練馬区の公園に、旧帝国海軍の地下通信施設の跡があるというので、足を運んでみました。
目次
大和田通信隊土支田分遣隊
現在の練馬区土支田(どした)にある「「稲荷山憩いの森」。練馬区による稲荷山公園の都市計画区域として、練馬区の調査によって、稲荷山憩いの森の地中には、3つの部屋と通路等があることが判明した。
昭和20年9月に作成された大和田通信隊土支田分遣隊の引渡目録によると、土支田に地下送信機室、地下発電機室、半地下兵舎の3棟の地下施設があったという。
以下、練馬区のサイトより。
稲荷山憩いの森の地中には、3つの部屋と通路等(以下、「地下施設」という。)があることを確認しました。
・コンクリートの一部を採取し強度試験を実施したところ、コンクリート構造物としては概ね安定していることを確認しました。
・3つの部屋以外への広がりは、確認できませんでした。
・国立公文書館アジア歴史資料センターに所蔵されている「大和田通信隊(土支田分遣隊)」の引渡目録において、3つの地下施設が当該区域にあった旨の記述を確認しました。
・各部屋の寸法は以下のとおり
部屋1・・・幅:約4.0m 長さ:約15.0m 高さ:約3.5m
部屋2・・・幅:約4.0m 長さ:約25.0m 高さ:約3.5m
部屋3・・・幅:約3.0m 長さ:約4.0m 高さ:約3.0m
https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/fukei/nerima_park/genkyozu/inariyama_tikasisetu.html
今後について、練馬区では、地下施設の文化的価値についての検証をすすめるとのことなので、保存に向けて取り組んでいただけると幸いです。
稲荷山憩いの森 地下施設について(報告)
海軍大和田通信隊
新座市・清瀬市・東久留米市にまたがっていた「海軍大和田通信隊」
「大和田通信隊」での受信実績(傍受実績)として、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃成功を伝える電信「トラ・トラ・トラ」(モールス符号「・・―・・ ・・・」トラ連送)「ワレ奇襲ニ成功セリ」を受信。
米海軍が平文で打った「airraid on pearlharbor x this is not drill」(真珠湾が空襲を受けている。これは演習ではない)の電報も受信。
終戦時の「ポツダム宣言」を受信したのも「大和田通信隊」、であった。
大和田通信隊土支田分遣隊の跡地散策
(稲荷山憩いの森)
地下施設が3つのエリアに別れているというが、現在は、全ての開口部が埋められており、地上部分に残存している構造物から、往時を偲ぶ形となる。
地上構造物がコンクリート残骸となっている。
おっ、通気口ですかね。
稲荷山というだけあり、見晴らしが良い高台。
この高台の下に、地下施設がある。
豊楽園神社(稲荷山憩いの森)
練馬区稲荷山憩いの森にある豊楽園神社。小祠として稲荷様が祀られている。稲荷山の起源でもあるが、「稲荷山憩いの森」は、もともとは、昭和7年に「豊楽園」と命名された行楽地であった。
豊楽園の碑の裏面に由来が記載されている。
「稲荷山」は、昭和7年に山主の加藤氏の好意により「豊楽園」として解放されたことがわかる。
稲荷山の湧き水。
土支田八幡宮
稲荷山憩いの森を東端まで歩くと、土支田八幡宮に辿り着く。近隣では一番大きな神社。散策の際に、大きめの神社があると、ついつい立ち寄ってしまうのが、私の散策でもある。郷土の鎮守様には、記念碑があるということもあり。
太平洋戦碑
昭和四十三年建立
表忠碑
陸軍中将林仙之謹書
昭和7年1月建立
帝国在郷軍人会上練馬村分会第五班
明治十年之役(西南戦争)、明治二十七八年之役(日清戦争)、明治三十七八之役(日露戦争)の出征軍人を表忠している。
ちゃんと写真を撮っていなかったが、社号標の隣りにある井戸は「南極井戸」と呼ばれている。
1911年(明治44年) に正参道入口の井戸に、宮司の島義武が南極から持ち帰った氷を入れたことから「南極井戸」と呼称されている。島義武(は、白瀬中尉(白瀬矗)の南極探検隊に事務長として参加し、南極大陸に上陸し沿岸探検支援隊として活動した。
https://shirase-kinenkan.jp/tanken_member.html
※撮影:2026年1月
