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多摩陸軍飛行場(横田基地)の格納庫

在日米空軍横田基地で「日米友好祭フレンドシップフェスティバル2022」が、5月21日22日にかけて、3年ぶりの開催された。

実は横田基地は初めて。
事前学習せずに、何気ない気持ちで行ってみたら、大行列と雨に巻き込まれて散々な状態となり、写真もまともに撮れていないひどいありさま。今回の記事は、掲載を見合わせようかと思うレベルではありましたが、来年以降のリベンジの念も込めて、かなり半端な内容ですが掲載します。

2023年にリベンジしました。
より詳細な記事は、以下にて

在日米空軍横田基地「日米友好祭フレンドシップ・フェスティバル2023」(日米友好祭2023)第47回目だそうで。年に一度の横田基地、散策し...

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位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R556-No1-80_19471114
1947年11月14日に米軍が撮影した航空写真を加工。

拡大。

当時の写真と、Google航空写真との照合を行ってみる。
横田に行く前に事前に、この照合作業をおこなっていれば、よいものを、今回は手抜かりもあり、記事に漏れが多数。。。

日本戦跡協会さまより、
「南の右の格納庫は、米軍が建てたもの」とコメントを頂きました。


多摩陸軍飛行場(福生飛行場・横田飛行場)

昭和15年(1940)、立川陸軍飛行場の付随施設として建設。
同年4月に、陸軍飛行実験部(陸軍航空審査部飛行実験部)が立川から多摩に移転。
大戦末期の本土防空戦時には、飛行実験部戦闘隊を「福生飛行隊」と通称し、第10飛行師団指揮下の臨時の防空飛行部隊として投入され、戦果も上げている。
戦時中の米軍は、従来把握していなかった多摩陸軍飛行場を「横田飛行場」と名付たことから、「横田基地」と呼ばれるようになった。
終戦後は、アメリカ軍に接収され、朝鮮戦争やベトナム戦争でも積極的に活用された。


横田基地に残る陸軍の格納庫

上記の位置関係と照合した結果、格納庫がいくつか残っていることがわかる。

三角屋根の格納庫が当時からの格納庫。
オスプレイと一緒に写る。

こちらも当時からの格納庫。最南部。

撮影していた格納庫の写真は以上のみ。
記録写真としても、まったくできていないので、リベンジが必須。

オスプレイ
初めて垣間見たオスプレイは、おもったよりも小さかった。

2022
Firendship Festival
Yokota Air Base

いろいろ

いろいろ。

また、リベンジします。

※撮影:2022年5月


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