静岡大学浜松キャンパスは、かつて、陸軍の兵営地であった。
わずかに残る当時の痕跡を巡ってみたいと思う。
静岡大学浜松キャンパスに展開していた陸軍部隊。
目次
歩兵第67聯隊(第15師団)
明治40年(1907)10月26日、豊橋歩兵18聯隊兵営内で事務を開始。
明治41年(1908)3月26日、浜松の新兵営に移転。
明治41年(1908)5月8日、軍旗拝受。
大正14年(1925)5月1日、宇垣軍縮により廃止。
歩兵第18聯隊第3大隊(第3師団)
その後、浜松の兵営には「歩兵第18聯隊第3大隊」が展開。
宇垣軍縮により、第15師団も廃止となったために、第3師団に復しての駐留であった。
高射砲第1聯隊
大正14年(1925)、豊橋に高射砲第1聯隊が設置。高射砲聯隊は作戦部隊ではなく、教育部隊であった。
昭和3年(1928)、歩兵第67聯隊跡地であった浜松に移駐。
千葉陸軍高射学校浜松分教所
高射砲第1聯隊は、昭和18年10月に、転出し、跡地には「千葉陸軍高射学校浜松分教所」が展開された。
昭和20年7月25日に、本土決戦態勢を整えるために、赤穂陸軍高射教育隊に編成。そのまま終戦を迎えた。
戦後、千葉陸軍高射学校浜松分教所(高射砲連隊)の跡地は静岡大学工学部に、練兵場跡地は市営住宅と和地山公園などになった。
歩兵第67聯隊の門柱(静大浜松キャンパス)
敷地の東面北端に。
現在は使用されておらず、門柱のみが残る。
歩兵第67聯隊の門柱(静大浜松キャンパス北門)
敷地の北面。
それなりの趣があるので、当時からのものかもしれない。
高射砲第1聯隊弾薬庫跡
往時は弾薬庫、今は核燃料物質の貯蔵庫。。。
高射砲第1聯隊の土塁
静岡大学浜松キャンパスの北西部は、当時の土塁が残っている。
静岡大学浜松キャンパス
敷地内はだいぶ綺麗で新しく建屋が多い。
一昔前は、ほかにも高射砲聯隊時代の建屋が残されていたというが、今は見る影もない。
場所
昭和天皇親閲記念碑
和地山公園は、かつて練兵場であった。公園の一角に記念碑がある。
昭和5年(1930)、 昭和天皇行幸時の親閲記念碑。
御親閲駐蹕坐處
裏面は風化しており判読困難。昭和6年5月に建立されたことはわかった。
和地山神社
和地山公園。陸軍演習場の跡地。
場所
浜松憲兵分隊の陸軍境界石
高射砲第1聯隊の兵営地があった静岡大学浜松キャンパスの南。
この場所に「浜松憲兵分隊」が駐留していた。
逆にいうと、この場所より北側が兵営地や演習場、飛行場など軍用地として重要な地であった。
陸軍用地
㐧二号
場所
※撮影及び散策は2020年11月