埼玉県入間市。
入間市で有名なのが「狭山茶」、隣の狭山市にあるのが「入間基地」。
入間と狭山は地名が交差していてややこしい。
この地にあった飛行場は「狭山飛行場」と呼称され、入間市にあった。
狭山飛行場へのアクセス方法。
西武線入間市駅からバス。
西側
三井アウトレットパーク停留所
南側
二本木停留所
入間市博物館ALIT停留所
北側
根岸停留所
などを利用して、あとは歩く感じ。
私は入間市駅からバスに乗って北側の根岸バス停を起点に約8キロ歩いて、三井アウトレットパークバス停から入間市駅に戻るコースでの散策でした。
目次
陸軍航空士官学校狭山飛行場
狭山飛行場は陸軍航空士官学校分教場であった。
陸軍航空士官学校
昭和12年(1937)に陸軍所沢飛行場内に陸軍士官学校の分校として「陸軍士官学校分校」が開校。(現在の入間基地・入間飛行場)
昭和13年5月に「陸軍士官学校分校」が豊岡町(現在の入間市)に移転。
昭和13年12月に、「陸軍航空士官学校」として独立し、昭和16年には行幸された 昭和天皇より「修武台」の名称を賜った。
陸軍航空士官学校の本校は豊岡(入間)、その他に飛行練習をするために狭山・高萩・坂戸・館林の陸軍飛行場が練習地として使用された。
狭山飛行場は、昭和8年(1933)7月に陸軍の要請により飛行場用地としての買収が始まり、昭和9年(1934)年11月には狭山陸軍飛行場、所沢にあった陸軍飛行学校の分飛行場として開設。昭和13年の陸軍航空士官学校発足とともに分教場として利用。
開場当初は120ha、終戦時には約237haもの広大な飛行場であった。狭山飛行場の面積は現在の入間市の約5.3%を占めていた。
終戦後は狭山台土地区画整理事業が行われ、農地開墾、狭山台工業団地、住宅地などが造成。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:892-C2A-97
1944年09月24日、日本陸軍撮影の航空写真を一部文字入れ加工。
上記を拡大。
現在の様子。区画がしっかりわかる。
北東部分を拡大。
「飛行訓練塔?」と「エンジン試験台」の基礎が今も残っている。
これらのポイントを巡ってみる。
参考までに当時の東京西部と埼玉西部の飛行場の位置関係を記載してみた。
狭山飛行場外周道路・北部
根岸バス停から歩くを開始して、茶畑を縦断。
茶畑の向こうに見える工業団地が、狭山飛行場の跡地。
狭山飛行場・飛行訓練塔基礎?
狭山飛行場北東部に残る基礎。飛行訓練塔?の基礎、とされている。
場所
狭山飛行場外周道路・西部
飛行訓練塔基礎から南下し外周道路の西端を南下していく
左が飛行場エリア。
ふりかえってみる。右が飛行場エリア。
次の目的地へ。
狭山飛行場・エンジン試験台基礎
茶畑に向こうに、コンクリートの塊がふたつ見えてくる。
これらはエンジン試験台の基礎、という。
コンクリートの塊のうち、ひとつは廃材や枯れ草に覆われておりよく見えなくなっている。
場所
中村屋武蔵工場(中華まんミュージアム)
そのまま南下をしていくと中村屋武蔵工場が見えてくる。
かつて、航空士官学校校舎があり、格納庫などがあった場所。
戦後は、大妻女子大学狭山台キャンパスがあったが、2015年に閉校し、その跡地に中村屋武蔵工場ができた。
狭山飛行場・航空士官学校校舎跡地
学舎の跡
この場所は、東西およそ1800メートル、南北およそ1390メートルの旧日本陸軍航空士官学校狭山飛行場跡地の西端に位置し、航空士官学校校舎がありました。
校舎は戦後も遺され。終戦直後の混乱期には寺にあった有隣青年学校生徒の学舎となり、昭和22年4月には元狭山村・宮寺村組合立狭山中学校がここに開校し、新しい教育の場となりました。更に二本木地区の子どもたちの狭山小学校が、校舎の一角に開校しました。
昭和42年、役目を終えた跡地には大妻女子大学狭山台校が新設され、再び学舎の歴史が積み重ねられてきました。こうして、この地は多くの人びとの懐かしい学舎の跡になったのです。
弊社は、地域の人びとに親しまれ続けてきた学舎の跡に工場を操業できることを誇りとして、新たな歴史を刻んでまいります。
平成30年7月
株式会社 中村屋
場所
狭山飛行場・陸軍境界石
狭山飛行場外周道路・南部に位置する。ちょうど中村屋工場と交差する場所。電信柱と並ぶように境界石が残されている。
陸軍
狭山飛行場外周道路・南部となる。
入間市博物館「ALIT(アリット)」
狭山飛行場外周道路・南部を歩く。
飛行場の南側に入間市博物館「ALIT(アリット)」がある。常設展示コーナーなどに「狭山飛行場」に関する展示もあるので時間があれば脚を運ぶことをおすすめ。
そのまま狭山飛行場外周道路・南部を東に向けて歩く。
狭山飛行場外周道路・南東部
南東部は外周道路とともに排水溝が暗渠された状態で残っている。
場所
武蔵工業団地は、狭山飛行場の跡地に開設された工業団地。
狭山開墾記念碑
狭山開墾の碑
狭山飛行場跡地の開墾事業完成の記念碑。
昭和21年(1946)1月に鍬入れ式を行い、翌年の夏には開墾が完成。総入植者542戸のうち、新規入植は15戸で、大部分は地元に還元。
狭山開墾記念碑
碑面裏(一部抜粋)
秩父の連峰を背景に県の南境に近く蟠る一連の台地此処狭山は古くから茶処としてその名を知られて居る其の一画、元狭山宮寺金子東金子の4箇村に跨る250町歩の地域は昭和8年飛行場の開設を見たが終戦後はこれを農耕地として開拓せらることとなった(以下略)
「昭和8年飛行場の開設」と刻まれている。
場所
狭山飛行場・無蓋掩体壕跡
ファミリーマート駐車場とフジボウル駐車場の裏の森の中に、無蓋掩体壕の跡が残っている。
無蓋掩体壕は、土塁・土盛りでしかなく、正直言ってよくわからない。ただ森の中に不自然に土塁があるのが、今でもわかる。飛行機を駐機したであろう側まで森を進んでみたが、木々が茂りすぎて写真に撮ってみてもよくわからないものではあったが。
奥に無蓋掩体壕の土塁。
土塁に登ってみた。下は飛行機を駐機したであろうスペース。
場所
狭山飛行場の東側に、コストコと三井アウトレットパーク。
ここまでくれば、入間市駅までバスで戻れる。