軍艦建造技術を活用した日本初の大規模全溶接構造橋梁「田端ふれあい橋・旧田端大橋」(昭和10年建造)

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横浜の「瑞穂橋」を調べていたら、溶接橋として日本初は、昭和9年の瑞穂橋であったが、本格的な大規模全溶接橋は、昭和10年の「田端大橋」であったと知り、そうと知ったら、居ても立ってもいられずで、急に現地に赴いてみた次第。


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田端ふれあい橋・旧田端大橋

昭和10年(1935年)12月完成。全長135m。
全溶接構造橋としては、日本初にして東洋初であり、完成当時としては世界的な規模の橋梁であった。
設計者は、鉄道技師の稲葉権兵衛(代表作は筑後川昇開橋・田中豊博士の門下生)で、当時の橋梁界を率いていた田中豊博士指導のもとで行われた。
建設は「川崎造船所」(川崎重工の前身)。
軍艦製造技術で培われた溶接が本格的に橋梁建設に導入された歴史的に意義のある建造物。
ちなみに川崎造船所は、勝鬨橋や清洲橋、白鬚橋、永代橋など多くの震災復興橋の建造も手掛けている。

現在の田端大橋は、1987年に架橋。旧田端大橋は取り壊し予定であったが、計画変更で1992年に人道橋に改装された。愛称は「田端ふれあい橋」。
改装後は、主桁を隠し橋面側面ともタイル化粧板などで覆われて、まったくもって歴史的な趣が感じ出せなくなっている。非常な残念なデザイン。
もっとも、歴史的な意義は別として、植栽とタイルで、フレンドリーな感じに生まれ変わっている。

タイル張りには、歴史の趣が感じられない。

橋の上から探して、ようやく橋脚がみえる場所に。
ちなみに、橋脚を見ようとしてもなかなかビューポイントがなく。

親柱

田端大橋

昭和十四年三月成 東京府

田端ふれあい橋の橋上で、歴史を感じられたのは、ここのみ。

旧田端大橋の生い立ち
橋の由来
 旧田端大橋は、昭和十年に架建された突桁式下路版桁三径間ゲルバー式 全溶接橋です。
 当時、この橋は現場継手部も溶接した文字どおりの全溶接橋として東洋では最初で最大級の橋として注目を浴びました。
 この溶接技術は、そのころの造船技術(軍艦建造技術)を生かしたものであり、当時の技術者が遭遇した数々の苦労話がのこされています。
橋の概要
 施工年月日 昭和十年十二月二十七日
 形式    突桁式下路版桁三径間ゲルバー式
 橋長    一三五.〇メートル
 橋梁巾   一三.八〇メートル
 道路幅員  一一.〇〇メートル(当時)
 総鋼重量  約五九一トン(当時)
残存の経緯
 旧田端大橋は、近年の経済発展に伴う自動車交通量の増加と年月の経過による老朽化が進んだため、東京都は昭和六十二年に新田端橋を架建しました。
 新田端橋が開通したことにより、本橋の役目は終り、当初の計画では撤去する予定でありました。しかし歴史的にも学術的にも貴重な橋であり、また地域住民の方から歩行橋として再生利用の要望があることを考え、田端ふれあい橋として生まれ変わることになりました。
  平成四年三月 東京都北区

ふれあい橋について
田端ふれあい橋の概要
 田端ふれあい橋は、駅前広場と公園機能を合わせもった田端のシンボルとなる歩行者専用の橋です。
 この橋は、通勤、通学に利用するだけではなく、散歩道として、または待ち合わせの場所、憩い語らいの場としての快適な歩行空間をつくるとともに、自然の樹木によるやすらぎ、高欄や花壇の自然石による落ち着き、門柱や街灯による時代感を感じさせるものとしました。
田端ふれあい橋の特色
步行部
 花壇の形態を波型の曲線にすることにより平面的なやわらかさを出し、カリオンと二本のしらかしによって立体的なアクセントをつけました。中央の白御影石の部分を通行ゾーン、両側のタイル舗装部分は休憩・たまりゾーンとしています。
植栽
 花壇の縁石には赤御影石を使用しそのその重厚感による落ち着きを出すとととも、座って 話をしたりすることができます。 樹種は四季折々の花や葉が楽しめるように数多くの種類を配しています。
高欄
 木の枝をモチーフしたデザインは花壇の植栽と一体感をなし、快適な歩行空間をつくり出しています。
門柱
 大正時代の洋風赤れんが造りと銅板の屋根により、この橋の入口を表現しています。
カリオン
 文化の香り高い田端の発展を望んで 「希望の鐘」と名づけました。橋の中央に位置し、四種類の音色で時を知らせます。
展望窓
 上野駅側二か所に電車や線路が見える幅四mの大きな展望窓があります。
  平成四年三月
   東京都北区


位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:8921-C3-38
1944年11月7日、日本陸軍軍撮影の航空写真を加工。

田端大橋の様子がよくわかる。


田端ふれあい橋・旧田端大橋の主桁・橋脚

下を見れる場所に。

リベットがないです。
素人なので、細かいことはわかりませんが、全溶接橋として、リベットのない形態は、すらっとストレートな様相。美しいですね。

リベットがない!!としか言えない素人ですみません。


田端ふれあい橋・旧田端大橋の路面部分

ここは、歩いても、歴史が感じられないので、さらりと。。。
新幹線の橋梁が目線を遮ります。

門柱

側面には「田端大橋」
ん?旧称で良いの?

現在の田端大橋と、旧田端大橋の間。

高さが違いますね。
旧田端大橋は撤去予定だったので、建造時は高さをあわせるつもりがなかったことがわかります。

なので、両方の橋を横断する場合は、段差が生まれます。

高欄
波打つベンチと植栽。子供が近寄って電車見学ができない仕様。

「華」と銘された金色の裸女像。樹木が後光のようで。意味は不明。

鉄道の街「田端」にちなむ展示物など。
40Kレールとポイントリバー

連結器カバー(東北新幹線200系)

車輪(東北新幹線200系)

希望の鐘。ここにある意図や意味は不明。

静思と銘された女性像。

歴史を感じさせない路面。

新田端大橋と田端ふれあい橋の、JR側の入口。

いつもとはちょっと違う散策もたまにはたのしいもので。

なお、JR西日本ホームからも「田端ふれあい橋」をみることはできますが、やっぱりタイル化粧板に覆われて、残念な感じではある。

※撮影:2024年8月

場所


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