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私の片隅散策「呉編」その4

平成29年3月

広島・呉散策
・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・呉編)


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「この世界の片隅に」 私の片隅散策

すずさんの嫁いだ街「呉」
海軍と共にあった街「呉」

平成29年3月5日。私は呉にいた。
すずさん時代と海軍時代、重なる2つの時代の足跡を辿りながら呉の街を巡ってみたいと思う。


「歴史の見える丘」界隈から北上します。
次の目標は旧海軍病院。
この時点で時間は午前10時45分。駅前をレンタサイクルでスタートしてかれこれ2時間45分経過。
なかなかの密度ですが順調に予定をこなしております。

旧海軍練兵場跡

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「入船山公園」グランド
この場所は元々は旧海軍「練兵場」。

この練兵所の後方、現在の海自呉教育隊(未撮影)の地が「呉海兵団」。
「この世界の片隅に」では、周作さんが法務の一等兵曹として訓練を受けた場所。

呉海軍病院跡

「独立行政法人国立病院機構呉医療センター」の地が、かつての「呉海軍病院」。
唯一残存する海軍病院時代の構造物とされる。
「この世界の片隅に」作中でも御見舞にいくすずさんと晴美さんが登っていきました。
「こっち?」
「病院じゃけおとなしうせんとね」

この病院の片隅に。

呉海軍病院跡
元海軍軍医少将 金井泉書

呉海軍病院沿革史を見ていたら、終戦後は大竹の海軍潜水学校跡に移動して診療再開している記事がありました。
知らずと大竹の潜水学校跡にも行ってましたましたね。

「呉海軍病院」
昭和20年9月29日に駐留軍の進駐決定により10月28日に大竹海軍潜水学校跡に移動し診療を再開。国立大竹病院となる。呉海軍病院は国立呉病院として昭和31年に再発足。

平成29年(2017年)3月撮影 岩国方面でスキマ時間が出来た際に寄り道を。天気は芳しくない中でも、隙間時間の過ごし方を悩む。 岩国...

底栗車之塔(チリシャの塔)

呉海軍病院では実験動物の慰霊碑を建てて毎年慰霊祭を行っていた。
行方知れずであった慰霊碑が昭和50年に発見され、呉海軍病院の地に再び建立された。
「底栗車」とは梵語で畜生という意味。
昭和9年9月に実験動物慰霊塔が建立されている。

余談ですが。
実は、「呉海軍病院跡碑」を探すのにだいぶ苦労しました。
10分位ぐるぐると探し回ってしまい。

参考としてメモを貼っておきます。
病院敷地内は、特に立ち入りの制限は記載ありませんでしたが、常識の範囲内で静粛に。

呉軍法会議所跡

かつてこのあたりに「この世界の片隅に」の周作さん勤務先の呉軍法会議所があたという。現在は海自敷地。

亀山神社

午前11時30分。
「入船山」から北東の方向「亀山神社」に移動。
(入船山はまたのちほど戻ってまいります)

旧呉地区の総鎮守。
旧社格は県社。現在は神社本庁の別表神社。 八幡系の神社となります。

宇佐に鎮座していた八幡神が豊後国姫島・安芸国栃原を経て大宝3年(703)8月15日に宮原村亀山(入船山)に遷座したのに始まる。
明治19年(1886)、亀山(入船山)に呉鎮守府(長官官舎)を開設するのに伴い現在地に遷座。

※写真は入船山記念館にて

旧鎮座地にあたる入船山記念館「呉鎮守府長官官舎」の敷地内には一対の狛犬」が残っていたりしますが、記念館ボランティアの人が言うには「もともとこの地に鎮座していた亀山神社の名残」だそうで。

余談。入船山記念館の話はまたのちほど。ひとまず神社に戻ります。

御朱印を頂戴致しました。
オリジナルの御朱印帳は3種類ございましたが、荷物の兼ね合いと懐の兼ね合いと際限の無さを天秤にかけて自粛致しました。

→御朱印帳
 http://www.kameyama-jinja.com/menusyuin.html

現在の亀山神社には旧海軍を感じさせる何かは格別に残っていないけど、その由緒は元鎮座地が海軍呉鎮守府ともなっており無縁ではなく。
現在の亀山神社の鎮座地も高台であり呉港を見渡す眺望。
その鎮座地の下には呉線が走っている。
さてここから市内中心地へ向かおうと思う。

散策した順番は前後するけども、ここで「入船山」に触れていきます。

入船山記念館(入船山公園)

15時10分すぎ。 「入船山記念館(入船山公園)」へ。
(先に呉市立美術館でポストカードを貰ってきてましたが「すずさんの嫁入り」ラリーなどはのちほどまとめて)

旧・東郷家住宅離れ
入船山記念館(入船山公園)

東郷平八郎が呉鎮守府参謀長(海軍大佐)時代に呉に在任していた際(1890~1891)の居宅離れ座敷。 もとは宮原もにあったものを当地に移築保存されている。 登録有形文化財指定。

