北多摩陸軍通信所の戦跡散策(東久留米)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

東京都東久留米市前沢のあたりに、陸軍の通信施設があった。
前沢南公園には、防火水槽跡が残っている。散策してみましょう。

前沢南公園の中にある円形が、防火水槽の名残。


北多摩陸軍通信所跡

東久留米市指定旧跡 旧跡第5号
北多摩陸軍通信所跡 前沢5丁目他
 この場所には、昭和8年(1933)から同20年(1945)まで、海外無線の傍受を目的とする陸軍の通信所がありました。
 当時の住所は久留米村前沢1470番地で、当初は1500坪(4,950㎡)の敷地に45m自立式鉄塔4基(逆L字型空中線)と受信所が建設されました。その後の増設により、高速・低速受信機など53台と千数百人に及ぶ人員を要していました。
 昭和18年8月には「陸軍中央特殊情報部通信隊」と改名され、歴史に残る数々の重要な通信の傍受と解読にあたりました。
 戦後、敷地の大部分は民間に譲渡され、当時の施設は現存しませんが、通信施設の中心部分であった受信所や官舎の区画は、道路などでほぼその形状を留めています。旧跡指定は東久留米市の所有部分のみです。
 東久留米市教育委員会

通信所
(米軍撮影空中写真、昭和22年)
官舎に囲まれた丸い防火水槽のある長方形の土地が現在の前沢南公園。

小金井街道から見た通信所と鉄塔
(郷土資料室提供、昭和22年)


スポンサーリンク

位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M390-51
1947年8月8日、米軍撮影の航空写真。

写真中央に密集している建屋が、かつての北多摩陸軍通信所の官舎群。

上記を拡大。

現在は住宅密集。。。

更に拡大。黄枠が今回の散策ポイント。

現在の様子。道路の区画もほぼ同じ。
防火水槽のある場所は前沢南公園。その北側に当時の官舎が2棟、残っている。
1棟は完全な形で。そして1棟は半分のみ残っている。


北多摩通信所防火水槽(前沢南公園)

前沢南公園まえの道路。この区画も当時のまま。

公園の北側に、丸くなった区画がある。これが防火水槽の名残。

前沢南公園を貫く東西の通路。公園内に残る基礎も名残かな。。。

こちらは南北の通路。

前沢南公園

いまも「防火水そう」がある。


北多摩陸軍通信所の官舎跡(南)

いまも居住されている建屋のため、チラ見で。
建屋の西側は、削られているために、かなり不自然。前述の航空写真でも、その様子がわかる。


北多摩陸軍通信所の官舎跡(北)

北側の官舎跡の建屋は現在は空家。心置きなく見学できる。

財務省関東財務局が管理する国有地だった。

入口。往時の面影が残っている。

これは、、、「陸軍の官舎」として、保存してくれたりしないかなあ。。。
かなり良い状態にみえます。

防火水槽跡は公園内で保存されているので心配は無いですが、国有地管理の官舎跡は、いつ宅地造成されてもおかしくない雰囲気。
気になる方は、早めの散策が良いかもしれません。

※撮影:2022年12月


関連

北東には海軍の通信所(海軍大和田通信隊)もありました。

埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市清戸、東久留米市上の原にかけて、かつて大日本帝国海軍の通信施設があった。内陸県・海なし県「埼玉」にある、貴重...

東には中島飛行機関連

西武線の東久留米駅から西東京方面に向けて、かつて貨物線路が引かれていた。中島飛行機関連の工場に向けての貨物線であった。 中島飛行機田...
東久留米市大門町鎮座。曹洞宗寺院 神護山 浄牧院 東久留米の南には「中島航空金属田無製造所」や「中島飛行機武蔵製作所」などの軍需工場...

南には陸軍技術研究所も

小金井と小平のあいだ辺りに、かつて陸軍の研究機関があった。現在の東京学芸大学のある辺り。往時を物語るものは多くは残っていないが、ちょっと脚...

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加