歩兵第24聯隊「福岡聯隊の跡」(福岡博多の戦跡散策5)

福岡の聯隊「歩兵第24聯隊」の跡地散策。

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歩兵第二十四聯隊

歩兵第二十四聯隊、通称「福岡聯隊」。
明治17年(1884年)、小倉にて歩兵第14聯隊第1大隊ほかから抽出された第1大隊が編成されたことに始まる。
明治21年(1888年)、第6師団が創設され、福岡城内が正式な聯隊衛戍地となる。
明治27年(1894年)、日清戦争に従軍。第2軍隷下。
明治29年(1896年)、第6師団から第12師団に所属変更。
明治36年(1903年)、陸軍管区改正により、歩兵第23旅団に編入。
明治37年(1904年)、日露戦争に従軍。第1軍隷下。
大正7年(1918年)、シベリア出兵に従軍。第1梯団に編入。
大正15年(1926年)、福岡聯隊差別事件が発生し、水平社(被差別部落)との差別解消にむけた交渉が始まる。
昭和7年(1932年)、第1次上海事変に第1大隊を派遣
昭和11年(1936年)、満洲駐屯。
昭和19年(1944年)2月、第3大隊、独立第49旅団に編入。
 ヤップ島に派遣され、終戦まで駐屯。
昭和19年(1944年)12月、連隊主力、台湾高雄州鳳山群林子に移駐。
 そのまま終戦を迎える。

福岡聯隊の跡

1963年に建てられた福岡連隊の記念碑。

題字 中牟田辰六 書

中牟田辰六は、第17代連隊長。在任は、1931年8月1日 -1933年7月31日

福岡聯隊より要員を出した主な編成師団名
第十二師団 第五十六師団 第百十二師団
第十八師団 第六十二師団 第百五十四師団
第二十三師団 第七十師団 第百五十六師団
第三十一師団 第八十六師団 第二百十二師団
第三十七師団 第百九師団 第三百十二師団

かって郷土の人々に福岡聨隊として親しまれた歩兵第二十四聯隊は明治一九年八月十七日 明治天皇から軍旗の親授をうけてこの地福岡城跡に創設された部隊である。
 尓来明治二十七八年日清戦役後三十七八年日露戦役その他の事変に出動し輝かしい武勲をたて 平時あっては衛戌地の信頼を厚くし国運の伸張と社会の安寧とに多大の貢献をなした 大正の第一次世界大戦においてはシベリヤに出征し、昭和の第二次世界大戦においては部隊の主力は満州に駐屯中であったが 昭和十二年八月第十八師団歩兵第百二十四聨隊 同十四年四月第三十七師団歩兵第二百二十六聨隊 同十五年七月第五十六師団歩兵第百十三聨隊 同十九年五月第百九師団歩兵第三百十二大隊 同三百十四大隊等の諸部隊がつぎつぎに編成され 郷土部隊は遠く中南支 マレー ボルネオ ガダルカナル ビルマ 雲南等の各地に転戦敢闘した 第百九師団の硫黄島部隊 第三十二軍の沖縄部隊は ついに名を後世に残して玉砕した また国土防衛のための部隊が編成され南九州等に赴いて護國の任に當った しかるに昭和二十年八月十五日終戦の詔勅下るにおよび 勇強を天下に誇った福岡聨隊も一切の軍備撤廃にともない 創設以来六十余年の歴史に終止符がうたれた
 そして兵営の跡には平和台競技場その他の体育施設があいついで完備し 兵営の殆ど滅失して往事を偲ぶよすがとなるものはすでにして數株の樹木のみという有様となった まことに感慨無量なるものがある
 ここに有志相諮り 福岡聨隊の歴史を回顧し国事に殉じた戦友の英霊を慰めるために 記念碑一基を建立し事跡の一端を刻んでこれを後世に伝えることにしたところ 幸にも郷土各位の賛同をえて目的を達成することができた 一同の感激これにまさるものはない 記して大方の厚意に深甚の謝意を表す
 昭和三十八年五月三日  福岡聨隊跡記念碑建設会

陸軍境界標柱が4つ。

営門の桃の木

舞鶴公園
福岡城跡に位置し、大濠公園に隣接している。

福岡城址のある同場所には、1871年に福岡県庁が設置。
福岡県庁が、1876年に福岡市中央区天神に移転したのち、陸軍第12師団歩兵第24連隊駐屯地が置かれるが、第二次世界大戦後、福岡城址、連隊跡地をまとめる形で当公園が設置された。
舞鶴公園には、「平和台総合運動場」が併設され、そのほかにも続々と公共施設等が建築された。

福岡城址

※撮影:2025年7月


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