「瑞穂埠頭(瑞穂ふ頭)」
大東亜戦争後の昭和21年に米軍に接収され、横浜ノースドックとして、在日アメリカ軍の湾岸施設として使用されている場所。
そこには、瑞穂橋(道路橋)と併設している瑞穂橋梁(鉄道橋)が架かっている。
そんな瑞穂埠頭は、橋の向こうは、米軍施設などもあり、立ち入りが制限されているというが、足を運んでみました。
目次
瑞穂埠頭(瑞穂ふ頭)・横浜ノースドック
もともとは、外国貿易埠頭として1925年(大正14年)に着工し、昭和20年(1945年)に完成したが、終戦後に連合国軍に接収。1947年(昭和22年)より在日米軍が使用している。
現在、在日米陸軍施設管理本部(ふ頭地区)、在日米海軍横須賀基地司令部(郵便地区)が展開されている。
ふ頭地区は、中型・小型船舶用バース、野積場、倉庫等があり、物資の搬出入や軍人・軍属等の移動に伴う貨物輸送業務(相模総合補給廠や横田飛行場の兵站拠点に運ばれる米陸軍物資の陸揚げ拠点)が行われている。
郵便地区は、艦隊軍事郵便センターが置かれ、極東からペルシャ湾に至る米海軍関係の軍事郵便業務が行われている。
部分返還が進んでおり、2009年に瑞穂橋及び港湾道路(土地:約27,000平方メートル、水域:約2,500平方メートル)が返還。2021年に使用されていない鉄道レール(工作物)や周辺の土地(約1,400平方メートル)が変換されている。
2024年には、在日米陸軍第10支援群(司令部・沖縄県読谷村)下として「第5輸送中隊」が新設運用され、全面返還とは、異なる動きも発生している。
横浜市サイト
瑞穂橋梁(かながわの橋100選)
2021年に返還された鉄道橋「瑞穂橋梁」。
瑞穂埠頭内に敷かれていた線路は終戦前から利用されており、1946年の接収後も物資を搬出入するための引き込み線として使われていたが、近年は使われていなかった。
「瑞穂橋梁」は2021年に返還された線路などの一部に含まれており、内陸側とノース・ドック側をつないでいる橋梁。
1934年(昭和9年)に建造され、従来のリベット工法から新たな技法として取り入れられた、日本最初の溶接鉄道橋である。
※昭和10年の田端大橋が、田端駅北側ヤードの上を横断して架けられた跨線道路橋で、現場継手も溶接した日本最初の全溶接橋であった。当時は世界最大級の溶接橋であり、現在は歩行者専用橋「田端ふれあい橋」として補強して現存している。
瑞穂橋の返還後を管理する「南関東防衛局」では、基地返還後は現状復帰として「工作物は撤去する」とされており、線路設備や橋梁は解体撤去される方針とのことで。。。
いつまで、見れるかは、なんとも。。。
昭和9年に建造された鉄這橋で、わが国最初の溶接鉄道橋として知られている。構造は鋼曲弦ワーレントラスとブレートガーダーとから成る。アーク溶接は鈑桁部、床組、対傾構の接合に用いられたが、トラスにはリベットが用いられている。橋長77.2mのうち、中央トラス部分は36m。溶接延長は6,458mあって、溶接橋の試験橋梁の意味を持っていた。この橋は瑞穂ふ頭への連絡橋で、現在は防衛施設庁が管理者となっている。(神奈川県庁サイトより)
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:897-C9-137
1944年10月14日、日本陸軍撮影の航空写真を加工。
まだ埋め立ては一部なことがわかる。
航空写真レベルだと、横浜ノース・ドック内の海側の米軍の建屋3棟が、往時からのもので適合するが、米軍基地なので確認の術がない。。。
今昔マップ on the web
2022年に撮影していた横浜ノース・ドック(大さん橋から撮影)
艦艇の後ろの建屋、これ戦前からと思われ、です。航空写真で適合したので。
瑞穂橋
瑞穂埠頭に渡るための橋。
以前は瑞穂橋も米軍接収で立入禁止であったが、日本に返還されており、いまは瑞穂橋はわたっても問題ないらしい。
橋を渡った先、瑞穂埠頭の横浜ノースドック側は、立ち入り制限あり。
ゲートを写すと怒られるらしいので、カメラは向けず。。。
なので、陸地側から望遠する。
大さん橋がみえる。(逆に大さん橋から横浜ノースドックも見えるが)
「Bar StarDust」「BAR POLESTAR」
老舗のバー「スターダスト」
「バー・ポーラスター」は、貸切営業のみで「スターダスト」に応相談、だそうで。
三井倉庫(三井倉庫横浜支店千若事務所)
かつてはクレーンが張り出していた三井倉庫だが(2023年写真ではクレーンを確認)、2024年現在、クレーンは撤去されている。
1953(昭和28)年に建てられた、ココアとコーヒー豆専用の倉庫という。
モザイクタイルで描かれた「三井マーク」
かつては線路も敷地内に引き込まれていたという。
横浜港湾部の貨物線「高島線」
場所
※撮影:2024年5月