光寺に在ったことから、海光寺部隊と呼ばれた。

七生報国
盧溝橋事件勃発 
昭和12.7.14日 聯隊は通州に向う

望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑
異国の丘

大本山高尾薬王院貫首隆玄謹書
平成22年10月28日建立

嗚呼シベリア鎮魂歌(レクイエム)
一、嗚呼シベリアの七ツ星
  眺める夜空に出る涙
  鶴嘴持つ手に血もゆかず
  息吹きも凍る密林の
  拓く茨の身は哀し

二、酷寒零下四十度
  飢えと寒さにまたノルマ
  今日も凍える友を抱く
  たおれし六万同胞の
  慰霊は眠る北の国

三、バーム鉄道鳴る汽笛
  あゝ誰がためぞそのレール
  平和を叫けぶ友の声
  耐えし抑留その史実
  語り伝えよ北の星

満蒙大陸林業人供養塔

昭和49年6月
外林会 満蒙部会 建立

碑文
 近代日本の国策に則り 曽てアジア大陸の一角で満蒙林野の正業経営に挺身すべく 官民一体の民族の大移動が行われた しかし残念ながら敗戦により雄図空しく祖国に帰還せざるを得なくなった
 その間国境を越えた物故の五族協和同人は多数に上っている
 この「満蒙大陸林業人供養塔」は これら物故者の英霊に供養を捧げ その冥福を祈るために 満蒙に住んだ官民林業関係者が悉く参画し 全魂こめた体制で建立したものである
 これが建立にあたっては 特に 高尾山薬王院をはじめ 林野庁 東京営林局 東京営林署 東京都 日本林業技術協会 全国林業改良普及協会 その他の 絶大なるご援助を賜った なお工事関係については 吉田茂八 後藤東吉両氏の労を多とするものである 以上銘記し 深甚の謝意を表する
 昭和四十九年六月

観音像
みたまよ やすらかに ねむれ

みたまよ やすらかに ねむれ
 平成15年4月9日開眼
 陸軍士官学校第六十一期生会
 陸軍軍官学校第七期生会
 陸軍経理学校第十一期生会


日泰親善高尾山仏舎利塔

1956年建立。

東日本大 震災物故者追善菩提也


高尾山薬王院

高尾山薬王院飯縄権現堂

たこ杉(蛸杉)

高尾山

高尾山ケーブルカー 高尾登山電鉄

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