「台湾(臺灣・中華民国・Taiwan)」カテゴリーアーカイブ

駅弁文化は日本と台湾だけ!「台鉄友好協定締結記念ひっぱりだこ飯・臺鐵便當(海味便當)」

神戸の駅弁「ひっぱりだこ飯」。
人気の淡路屋の駅弁。
入手する機会がありましたので、せっかくなので掲載。


臺鐵便當(台鉄弁当)

台鉄弁当(繁体字中国語: 臺鐵便當)とは台湾鉄路管理局(台鉄)が駅および列車内で販売している駅弁。
台湾総督府時代から日本の影響を受け、1895年から1945年の50年間、日本による統治で鉄道網が台湾全土で整備され、駅弁の文化も日本から持ち込まれた歴史がある。
今日の台湾は日本以外、唯一「駅弁」という文化を持っている国。

本場の臺鐵便當(台鉄弁当)は、排骨弁当が最も有名。
台湾で駅弁を食べたいところだけど、ひとまずは、コラボ弁当で満足しておく。

台鉄友好協定締結記念ひっぱりだこ飯

2023年12月に、台湾鉄路管理局との友好協定締結を記念したひっぱりだこ飯がリリース。
台鉄(臺鐵)のロゴをあしらった濃紺色の陶器を使用。
通常のひっぱりだこ飯に、台湾風の魯肉を加え、飯は白飯に、菜の花はごま油和えにするなど、台湾を感じられる仕様のひっぱりだこ飯に仕上げっている。
掛け紙には、おなじみのたこイラストと台鉄のマスコットの熊を描いた特別仕様。

なお、中国語では「海味便當」と。

台鉄友好協定締結記念ひっぱりだこ飯を発売します。
2023年12月8日、弊社と台湾鉄路管理局との間で友好協定締結を記念し、「台鉄友好協定締結記念ひっぱりだこ飯」を発売します。

当該協定締結は、2019 年秋、台鉄主催の「第五回鐵路便當節」に弊店が参加したのがきっかけ。
当社商品「ひっぱりだこ飯」の反響が大きかったため、今後も協力関係を築いていこうと意気投合しましたが、新型コロナウイルスのパンデミックにより頓挫。互いに大きな影響を受けつつも情報交 換は継続。そして、新型コロナが落ち着きを見せた 2023 年 6 月、「第八回鐵路便當節」に参加。改めて「ひっぱりだこ飯」の人気ぶりを確認するとともに、経営やブランドマーケティングなど様々な分野で情報交換・協力関係を築き、一層の「駅弁文化の醸成」に寄与すべく、今回の友好協定を締結することと致しました。

友好協定締結を記念して、日本と台湾、双方で特別仕様の「ひっぱりだこ飯(台湾:海味便當)」を販売します。双方共通で、ひっぱりだこ飯の陶器に台鉄のロゴマークをあしらった濃紺色の陶器を用いて販売します。

日本側は、通常のひっぱりだこ飯に、台湾風の魯肉を加え、飯は白飯に、菜の花はごま油和えにするなど、台湾を感じら れる仕様のひっぱりだこ飯に仕上げています。掛け紙は、双方共通デザイン。おなじみのたこイラストと台鉄のマスコットの熊を描いた特別仕様です。

https://www.awajiya.co.jp/%E5%8F%B0%E9%89%84%E5%8F%8B%E5%A5%BD%E5%8D%94%E5%AE%9A%E7%B7%A0%E7%B5%90%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%B2%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%82%8A%E3%81%A0%E3%81%93%E9%A3%AF%E3%82%92%E7%99%BA%E5%A3%B2%E3%81%97%E3%81%BE/

ひっぱりだこ飯の「たこ」イラストと、台鉄のマスコットの「熊」

ひっぱりだこ飯に、台湾風の魯肉。たいへん美味でした!

※2024年1月撮影


台湾関連

はじめに

台湾フェスタ2023(代々木公園)

ちょっと縁がありまして。
台湾フェスタに足を運んできました。


代々木公園

むかしの陸軍の演習場だった場所。
日本ではじめて飛行機が飛んだ場所。

そんなことは、露知らずとして。
今日は、日台友好のイベント会場。


台湾フェスタ2023

https://taiwan-festa.com/

我愛台灣!

久しぶり、台北!

うぅ、台湾行きたいw

台湾ビール!!
台灣啤酒!!