通路の石

何気ないこの石畳。
「通路の石」は、日本で六番目に開通した呉市内電車(1909~1967まで57年間運行)の敷石。
うん、すずさんの時代だw

旧呉海軍工廠塔時計

大正10年(1921)に呉海軍工廠造機部屋上に設置されたもの。
昭和46年に入船山記念館内に移設。
愛知時計電機株式会社の協力を得て時計としての機能を回復。
(愛知時計電機といえば海軍ゆかりの愛知航空機)

番兵塔

警備のために長官官舎や海兵団入口に建っていたもののひとつ。
「この世界の片隅に」劇中でも類似のものが登場してましたね。
礎石は足の部分ですり減っています。昼夜この場所に水兵さんが直立されていたわけで。

ボランティアガイドの詰め所のレンガ建物は、初代の呉鎮守府の庁舎レンガを流用したものだとか。

往来安全石灯籠

明治17年に広と郷原を結ぶ旧街道に建てられた常夜燈の一つを移築。
(海軍さんとは関係ないですね。)

火薬庫

明治32年(1899)から3年かけて建てられた石造建築物。
昭和42年に警固屋高烏砲台跡から移築。
(警固屋は青葉終焉の地の近くですね。)

ちなみに火薬庫の下側はアーチ状の空間となっている。
湿気防止ですね。

要塞地帯境界柱

ここから先は軍用地!立入禁止!の境界柱。

四十五口径十年式12cm高角砲の砲身

砲身。
奥は「四十五口径十年式12cm高角砲の砲身」
手前はパロット砲?

呉鎮守府長官官舎(国指定重要文化財)

ふぁっ!? 正面の洋館部が修復工事中でした。
ちなみに私は過去にこの場所に3回来たことありますが、今回を含めて2回は修復工事中でした、とか。
まあ、こればかりはしょうがないことです。

まあ、官舎内はざっくり。
洋館部と和館部の融合が醍醐味。

世の中には良き写真が大層でまわっているので。
(修復中でモチベさがったらしいw) こちらは洋館部。

明治38年竣工。 和館部。

水蓄式重油槽

何気ない蓋は「水蓄式重油槽」
旧海軍の燃料タンク基地の水蓄式重油槽の鉄蓋。

海軍水道防火栓

明治22年(1889)
日本で2番目に竣工した近代水道(海軍水道・海軍専用)の防火栓(消火栓)。

旧・水交神社

水交社の守り神。昭和18年に海軍によって建立。
祭神は天照大神。
終戦後、海軍解体のため祭主を失った同神社は、戦災のため焼失した亀山神社の仮社殿として同神社にて奉祀。
亀山神社再建後の昭和43年4月に水交会呉支部により復元。

旧・水交会神社由来

この水交神社はこの麓にあった旧水交社の守り神として、昭和18年海軍の手によって建立され、天照大神を祀ったものである。
終戦後、海軍解体のため祭主を失った同神社は、たまたま戦災のため焼失した亀山神社の仮社殿として同神社に迎えられ同神社の祭神とともに奉祀せられた。
昭和30年、亀山神社改築後、この社殿は一時転々として一市民の手によって保存されていた。
その後、この社殿が旧水交神社のものであることが判明、水交会呉支部(旧海軍士官の会)の好意により史跡として旧形の通り昭和43年4月このところに復元したものである。

萬古清風の碑

呉鎮守府司令長官海軍大将野村直邦書
(呉鎮長官在任:昭和18年10月20日 -昭和19年7月16日)

古来より変わらない、清らかな風…

至誠の碑

これは海軍第二門の衛兵所(国立呉病院と清水丘高校との境)跡にあったもので、当時の衛兵によって、昭和19年6月8日に建てられたものをここに移したものである。
昭和42年6月8日

「入船山記念館(入船山公園)」 郷土館を見学。

うん、だんだん慣れてきたw・・・と思いきや、
すずさんの脇に「のんさん(能年玲奈さん)」のサインがあって無駄にテンションあがる私がいたり。

資料館では呉の繁華街の写真がございました。
呉四ツ道路、市内電車・・・
このあたりは呉空襲で灰燼に帰してしまいましたが、すずさんも見たであろう繁華街の光景でもあり。 (写真は明治後期ですが)

第三喞筒室の銘板

そういえば火薬庫の下に、なにやら石版が落ちていて(?)、ちょうどボランティアの人がいたので聞いてみたら「なんだろ、わかんない」と。どうやら展示準備中なのかな。
調べてみたら「第三喞筒室」銘板。どうやら呉工廠のポンプ室らしい。

そのボランティアのおじさんが面白い話を。

「戦艦大和の大きさを体感してみませんか?」
「え?」

入船山記念館と病院のある端から、突き当りまでが約263m。
これが戦艦「大和」の全長と同じ。
なんと、目の前の道路で大和の長さが体感できる!

さて、続きは、その5で。

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「この世界の片隅に」 散策ガイド

現地散策の参考に。
「この世界の片隅に ロケ地マップ」 (呉市)

有志作成のgoogleマイプレイス この世界の片隅に_ロケ地MAP

映画「この世界の片隅に」ゆかりの地をマッピングしています。 独自の情報、考察を追加しています。 ●青実線=すず幼少期の海岸線 ●黄色実線=すずが砂糖を買出しに行った「とうせんば」など Filming locations guide to "IN THIS CORNER OF THE WORLD";"Kono seka...

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