昭和8年(1933年)に建てられた二本榎出張所(旧高輪消防署)は、平成22年に「東京都選定歴史的建造物」に選定されている。
建築様式としては、第一次世界大戦後に流行した「ドイツ表現派」の建築設計。レトロな外観が特徴的な消防署は、現役で地域の消防活動を担っていた。
目次
東京消防庁高輪消防署二本榎出張所
訪問は2021年11月の某日。受付で見学を申し込む。
消防署員が時間を割いて付き添いで署内の説明をしてくれました。所要はざっと30分くらいだった。
お時間をいただきまして、ありがとうございました。
東京都選定歴史的建造物
Tokyo Metropolitan Government Selected Historical Strictures
東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所
Tokyo Fire Department Takanawa Fire Station Nihonenoki Fire Station Branch
所在地 港区高輪二丁目6番17号
設計者 越智 操
建築年 昭和8年(1933)
明治41年7月1日、第二消防署二本榎派出所として発足、昭和8年12月28日に現庁舎が竣工した。
建物は、鉄筋コンクリート造りの地上3階建てで、海抜約25メートルの位置にあり、当時は周囲に高い建物もなく、東京湾を眼下に眺望できた。
1階の腰壁は御影石(花崗岩)の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げとなっている。また、外壁はクリーム色の磁器タイルで覆われ、玄関部分はすべて御影石で造られており、扉は木製となっている。
3階の円形講堂は8本の梁(はり)が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になった独特の意匠である。
第一次世界大戦後の近代的なドイツ表現主義 という建築様式で、曲線と曲面をモチーフとした力強く流れるような躍動感のあるデザインを特徴としている。
3階から上は円筒形の望楼(ぼうろう)となっており、昭和46年まで火災の見張りに使用されていた。
東京都
TOKYO METROPOLITAN GOVERNMENT
外観
戦艦三笠をモチーフにしたとも言われている消防署は、戦争の空襲を生き延び、戦後の解体を免れ、昭和初期の「ドイツ表現主義」の意匠を今に伝えている。
曲線美にあふれている造形は、見ていて飽きが来ない。ずっと見ていられる。。。
高輪消防署
かつては高輪消防署の本署でもあった。消防署本署機能は、、1989(昭和59)年、港区白金2丁目に現在の高輪消防署が新たに建てられると移転。古くなった建物は取り壊しの危機もあったが、反対の声多数で、結果として「高輪消防署二本榎出張所」として残ることとなった。
道を挟んで隣は、警視庁高輪警察署。
建設当時、警察署は「三笠」の操舵室を、高輪消防署は「三笠」の船尾をイメージしてデザインされた、ともいう。(警察署は昭和52年に建て替え。)
建物内
3階が資料室になっている。
庁舎について
「東京都選定歴史的建造物」について
「東京都選定歴史的建造物」は、歴史的な価値の高い建造物のうち、景観上重要なものとして東京都景観条例に基づいて知事が選定します。
地域の歴史的景観を特徴付けていること、地域のランドマークとしての役割を果たしていること、できるだけ建設当時の状態で保存されていることなどが選定基準となっています。
市政会館・日比谷公会堂、東京都慰霊堂、両国橋、港区高輪台小学校など99の建造物が選定されています。(2019年現在)
概要
・建設年:1933(昭和8)年
・設計者:越智操(警視庁総監会計科営繕係)
・構造:鉄筋コンクリート3階建
・延べ面積:598㎡
・高さ:約30m(シンボルタワーを含む)
・2010(平成22)年「東京都選定歴史的建造物」に選定
外観
クリーム色磁器タイル張りの外壁と、円筒形の望楼が特徴の建物です。
1階の腰壁は御影石(花崗岩)の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げ、玄関は御影石に木製の扉がついています。
階段
階段の床と腰壁は、大理石とセメントを練って固めたものを研磨した研ぎ出し仕上げで、曲線的な空間を持った階段になっています。
円形講堂(3階)
8本の梁が中心に集まり、10個のアーチと一帯になった独特の意匠です。
第一次世界大戦後の「ドイツ表現派」というデザインで、曲線や曲面をモチーフにして力強く流れる躍動感ある設計が特徴です。
望楼
高さは約21mで、庁舎落成時は最長部分に鉄塔がありました。
