令和元年8月
京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」。京王線ユーザーであれば馴染み深い駅名。
気にはなっていましたが、実はまだ「聖蹟」に脚を運んだことがなく。
近いと言えば近いので、ちょっと赴いてみました。
京王電鉄「聖蹟桜ヶ丘駅」
格別に美しい駅名だと思います。
ここから「記念館」行きのバスに。
目次
旧多摩聖蹟記念館
明治天皇が当地に行幸されたことを記念して作られた施設。
旧多摩聖蹟記念館 多摩市指定有形文化財
明治10年代、明治天皇が30才の頃、ここ連光寺の山や多摩川に兎猟 や鮎漁を行うため、4回ほど訪れました。
時の天皇が行幸された地を「聖蹟」と呼び、全国的に多くの記念碑がみられます。
この記念館は昭和5(1930)年に、明治天皇の偉業を讃えるため、元宮内大臣田中光顕が中心となり、当時の人々による土地の寄付や工事の協力などによって建設されました。
「聖蹟桜ヶ丘」という駅名は、この建物の名前をもとにつけられたものです。
この建物を設計した関根要太郎は、20世紀初頭にヨーロッパでおこった建築革新を目指す運動に関心をもった建築家といわれています。大正末期から昭和初期にかけての日本の近代建築は、鉄筋コンクリート構造の急速な普及に加え、外観のデザインとして欧米の古典主義的なものから、モダンデザインのものまで、さまざまな様式の影響を受けた建物がみられます。
この記念館は、オーストリアでおこったセセッションと、ドイツのユーゲントシュテイルと呼ばれる建築デザインの影響をみることができます。数少ない多摩地域の近代洋風建築の中でも完成度が高く、最も優れたものであります。
このように貴重な建築作品であることから、文化財保護の目的に沿って保存・公開すると同時に、建物の有効活用をはかるため、ギャラリーとしてもご利用いただくことができます。
昭和61年6月24日指定
多摩市教育委員会
多摩聖蹟記念館
昭和5年9月
伯爵田中光顕敬著
多摩市指定文化財
東京都「特に景観上重要な歴史的建造物」選定
関根要太郎と蔵田周忠が設計。
近代式鉄筋コンクリート造り、両袖の付いた円形の大殿堂。
起工1929年10月12日、竣工1930年6月26日
曲線の多用した大胆なデザインが美しい建造物。
渡辺長男作、明治天皇騎馬等身像(昭和5年)は圧巻。
明治天皇が当地に初めて訪れた30歳の姿を再現。
内部は撮影禁止のため、パンフレットと図録より。
五賢堂
五賢堂
1968年(昭和48年)、明治維新100周年を祝して全国的に記念行事が行われました。当時、多摩聖跡記念館を管理・運営していた財)多摩聖跡記念会でも、維新の志士を顕彰する目的で「五賢堂」を建設することにしました。
「五賢」とは、明治維新に功績のあった五人の志士(三条実美、岩倉具視、木戸孝充、大久保利通、西郷隆盛)を言います。五賢堂は神奈川県大磯の元総理大臣吉田茂邸にもありますが、西郷隆盛の代わりに伊藤博文が数えられています。西郷隆盛は西南戦争で朝敵とされましたが、吉田茂のすすめもあって五賢に数えられたとされます。
1968年(昭和43年)11月3日に建設式典が行われ、小金丸幾久が制作した五賢のブロンズ製胸像が安置されました。なお、明治天皇の立像も小金丸幾久が同時期に作成したものですが、初代は記念館内に置かれており、1986年(昭和61年)の改修工事の際に五賢堂内に移されました。
明治大帝( 五賢堂 )
明治大帝
第一二二代天皇御名睦仁
御在位一八六七、一九一二年
嘉永五年九月二十二日孝明天皇の第二皇子として京都で御誕生され御年少の折のよび名を祐と称された
慶応二年十二月孝明天皇崩御のあとをうけ慶応三年一月九日御践祚
翌慶応四年一月に元服三月に五ヶ条の御誓文を神前に誓い九月八日明治と開眼して一世一元の制を定めた
十二月一条天皇の三女美子昭憲皇太后皇后に迎えられた
明治天皇は統帥権をもちみずから積極的に政治に携わられた
御性格は英邁御在位期間における国威の著しい伸長とあいまって英明の君主とうたわれ大帝とたたえられ国民の尊敬を一身に集められた
一九一二年全国民の病気回復の願望空しく病没京都伏見桃山御陵に葬られた
御歳六十一才であった
明治維新五賢堂建立の趣旨
五賢堂は明治維新にあたり明治大帝を補佐し新日本の建設に偉勲を樹てた三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛の功労を後古に伝えるため明治百年に際し明治百年記念事業の一環として明治維新五賢堂建立委員会を設け全国各方面にわたる有志のご協力によりその建立の実現をみたものであります
昭和43年11月3日
(以下略
五賢人(五賢堂)
三条実美之像
岩倉具視之像
木戸孝允之像
大久保利通之像
西郷隆盛之像
五賢堂のとなりに石碑がある。
田中光顕公歌碑
結髪勤王事中年侍聖君
老來濟世志不肯伍仙群
奉祝 青山田中先生耆徳
皇紀二千六百年三月二十八日
田中光顕公追慕會
明治天皇御製
昭憲皇太后御歌 歌碑
明治天皇が明治17年(1884)に当地へ行幸された際の御製と、昭憲皇太后が詠まれた御歌2首。
明治天皇御製
春の半頃山ふかく狩し
ける折に鶯の鳴くを
きゝて
春ふかき山の林にきこゆ
なりけふをまちけむ鶯の
聲
昭憲皇太后御歌
御狩場よりかへらせたまひ
ける日狩場雪といふことを
兎とる網にも雪のかかる日に
ぬれしみけしを思ひこそやれ
おなしおり深山鶯といま
ことを
春もまたさむきみやまの
鴬はみゆきまちてや鳴き
はしめけむ
正二位勲一等伯爵 田中光顕 謹書
明治百年
記念の樹
明治天皇御野立所跡の碑
皇紀二千六百年仲秋建立(1940年/昭和15年)
明治天皇御野立所
海軍大将末次信正謹書
御野立所からの遠望
桜ヶ丘公園
参考リンク
〆