金牌台灣啤酒!!

大鶏排(ダージーパイ)!!

電音三太子
中壇元帥哪吒三太子

台湾の屋台が集合していて、ちょっとだけ台湾に行った気持ちになれました。ちゃんと台湾に行きたい気持ちもマシマシですが。

我愛台灣!

いちおう代々木公園も散歩してました。

日本の航空発祥の地。

※撮影:2023年7月


台湾関連

「台湾ウイスキー・山豬迷路」日本統治下時代の台湾の酒造伝承

先日、「台湾ウイスキー」を、懇意にしている「とある台湾メーカー」からいただきました。
covid-19の影響で、往来に制限があった日台両国でしたが、2022年10月より、制限なく往来ができるようになり、そうして台湾メーカーが日本の展示会にも久しぶりに出展。
代理店として私が、来日した台湾メーカーをサポートをしたという縁もあって、このたび台湾ウイスキーをいただいた次第でした。
最初は、台湾ウイスキー?なイメージでしたが、ちょと調べてみると面白く、さらには戴いた銘柄が、日本統治下時代からのエピソードをもっていたので、本記事に掲載したという感じ。


台湾ウイスキー

2002年に台湾が世界貿易機構(WHO)に加盟したことにより、50年以上続いていた酒類専売制度が廃止され、自由製造となったことにより、台湾での酒造製造が活性化。「カバラン(KAVALAN)」は台湾初のウイスキー蒸溜所として台湾ウィスキー界を牽引。そして「オマー(OMAR)」のナントー蒸溜所も有名。
さらには、村おこし事業として各地の農村でも「農村酒莊」として酒造が行われるようになってきている。


新高山(玉山)と信義郷

新高山(玉山)
台湾最高峰の玉山。標高3952m。日本統治時代の旧称は「新高山(ニイタカヤマ)」として、日本の最高峰でもあった山。
昭和12年(1937年)には大日本帝国の「新高阿里山国立公園」に指定。
昭和16年(1941年)12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる、大日本帝国海軍の暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二〇八』の「ニイタカヤマ」とは、現在の「玉山」のことである。

信義郷
信義郷は南投県の東部に位置しており、南投県内最大の面積の郷鎮であり、全国でも第2位を誇る広さを有している。
信義郷は中央山脈及び玉山山脈上に位置し、台湾最高峰の玉山を域内に含んでいる。また、南投県信義郷は「梅の故郷」と称される台湾最大の梅の生産地でもある。


信義郷農会梅子夢工廠

南投県信義郷農会の梅子夢工廠は、信義郷を代表する梅を主力製品とする台湾のさまざまな地元農業特産品を開発している加工工場や、酒造設備を備えた「農村酒莊」となっている。

今回、戴いたウイスキーは、台湾一の名峰「玉山」の名水を活用した信義郷農会(日本で言う農協みたいなもの)「農村酒莊」で蒸留したウイスキーとなります。日本で言うところの富士山ですね。

https://www.52313.com.tw/

場所

https://goo.gl/maps/xspZt9WrPyTF6juD7


「山豬迷路」

「山豬迷路」を直訳すると「迷い込んだイノシイ」とか「迷子のイノシシ」とか、こんな感じだろうか。どうもイノシシを迷わせるらしい。
前置きが長くなったが、「山豬迷路」がウイスキーの銘柄。なかなか面白い。

クエッションマークがいっぱいで、これは酔って迷ってますね、、、
????

なにが書いてあるが、半分ぐらいは分からないが公式サイトを覗いてみよう。

https://www.52313.com.tw/index.php?route=product/product&path=86_87&product_id=265

「威士忌」でウイスキーなのですね。

【品名】山豬迷路
【類別】威士忌 (ウイスキー)
【原料】台灣穀類精釀
【酒精度】40度
【容量】600毫升 
【產地】台灣
【注意事項】瓶塞採天然軟木,酒液中若有木屑沉澱,屬正常現象。
コルクは天然コルクを使用しており、木片がワインに沈殿するのは正常な状態です。
【威士忌說明】以穀類為原料,經糖化、發酵、蒸餾,貯存於木桶二年以上,其酒精成分不低於百分之四十之蒸餾酒。
【ウイスキーの説明】穀物を原料とし、糖化、発酵、蒸留を行い、木樽で2年以上貯蔵したアルコール度数40度以上の蒸留酒。