昭和60年の改修時に見張所より上部を復元し、頭頂部には東京芸術大学・前野教授の設計で、東京都の「文化デザイン」事業を踏まえたシンボルタワーを設けました。
コーニンス・モールディング
階段ホールの円柱と壁・天井の間に3段の「コーニス」が見られます。
2階事務室の天井と壁の間には「モールディング」が施されています。
ガス灯
アールヌーボー調(花や植物などをモチーフにした曲線的なデザインが特徴)のガス灯は、この庁舎が落成した時に停電時の照明として、車庫、1階食堂、2階事務室、3階講堂に設置されました。
丸太梯子
大正時代初めに制作されたもので、ポンプ車に積載し、火災現場で留め金をはずして梯子として使用しました。
見た目が1本の棒であることから「一本梯子」と呼ばれていました。
龍吐水
江戸時代から使われた消防ポンプで、龍が水を吐くように放水するところからこの名前が付けられました。
この龍吐水は、1985年(昭和60)年に東禅寺から寄贈されたものです。
水鉄砲
龍吐水の補助具
半鐘
火災の発生を知らせるために、江戸時代の火の見櫓や消防署の望楼に設置されたもので、日本榎派出所と高輪消防署の望楼に下げられていたものです。
望楼は、1973(昭和48)年まで使われていました。
手榴弾消化器
ガラス球型の消化器で、炎に投げ込みガラス球が割れると中にはいっている薬剤で消化することができます。
戦時中から昭和30年代に使われていました。
大きな窓が美しい。
八本の梁が中心に集まる円形の天井。
ガス燈
昭和8年12月、現在の庁舎が完成した時に、停電用の照明として設置されました。
8本の梁と大きな窓が曲線を彩る。美しい、、、
火の見櫓に繋がる階段。
急階段で危険なため、望楼(火の見櫓)の見学はお断りしています。
同行案内してくれた消防署員も、望楼には一度も登ったことがないらしい。。。
屋上
屋上の見学をさせていただきました。
これは、たしかに軍艦みたいだ。艦橋っぽい。
丸窓が可愛い。
3階から1階に戻ります。
車庫
ものすごく貴重な車両がいました。貴重な建物と貴重な車両。これは素晴らしい展示コラボ。
ニッサン180
ニッサン180 消防ポンプ自動車
NISSAN 180 POMPER
車両寸法:全長5,570mm x 全幅2,300mm
出力:80馬力 最高速度:100km/h
放水量:1,700リットル/min
本格的な国産消防ポンプ自動車の第1号といわれています。
昭和16年(1941)年に制作した後、高輪消防署に配置され、昭和20年5月から昭和39年10月までの19年間、チキの安全を守り続けました。
戦時中には、空襲火災の消火活動でも活躍しました。
今と昔と、はしご車の原理はそんな変わっていない。
貴重な見学が出来ました。
お忙しい最中で、見学のためのお時間をいただきまして、ありがとうございました!
場所
せっかくだから、近所の近代建築物をあわせて見学。
高輪教会
現在の礼拝堂は1933年(昭和8年)に建設。
「高輪消防署 二本榎出張所」と同じ年の建築ですね。
旧帝国ホテルの設計者として有名なフランク・ロイド・ライトの門下であった教会員の岡見健彦の設計によるもの。日本で最初に建てられたライト式建築の会堂。
2004年(平成16年)に)東京都歴史文化財団の「東京たてもの百選」に選ばれた。
高輪台小学校
関東大震災以に建設された復興小学校の最後期ににあたる校舎。東京都選定歴史的建造物。
東京都選定歴史的建造物
港区立高輪台小学校
(旧東京市立高輪臺尋常小学校)
所在地 港区高輪2-8-24
設計者 東京都土木局建築課(鈴木忠雄)
建築年 昭和10年(1935年)
都内の公立小学校は、震災復興を機に、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造りの校舎に建て替えられるようになった。昭和初期の公立小学校校舎には、装飾性を加味したスタイルと、機能を重視したインターナショナル・スタイル(国際建築様式)と呼ばれる二つの傾向があった。この校舎は、校舎の代表作であり日本の新建築の代表例の一つに数えられ、戦後の小学校建築のデザインに大きく影響を与えた建物である。
大きな窓は、水平美を強調したすっきりとした明るい外観を呈している。地上3階一部地下1階の建物の内部は、天井が高く、広い窓から明るい陽光が差し込み、児童たちがのびのびと育つにふさわしい環境を創り出している。
敷地を巧みに生かして配された校舎は、今では地域の象徴的な存在であり、地域の人々にも親しまれ大事にされている。
東京都生活文化局
平成9年3月
高輪台には、造形美しい近代建築が三者三様に残っていました。
高輪ゲートウェイ駅も開業し、アクセスもしやすくなりましたので、ちょっとした散歩をおすすめ。
※撮影は2021年11月
関連
高輪ゲートウェイ駅も少しだけ登場。