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山梨平和ミュージアム・石橋湛山記念館(甲府)

甲府に赴いたときに、甲府の戦跡をしらべていて、見つけたのが「山梨平和ミュージアム」。
せっかくなので、足を運んでみました。

NPO法人の運営。


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山梨平和ミュージアム・石橋湛山記念館

2007年開館。
「伝えたい戦争の記録・記憶を」という広範な市民の声を結集して生まれた民立民営の平和博物館。
1階に甲府空襲、甲府連隊、戦時下の暮らしなど戦争に関わるパネル・資料を展示。
2階には、山梨出身の偉大な言論人石橋湛山の生涯と思想を展示。

公式サイト

山梨平和ミュージアム、略称「YPM」

ちょうど、訪問時にいらっしゃった館長さんは、元校長先生。学校の先生ということで、提示物も学校感があることに納得。


甲府空襲の実相

甲府空襲で亡くなった1127名の全員の氏名等を記載したパネルや、元日航機長諸星廣夫氏とB29飛行士のローランド・ボール氏との交流で明らかになった甲府空襲の全貌を展示。
また、戦略爆撃の系譜として、ドイツのゲルニカ爆撃、日本の重慶爆撃から連合国軍によるドレスデン爆撃、東京大空襲・ヒロシマ・ナガサキなどの空襲の歴史も展示。

展示コーナー

甲府空襲の断面図

実物資料コーナー

甲府空襲犠牲者1,127名の御芳名。

甲府空襲の戦災地図

甲府空襲跡

本ミュージアム建設時に出土した焼土

山梨県下の空襲

大月空襲の遺髪塚
これは知らなかったので、今度、行ってみましょう。

戦略爆撃の系譜
世界史として、戦略爆撃の流れを復習

重慶爆撃

重慶爆撃で、取り上げられるのは、井上成美と大西瀧治郎。

重慶からヒロシマへ
ところで、毎回思うのですが、「ヒロシマ」カタカナ表記の由来ってなんだろう。

日本の空襲被害


甲府聯隊の歴史

1909年の開設から1945年崩壊の甲府連隊(歩兵第49聯隊)の歴史
49連隊の満州移駐、149連隊の無言の凱旋、49連隊のレイテ戦の悲劇などを展示

49聯隊の創設と甲府

49聯隊と「満洲」

149聯隊と日中戦争の実態

49聯隊とレイテ戦


戦時下の暮らし

戦争の真実が知らされなかった(国民を駆り立てた新聞)、学校教育の実態と子ども達の暮らし、学徒勤労動員などが展示


石橋湛山

2階は、石橋湛山のコーナー。

石橋湛山
1884年〈明治17年〉9月25日 – 1973年〈昭和48年〉4月25日)
日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第10・11・12代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任。
総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜の64日に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも3番目の短さである。

生まれは東京だが、少年期は、甲府の増穂・鏡中条で育ち、甲府中学・早稲田大を出て、「東洋経済新報」の記者として、大日本主義に抗して平和・民権・自由主義の論陣を張り、戦後、首相となった湛山の生涯が、写真・実物資料等で展示されている。
全国初の石橋湛山記念館。


戦後80年、歴史と今を考える(2025年企画展)

2025年の企画展。なんとなく学校の文化祭の発表感にあふれた感じもしつつ。

図書コーナー


ブックレット

冊子をいくつか購入しました。
ローカルな冊子ですが、意外と貴重な情報も掲載されており、侮れないんですよね。。

ざっと1時間くらい、見学をさせていただきました。
ありがとうございました。

撮影:2025年5月


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