富山県高岡市の高岡古城公園を中心に散策をしてみました。
目次
伏木・新湊空襲
富山大空襲で大規模な損害を被った富山市とは異なり、富山県第二の都市であった高岡市街地は大規模な空襲を免れた。しかし、米軍の空襲目標指定は84番目の都市であり、終戦が遅れていたら、空襲されていた可能性が高い状況ではあった。
昭和20年5月24日から25日にかけて、伏木港・新湊一帯に、富山県として、はじめての空襲があり、70機のB-29が、海上に「機雷」を大量に投下している。
そして、伏木では、投下された機雷の不発弾処理中に爆発事故が起き、13人が亡くなっている。
以後も、伏木・新湊は、たびたび空襲による機雷投下が行われおり、重要な港湾を要していた高岡(伏木・新湊)は、常に米軍の脅威にさらされていた。
高岡市護國神社
高岡市出身の戦没者および空襲殉難者など3,576柱の御霊を祀る。
射水神社の境外末社。
昭和8年に「高岡市忠魂社」として創建。昭和10年に「高岡市招魂社」となり、昭和27年(1952年)に「高岡市護国神社」へ改称され、昭和37年に現在の地ニの丸へ移転された。
みたまやすらかに
高岡市特志消防隊、昭和八年十月の奉納狛犬
高岡市護國神社
陸軍大将 林銑十郎 敬書
帝国在郷軍人会高岡市連合分会
昭和十五年十一月建之
忠魂社時代の社号標も残っている。
高岡市忠魂社
陸軍大臣 荒木貞夫 敬書
昭和八年十一月建之
昭和八年奉納の手水鉢
なお、現在は射水神社の境外末社として、管理されている。
https://www.imizujinjya.or.jp/about/setsumatsusha
サイトには、「昭和10年(1935)12月に高岡市招魂社として創祀」と記載があるが、社号標・手水鉢・狛犬等の建立が「昭和8年」となっていることから、創建は「昭和8年」と思われる。
忠魂永存
高岡古城公園(高岡市護国神社左側)に鎮座。
昭和30年8月15日の建立。
「蘇峰徳富正敬頽齢九十三書」とある。
徳富蘇峰が93歳のときの書。(徳富蘇峰は94歳で没している)
徳富蘇峰による、高岡市出身犠牲者に対する慰霊鎮魂顕彰碑
射水神社
越中国一之宮。延喜式内社。旧社格は国幣中社。
大日本帝国海軍軽巡洋艦「神通」の艦内神社として、御祭神の分霊が祀られていた。
皇太子殿下御野立所
明治42年(1909年)10月2日に皇太子殿下(後の大正天皇)が北陸行啓で訪れた際の御野立所跡の記念碑。
瑞龍前田公遺徳碑
瑞龍院は前田利長公の戒名。
瑞龍前田公遺徳碑
陸軍大尉正四位勲五等公爵前田利為扁額
扁額を揮毫した、前田利為は、陸士17期・陸大23期恩賜。最終階級は陸軍大将。旧加賀藩前田家第16代当主。位階・勲等・爵位は正二位勲一等侯爵。
鷹狩する前田利長公
前田利長公像
前田利長は、加賀前田家2代目。前田利家の長男。加賀藩初代。
高岡城
日本100名城のひとつ。
富山城に隠居した初代加賀藩主の前田利長が、1605年(慶長10年)6月28日の富山城火災焼失で魚津城に移り、幕府に新たな築城許可を得て築城。前田家の客将であった高山右近による縄張りともいう。
前田利長が1614年(慶長19年)5月20日に死去すると、一国一城令の影響もあり、前田家の隠居場としての役割も失い、高岡城は配乗となった。
高岡古城公園
http://www.kojyo.sakura.ne.jp/index.shtml
高岡大仏
高岡市の大佛寺にある阿弥陀如来坐像。
奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ「日本三大大仏」とされている。
1907年に建立が開始され、1932年に完成、1933年に開眼供養が行われた。
万葉線
高岡の路面電車。
富山県には、富山駅と高岡駅、それぞれに路面電車がある。
万葉線のドラえもんトラム
まんが家藤子・F・不二雄氏は、高岡市の出身。
https://www.city.takaoka.toyama.jp/gyosei/gyoseijoho/koho_kocho/3/6/5648.html
※撮影:2026年9月
