国内現存最大級のスロープ「河和海軍航空隊」跡地散策(愛知・美浜)

2026年2月、愛知県を散策していました。
午前中に軍人像を見学し、昼前に河和駅に到着、でした。 約3時間の散策。


河和海軍航空隊

第一河和海軍航空隊は南側で「整備教育部隊(整備訓練)」
第二河和海軍航空隊は北側で「編成教育隊(搭乗訓練)」
河和海軍航空隊は、性質の異なる2つの教育部隊が集まったものであった。


第一河和海軍航空隊

昭和18年4月1日「追浜海軍航空隊」から整備教育の分派として「追浜海軍航空隊知多分遺隊」が設置。
「追浜海軍航空隊」は幹部養成の高等科、「河和海軍航空隊」は現場整備員養成の普通科教育部隊。
昭和18年12月1日「河和海軍航空隊」として独立。連合練習航空総隊隷下の第十八連合航空隊(整備教育隊)に編入。
昭和19年2月1日「河和海軍航空隊岡崎分遣隊」が設置。
4月1日「岡崎海軍航空隊」が分離。
昭和20年3月1日「第一河和海軍航空隊」に改称。十八連空解散。横須賀鎮守府第二十連合航空隊に転籍。そのまま終戦を迎える。


第二河和海軍航空隊

昭和18年12月1日「小松島海軍航空隊」から水上機錬成部隊の分派として「小松島海軍航空隊知多分遣隊」が設置。
昭和19年4月1日「第二河和海軍航空隊」として独立。連合練習航空総隊隷下の第十一連合航空隊(横須賀鎮守府隷下練成教育隊)に編入。
昭和20年1月、名古屋へのB-29空襲に際し、訓練用に配備されていた「強風」「二式水上戦闘機」での迎撃を開始。
2月26日「神風特別攻撃隊・御楯隊」の「河和隊」を編成。
5月5日、実施部隊に変更。第三航空艦隊第十三航空戦隊に転籍。
8月5日、御楯隊は玄界灘水上基地に進出し、15日出撃命令が発令されるが、玉音放送により中止、終戦を迎える。


位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R2985-9
1949年8月5日、米軍撮影の航空写真。

以下、拡大加工

第2河和海軍航空隊

第一河和航空隊


第二河和海軍航空隊・正門跡

美浜町立河和中学校の南側の道路に「第二河和海軍航空隊の正門」が残っている。

旧第二河和海軍航空隊 正門跡
 第二河和海軍航空隊は、太平洋戦争中の昭和19年(1944)4月に水上機の操縦訓練技術を養成する練習航空隊として開隊しました。昭和18年から飛行機の整備教育を行った第一河和海軍航空隊と併せて、河和から豊丘までの1.8平方kmの用地が接収されました。特に、旧古布·旧浦戸の集落は、航空隊の用地内となり集団移転を余儀なくされました。
 この正門は、上部が欠損していますが、高さ160cm、縦57cm、横91cmあり、コンクリートブロックを積み上げて全体をコンクリートで塗る方法で造られています。正門を入った北側には、兵舎や病院などがありました。また、現国道247号線の海側には司令部や士官舎がありました。
 昭和20年7月30日、アメリカ軍機の機銃掃射により、この門周辺で多数の戦死者を出しました。
  美浜町教育委員会
   平成28年3月

機銃掃射の跡も残る。

美浜町立河和中学校

場所

https://maps.app.goo.gl/Y7EMcHiC9u1FMbeX9


第二河和海軍航空隊・給水タンク土台

美浜町立河和中学校の敷地内に残っているコンクリート構造物。西側の道路上から垣間見ることができる、この巨大な円筒のコンクリート構造物は、兵舎に供給するための高架水槽の土台跡。

敷地外から見学。

場所

https://maps.app.goo.gl/EFSH6xXzz3daHxkv9


河和海軍航空隊跡記念碑(森下公園)

森下公園に、河和海軍航空隊の跡地記念碑があった。
第一も第二もあわせた記念碑となっているが、この場所は、「第二」。

河和海軍航空隊跡記念碑
 第二次世界大戦中、河和の地に海軍航空隊設立され、全国より集結した隊員の、青春の広場となったことを、ここにとどめ、この碑を建立する
 昭和五十三年八月吉日 河和会


昭和十八年十二月
 河和海軍航空隊設立
 第十八連合航空隊に編入(整備教育)
昭和十九年四月
 第二河和海軍航空隊開設
 第十一連合航空隊に編入(水上機操縦教育)
昭和二十年二月
 河和海軍航空隊は第一河和海軍航空隊になる
昭和二十年五月
 第二河和海軍航空隊は第十一連合航空隊から第三航空艦隊第十三連合航空戦隊に編入さる
昭和二十年八月
 終戦 
 戦没者数三十七名