山豬迷路-米的威士忌:玉山山簏泉水及精選台灣優質米
米のウイスキー 玉山篭泉水と台湾産の厳選された高級米を使用

以精純工法釀製蒸餾,再以頂級橡木桶存封數年裝瓶上市
洗練された方法で蒸留され、上質なオーク樽で数年間、樽詰め。
石板酒窖長年溫度介於18-23°C,絕佳的熟成環境、時間的淬鍊,造就非凡風味,四十度的口感不嗆不辣。些許的煙燻味以及大地的稻米香,想微醺、放鬆的夜晚來和山豬一起迷路吧!
貯蔵庫の温度は一年間を通して18~23℃で、優れた熟成環境と時間が格別な味わいを生み出します。ほんのりスモーキーな香りとお米と土の香り、ちょっと酔ってリラックスしたい夜に、イノシシと一緒に迷子になりませんか!

山豬建議:
イノシシのおすすめ:
直接啐飲 享受原味 迷路指數40%
ストレートで飲む オリジナルの味を楽しむ 迷子指数40%
加水稀釋 味道更豐富 迷路指數20%
水割り より豊かな風味を味わう 迷子指数20%
冰塊飲用 享受酒體的變化 迷路指數25%
ロック 味わいの変化を楽しむ 迷子指数25%


「山豬迷路」の由来

日本統治時代の台湾では大正11年( 1922)、酒専売が導入され、台湾総督府の財政状況を安定化し、台湾のインフラ整備にも貢献することになった。

公式サイトには、「山豬迷路」の由来も記載されている。エピソードは日本統治下に遡ります。

      故事來自日據時代受到強制遷村到山下的信義地利部落。據說當時部落裡有一位相當擅長釀酒的伍禡 WU MA 奶奶,由於日人限制私釀。所以伍禡WU MA奶奶都會利用黑夜用黑布將自家窗戶緊密遮住,進行穀釀的最後蒸餾作業,以提供族人於慶典中飲用。待作業完畢後再利用深夜將蒸餾完的酒渣,運至山谷中丟棄,適巧倒完之後出外覓食的山豬受到酒香的吸引,蜂擁而至,開懷品嚐起酒香四溢的酒渣。
      或許是不勝酒力,也可能是意猶未盡山豬們竟然循著味往伍禡WU MA奶奶的家中前進。整理完畢的伍禡WU MA奶奶最後將黑布收下,窗戶的燭火燈光在深夜異常明亮。山豬們此時竟然狂奔的衝進伍禡WU MA奶奶家中。
        此後族人就笑稱伍禡 WU MA奶奶的穀類精釀叫山豬迷路。而且在那限制私釀的年代,族人一提到-山豬迷路更是相視會心一笑。
        信義鄉農會酒莊沿用伍禡 WU MA 奶奶精純工法釀製蒸餾,再以頂級橡木桶存封數年裝瓶上市。為每位享用山豬迷路的同好保留住當年部落居民山居生活最為可愛的默契、友誼與歡樂。

山豬迷路(https://www.52313.com.tw/home/public/board-content?id=28

簡単に意訳します。。。
 この物語は、日本統治時代に村を山間部に強制移住させられた信義地利部落に由来する。この部族には、酒を造るのが得意な呉馬婆さん(伍禡WU MA奶奶・ウーマーおばあちゃん)がいたと言われている。日本統治下時代は個人での酒造には制限がかかっていたため、ウーマー御婆さんは、真夜中に黒い布で家の窓を暗闇の中でしっかりと覆い、穀物酒(雑穀酒)の蒸留を行って、そうして部族が祝賀会で婆さんの蒸留酒を飲むことができるようにしました。
蒸留が終わると、残り滓は深夜に渓谷に運ばれて廃棄される。ちょうど、渓谷に残り滓を注いだ後に、餌を食べにきていたイノシシが、ワインの香りにつられて群がってきた。
 アルコールをもっと欲していたのか、イノシシたちはアルコールの匂いを追ってウーマー婆さん家へ。片付けが終わって、ようやく婆さんが作業を隠していた黒い布を片付けると、窓の蝋燭の明かりが異常に明るく真夜中を照らしはじめた。このとき、イノシシたちはウーマー婆さんの家に一斉に殺到してしまった。
 それ以来、部族では「ウーマー婆さんの雑穀酒でイノシシが迷子になった」と冗談を言うようになった。 自家醸造が制限されていた当時、イノシシが道に迷ったという話をすると、部族一族郎党が笑い合った。
 信義郷農協蒸留所(信義郷農會酒莊)では、ウーマー婆さんの穀物酒の蒸留方法に従い、最高級のオーク樽で数年間樽詰めしている。 丘陵地帯の部族生活の友情、仲間意識、喜びといった最も素敵な絆は、「山猪迷子」を楽しむすべての人にとって守られています。

