日本の航空事始め・その9「国内現存最古級な航空草創期時代のプロペラ」(狭山・廣瀬神社)

埼玉県狭山市の広瀬神社(廣瀬神社)。
延喜式内社(延喜式神明帳・武蔵国式内四十四社のうちの1社)の古社としても知られる神社。

私の記録(思い出)をさかのぼってみると、平成14年(2002年)7月に参拝、実に24年ぶりの往訪だった。当時の私は精力的に武蔵国式内社44社を巡っていたころ、かな。まだまだ戦争関連の知見は浅く、興味の方向性も今とは異なっていた頃。
同じ場所に24年ぶりに違う目的で訪問するというのも、趣深いものがある。

今回は「奉納プロペラ」を見学のために、廣瀬神社に足を運んでみました。
ちょうど2026年5月22~24日にかけて、廣瀬神社で特別公開「廣瀬神社でお宝さがし-資料と伝承から読み解く神社と人々の歴史-(主催:廣瀬神社 協力:狭山市教育委員会社会教育課)」があったので。

狭山市役所
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日本の航空事始め

「日本の航空事始め」と題して、航空機の黎明期に注目した記録も、気がつけば「その9」となっておりました。
今回は、日本の航空草創期時代の貴重なプロペラ。

「その1」はこちら。


モーリス・ファルマン式

大正6年(1917)に作られ、大正11年に、廣瀬神社に奉納されたプロペラ。

このプロペラは、「モーリス・ファルマン式MF.11(ショートホーン)」世代の航空機プロペラでは?とされている。

モーリス・ファルマンは、兄のアンリ・ファルマンやディック・ファルマンとともに、ヨーロッパにおける航空先駆者。
兄のアンリ・ファルマンが設計した「アンリ・ファルマン号(1910年製)」は、日本において、最初の飛行を行った航空機。
ファルマン兄弟は1912年に航空機メーカーとなる「ファルマン」を設立。(のちにフランスの航空機国有合理化により統合。)
ファルマン兄弟は200種類に及ぶ航空機を設計し、なかでも弟のモーリス・ファルマンの設計した初期型の飛行機が、明治晩年から大正初期にかけて数多く輸入され、航空機の国産化を促している。

日本では、「モーリス・ファルマン式・MF.11(ショートホーン)」を1914年(大正3年)に輸入。臨時軍用気球研究会にて改造を加えて「会式第七号飛行機」とした。

※国際軍用機第一号が「会式第一号飛行機」

https://senseki-kikou.net/?p=52068

「会式第七号飛行機」を基にした国産機を「モ式四型偵察機」として正式採用し東京砲兵工廠と陸軍所沢飛行場で80機を生産。
複座練習機として、「モ式五型練習機」を11機、エンジン換装改良型の「モ式六型偵察機」を134機生産している。

国立科学博物館の収蔵庫には国内最古の飛行機「モ式六型」があるというが、非公開。

https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/past_parmanent/rikou/transport/moshiki.html


広瀬神社に奉納されたプロペラ

日本の航空発祥の地「所沢飛行場」にほどちかい狭山市の鎮守ゆえに、安全祈願として奉納されたであろう黎明期のプロペラ。

びっくりの奉納品

 この木製プロペラは、今から104年前の大正11(1922)年1月に廣瀬神社に奉納され、長らく拝殿上段に掲げて保存されてきたものです。今回、それを間近でみてもらうことにしました。奉納された方は地元またはその近在の方だと思われますが、開場したばかりの所沢飛行場で整備や試験飛行などに携わっていた方という可能性があります。当時は、我が国航空の黎明期で、飛行機の安全度は非常に低く、死と隣り合わせの任務でした。恐らく「安全」に強く願いを込めた奉納だったのでしょう。
 百年の歳月によって、積層の木材がはがれ始めるなど損傷も大きくなっていましたが、当時の木材接着剤として一般的であったニカワを用い、地元の方々が協力し合って修復を試みました。その成果もぜひごらんください。
  廣瀬神社でお宝さがし

膠(ニカワ)を用いて、木材を接着して修復。
修復にあたっては、膠(ニカワ)の知識が関係者では皆無だっため、人形職人の知恵も借りた、という。

航空草創期のプロペラ

大正11年(1922)に廣瀬神社に奉納されてから、100年以上ものあいだを廣瀬神社で保管をされていたが、神社での保管も限界があるため、博物館(狭山市立博物館)への寄贈も検討している、とか。

奉納されたプロペラ
刻印等:
170
大正6年5月7日制作
129

計測データ
全幅:2890mm
最大翼幅 270mm
根本厚さ:150mm
ボルト穴:6個
ボルト穴配置円直径 120mm
中央穴径:55mm
積層:7枚
先端形状:やや尖る
製作:大正6(1917)年5月7日
泰納:大正11(1922)年1月
  陸軍工兵曹長 山崎和作
刻印等
  170
  大正6年5月7日製作
  129

使われた機体の候補

モ式六型飛行機
(モーリス·ファルマンの国産化品)
製作:陸軍東京砲兵工廠
座席:2
ダイムラー式100馬力
全長: 9.33m
全幅:16.13m
最高速度:110km h
写真、データは国立料学博物館

モーリス·ファルマン
(フランスからの輸入品)
以下データはMF.11/Wikipedia
座席:2
エンジン:ルJ-88空冷V型8気筒70馬力
全長: 9.45m
全幅:16.15m
最高速度:100km h
航続時間:3時間45公

大正11(1922)年1月に、山崎和作陸軍工兵曹長が奉納したことがわかる。

廣瀬神社でお宝さがし
-資料と伝承から読み解く神社と人々の歴史-

廣瀬神社でお宝さがし展

実は、別件で狭山市に赴いたときに、そういえば「廣瀬神社にプロペラあったよな、見に行こう!」って思って足を運んだら、拝殿脇に掲げてあったプロペラが無くなっていたんで???と思ったら、ポスターを見つけ、今回のイベントを知った次第。
イベントのために再訪を余儀なくされたが、結果として間近にプロペラを見ることができたので、かなり運良いタイミングでした。


廣瀬神社

旧県社・延喜式内社・狭山上広瀬鎮座
祭神:若宇迦能売命(ワカウカノメ命=豊受姫命)・倉稲魂命
由来:日本武尊が東征の途中、この地に立ち寄り、この地が大和国広瀬郡川合の広瀬神社(明神大社・官幣大社)の地域によく似ていると称し、幣帛を立てて穀物の神である若宇迦能売命を祀り、武運長久と五穀豊穣を願ったことに始まるという。
しかし大和の広瀬神社は日本武尊の時代よりも後の天武天皇4年(もしくは崇神天皇期)創始とされており、武蔵国に分祀された記録もない。社名は大和国廣瀬神社と同様な川の合流地点にあり、広い川瀬の地形からきたのであろうとされている。

ここにプロペラが掲げてあった。

野村素介。号は素軒。
長州出身の書家、杉聴雨、長三洲と野村素介を合わせて「長州三筆」と呼ぶことがある。「明治の三筆」の一人に数えることもあるが「明治の三筆」と言えば日下部鳴鶴・中林梧竹・巖谷一六の3人のことを言うのが一般的。

縣社 廣瀬神社

武蔵国四十四座の碑。
延喜式内社に列する由緒ある古社。

太鼓楼のある神社は珍しい。

※撮影:2026年5月


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