碑名 青春
制作者 三谷 勲

場所

https://maps.app.goo.gl/Tvz5VEfCH9yMYd2W6


第二河和海軍航空隊・滑走台跡

日本最大級の滑走台(スロープ)が残る河和海軍航空隊跡。

旧第二河和海軍航空隊 滑走台跡
 目の前に広がる海への傾斜面は、旧海軍の水上機の上げ下ろしに使った施設「滑走台」です。通称「スベリ」と呼んでいます。工事は昭和17年から19年(1942~1944)に行われ、北側に1面、東側に2面造られ、全て現存しています。
 北側の第1滑走台は幅50m長さ92m、東側の第2滑走台は幅220m長さ92m、第3滑走台は幅90m長さ92m(防衛研究所資料)、勾配は1/14(傾斜4度)です。特に第2滑走台は、現存する日本最大規模の滑走台です。
 第二河和海軍航空隊は、昭和19年に開隊された水上機の練習航空隊でした。波穏やかな知多湾の水面を滑走路代わりに練習機による操縦訓練や、実戦機による特攻訓練が行われました。現在、西側の大川と国道247号線までの広大な場所には、指揮所·駐機場·格納庫·整備場など多くの施設がありました。
 美浜町教育委員会 平成28年3月

93式水上中間練習機

案内は、第二滑走台のところに掲示がありました。


第二河和海軍航空隊・第1滑走台跡

北側の第1滑走台は幅50m長さ92m
第1滑走台は、近くで見ることが可能でした。

すぐ近くでスロープを見ることができる。
これは良い!
気持ち良い空間。なんかずっと居られる。
しばし、往時を偲びながら、波を無心に眺めてしまう。

海が綺麗!
ここも三河湾の湾内なのに、普段見ている海とは雲泥の違い。

東側は少し崩壊。

場所

https://maps.app.goo.gl/SjMT4RjBuXvWvktp9


第二河和海軍航空隊・第2滑走台跡

東側の第2滑走台は幅220m長さ92m
現存する日本最大規模の滑走台。
降りることは出来ない。

幅220メートルは圧巻。

場所

https://maps.app.goo.gl/cm5ZnqpzNB8F66HA6


第二河和海軍航空隊・第3滑走台跡

第3滑走台は幅90m長さ92m
第2と同じく降りることは出来ない。

第3滑走台の方向を望む。

広い空。陸地側はソーラーパネル。
往時は、エプロン(駐機場)があった。

場所

https://maps.app.goo.gl/HR1AuJSY7DYCgZTU6


第一河和海軍航空隊・軍港跡

事故や故障で不時着水・墜落した水上機などを、台船を使って引き揚げたり運び込んだりするための入江状の施設として機能していたという。
当時の入江には堤防が築かれ、現在は水門で海と繋がっている状態。

下段が、往時の軍港の名残。

場所

https://maps.app.goo.gl/xzsPPA7ij5mSm64i6


第一河和海軍航空隊・機体整備場基礎跡

機体整備場の基礎が残っている。
見事に真っ直ぐに綺麗に残ってますね。

東側の基礎は、トレーラーの土台になってました。

場所

https://maps.app.goo.gl/UH5sZQyQFQkD5AfN6


第一河和海軍航空隊・連絡橋橋脚基礎跡

水上機運搬用の陸橋の橋脚跡が残っている。

場所

https://maps.app.goo.gl/M9QZct42GhgNHWNo6


第一河和海軍航空隊・防空指揮所跡

半地下式のコンクリート製で、内部は通路で結ばれたかまぼこ形の部屋が3つあるというが、現在は入口は全て塞がれている。

入口が塞がれているため、よくわからない不思議な土盛り感がある。

天井部分のコンクリートが露出。

通気口

覗いてみた(小型ライト持ってた笑)

石段が残っている

場所

https://maps.app.goo.gl/GoKiweRfKHTCRzvr9


第一河和海軍航空隊・兵員浴場基礎跡

一直線に残っている基礎。畔の境界として活用?されている感。

このあたりに兵舎があった、、、

場所

https://maps.app.goo.gl/2nxDtQ9oBad7PvEW7

このあと、兵舎の西南にあったという対空機銃陣地跡とか貯水槽跡とか防空壕とかを探しに行ってみたが、迷子になりそうな雰囲気濃厚で、帰りの時間も考慮しギブアップ。


河和駅

ちなみにいまさらだけど「かわわ」ではなく「こうわ」。

今回の散策では、河和駅を起点に「海っ子バス」(一日乗車券)を活用しました。

※撮影:2026年2月


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