※画像は公式サイトより引用

迷子の猪がかわいい。。。
看板には「東埔温泉」「信義酒莊」と記載あり。
東埔温泉は、台湾最高峰の温泉地であり霊峰・玉山の名湯。

信義地利部落

https://goo.gl/maps/fBmmVbrJNQupPEbJA


「山豬迷路」パッケージ

まだ、飲んでいませんので、味わいに関してはまた後日。。。
ウイスキーは寒冷地というイメージがありましたが、もちろん台湾は南国。南国ゆえに熟成スピードが早く、台湾ウイスキーはフルーティでまろやかになるのだとか。開封が楽しみ。

というか、台湾行きたい、、、

※撮影2022年11月


関連

台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」

2021年7月31日。東京駅の地下にて。

台湾からのメッセージが掲げられていました。


「ありがとう」

台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」
今までも、これからも台湾と一緒に


「6月4日・7月8日、ワクチン不足が深刻化していた台湾に日本から送られてきた124万回分・113万回分のワクチンが突然到着しました。私たち台湾人は日本の優しさにとても感動しました。一人でも多くの日本人に感謝の想いを伝えるために、台湾の民間人1046人でお金を出し合い、寄付・企画・実行、全て台湾の民間人で行い、このありがとうメッセージを出しました。」

日本の方へのお願い
下記ハッシュタグを使って、
Twitter・Facebookでこれを見た感想を投稿してほしいです。
海の向こうの台湾から
日本の皆さんの感想を拝見させてください
#台湾からのありがとう

謝謝日本

主催:台湾人有志1046人
企画・協力:台灣向日本人傳達捐贈疫苗的感謝之意PROJECT(台湾人から日本へありがとうを伝えるプロジェクト
風景写真提供:台湾観光局・台湾観光協会

日本人としても、台湾の皆様に、ありがとう!を。

コロナ渦となってから、台湾に訪れる機会がなく、また台湾の皆様が来日することも難しくなっているけれども、遠くない未来で、きっとまた日台交流があたりまえのように、戻ってくることを信じつつ。

台湾、また行きたいです!!

圓山貯水池と圓山水神社(台湾台北)

令和元年5月散策

スキマ時間に駆け足で。

台湾 台北市
「圓山水神社」社号標 (昭和13年4月)

最寄りは
MRT(台北捷運淡水信義線)
路線記号「R」RedLine。
剣潭駅(Jiantan ジェンタン)

「剣潭駅」 東側の山(剣潭山)の中腹に、日本統治時代を物語る史跡「円山貯水池」と「円山水神社」が残されていると言うので、足を運んでみました。

剣潭山
左の建物が 「 台北自来水事業処 陽明営業分処 」
この裏側に目指す目的地がある。
中央は「昭明寺」

水道局(台北自来水事業処 陽明営業分処)の脇の細道。

圓山水神社の案内地図が出ておりました。

水神社はこっちと矢印が。
ここは台湾台北ですが違和感なく神社が案内されております。


山道を登っていきます。


圓山貯水池

日本統治時代の社会インフラのひとつとして「近代的な水道整備」がある。
台湾総督府は明治期より水源の整備をすすめていたが、人工が急増する台北市において従来の浄水設備だけでは追いつかなくなり、台北市北部に新しい浄水設備の建設を決定する。

明治42年(1909)に台北市南部に完成した観音山浄水場を保管するために、昭和7年(1932)に台北市北部の草山浄水場が完成。
圓山貯水池も昭和3年(1928)から工事開始しており昭和7年に完成。
そうして、「草山水道系統」として草山から圓山まで水道管で結ばれそこから台北市内に送水が始まった。
台北市にとっては2番目の水道施設。


台北市指定の古蹟「草山水道系統」

圓山貯水池施設群(現在は使用されていない)
 含量水室・鋳鉄排気管・水量表・八角配水井
 圓山水神社之石碑・手洗石製水槽・石灯籠・石獅・涼亭

圓山貯水池「通気塔」

掲げられた額には「活水頭」とある。
昭和6年早春
台北市長 武藤針五郎 

圓山貯水池「八角配水井」

圓山貯水池の古蹟

中央の膨らみが埋設された「水道管」か?
貯水池は地下に。

圓山水神社(丸山水神社)

草山水道系統の施設建設は昭和3年(1928年)着工。昭和7年完成。
山の中腹ということもあり工事は難航し事故による死者も出たため、水道職員の寄付により、殉職者の慰霊と水神を祀るために圓山水神社を設けことにはじまるという。
1990年(民国79年)に荒れ果てていた神社跡を台北の水事業関係者の寄付金を募って修復したという。

この剣潭山の南側には「官幣大社 台湾神社」が鎮座していた。浄水場はその台湾神社の北側。
当時、神社を統括していた内務省の台帳に当社の記載はないため公的なものではなく、水道職員有志の私的な神社であることが伺い知れる。
創建は昭和13年4月27日。奉納された石灯籠には「昭和13年4月吉祥日」、社号標には「昭和13年4月27日」と日付が刻まれている。

当時の社殿はすでにないが、石灯篭や狛犬などが当時のままで保存されている。この地は日本統治時代の台湾水道事業の発展を物語る貴重な史跡といえるだろう。


社号標は昭和13年4月27日銘

主殿
中華風の四柱屋根の中にちいさな祠が鎮座していた。

ご由緒書

中華民国79年の再建時の石碑。(1990年、平成2年)

狛犬の台座。2017年に狛犬が盗難されてしまいました。
まだ戻ってきてません。。。盗まれたのは阿形の狛犬。

いたるところに警告がある。
2017年に水神社に落書きをし狛犬を盗難される事件があったためか・・・

もう1体の狛犬(吽型の狛犬)は無事でした。

台湾にいるのか、日本なのか、だんだんとわからなくなってきました。

奉献
水道課現業員
その下段には奉納者の名前が刻まれていた。

水盤 
 奉納 水

何やら小屋の跡。水道及び神社に関係する付随施設でしょうか。

日本統治時代の台湾を物語る古蹟。

水道施設としては昭和7年から、
水道施設の守り神「水神社」としては昭和13年に創建して、
そして昭和20年に終戦。

わずか7年の信仰からの断絶。
戦後の台湾においては多くの神社が破却された中で、当地では奇跡的に社号標や石灯籠、狛犬などが残っていた。これは歴史の中では伝承されていないが「残そうと尽力してくれた人々の力」があったからに違いない。

そうして1990年にかつての神社跡は台湾の人々の手によって修復され祠も設けられ「水神社」は再興している。

台湾で神社に拝する。
台湾の人々によって、日本式に祀られた祠。
国を超えた空間に感慨深いものが多く。


MRT(台北捷運淡水信義線)
路線記号「R」RedLine。
車中から。

日本統治時代は、「台湾神宮」の地。

きっとここにまた来ることになりそうです。
それが何時になるかはわかりませんが。


ちょこっと台湾台北散策

令和元年5月

隙間の時間に。ほんの少しだけ。時間がほとんどなかったので。

行政院(旧 台北市役所)

日本統治時代の昭和15年(1940)竣工。

監察院(旧 台北州庁舎)

大正4年(1915年)竣工。修復工事中でした。

立法院(旧 台北第二高等女学校 )

竣工年代は不詳。

濟南基督長老教会
(旧 日本基督教団台北幸町教会)

1916年(大正5年)竣工。台湾宗教100景

台北駅

現在の駅舎は4代目。1989年竣工。

台湾鉄路管理局
LDK50型蒸気機関車

もとは、日本統治時代の台湾総督府鉄道が1915年(大正4年)から762mm軌間の台東線で使用するために導入。

展示のLDK58号は1923年に日本車輌が製造。 花東線で運用された。

連結された車両は台東線LDR2201気動車。1957年製。

西門紅樓(旧 台北西門市場 八角楼)

西門町。日本統治時代の明治41年(1908)竣工。

まちなか、とか。

sdr

台北松山空港

機内(羽田→台北松山)

機内 (台北松山→羽田)

あまり散策は出来ませんでした。

また行きたいですね。観光で。