サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

「熱田大空襲の慰霊巡拝」愛知時計電機・愛知航空機(名古屋)

昭和20年6月9日、名古屋の熱田に集中的に空襲があった。

名古屋大空襲のひとつに数えられる「熱田空襲」。
そのターゲットは愛知時計電機と愛知航空機であった。


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熱田空襲

昭和20年6月9日、名古屋市熱田区の愛知時計電機船方工場・愛知航空機(現愛知機械工業)工場周辺に米軍が実施をした空襲。
米軍の爆撃機編隊は通常の爆撃航路とは異なる航路で突如として名古屋を襲撃。日本軍は当初の航路から名古屋の空襲警報を解除しており、不意をつかれたことから被害が広がり、結果、愛知時計電機・愛知航空機工場で働いていた従業員や動員学徒約2万2000名のうち1045名が死亡、重軽傷者約3000名、周辺住民も数十人死亡した。(従業員や周辺住民あわせて約2000人が死亡、重軽傷者約2000名との説もある)
この空襲は、9時30分から40分にかけての約10分間の空襲であったという。

米軍は、「エンパイア作戦」として、複数の重工業地点を同時に襲撃し日本側の迎撃態勢を分散させる作戦を立案し、この6月9日は、兵庫県西宮市の川西航空機の鳴尾製作所、兵庫県明石市の川崎航空機の明石製作所、そして愛知県名古屋市熱田区の愛知時計電機、愛知航空機が爆撃をされたものであった。
そして、2トン爆弾が日本で最初に使われた日でもあった。


愛知時計電機と愛知航空機

もとは、機械式時計メーカーの一つ。現在の愛知時計電機株式会社は時計事業からは撤退しているが、歯車技術を応用して精密計測機器メーカーとなっている。
戦前の同社は、やはり時計製造による技術・資本蓄積によって派生した機械、電機、化学部門などを活かし軍用航空機やエンジン製造に携わっていた。

1893年(明治26年)に「愛知時計製造」として創立。
日露戦争時の1904年(明治37年)に陸海軍から砲弾の信管などを初めて受注。
1912年(明治45年)に「愛知時計電機」に社名を改称。引き続き機雷や魚雷発射管の製造の他、艦砲用の射撃盤(射撃データの機械式計算機)の国産化にも協力し海軍との関係が深かった。
また、航空用エンジンの生産も手がけ、大戦中は水冷エンジン「アツタ」の製造をしている。
大戦中の1943年(昭和18年)には航空機増産のために同社の航空機部門を独立させて「愛知航空機株式会社」(現在の愛知機械工業)を設立。
1944年(昭和19年)12月7日の東南海地震では機体組立の中心工場だった永徳工場の製造用治具が乱れ、以後の航空機生産に大きく影響した。
更に1945年(昭和20年)6月の空襲(熱田空襲)により主力の船方工場が大きな被害を受け、そのまま終戦を迎えた。

「愛知時計製造」及び「愛知航空機」の代表作
・九九式艦上爆撃機
・流星
・流星改
・零式水上偵察機
・瑞雲
・晴嵐
・九八式水上偵察機(夜偵)
・水冷式発動機「アツタ」
など。

平成29年1月撮影 愛知航空機永徳機体工場スリップ跡。 (稲永スリップ跡) 平成29年1月28日午後。名古屋駅から「あおなみ線...

慰霊地藏尊(愛知時計電機)

愛知時計電機の正門脇に鎮座する慰霊地蔵尊。

熱田空襲の犠牲者を慰霊。

三界萬靈

合掌

地藏尊建立縁起
過グル第二次世界大戦當時當愛知時計電機株式會社ニハ從業員並ニ動員學徒ヲ併セ二萬二千名就業セリ
時ニ昭和二十年六月九日午前九時三十分ヨリ同四十分ニ至ル約十分間ノ空襲ニヨリ忽チニシテ工場一帯ハ當社関係死者一一四五名重軽傷者三〇〇〇名更ニ地方人死者一〇〇〇名ノ一大修羅場ト化セリ
嗚呼惨シイカナ 茲ニ終戰後五年船方工場再建セラル丶ニ當リ同志相謀リ隨喜ノ寫經ヲ埋藏シ地藏尊一軆ヲ建立シ以テ右殉國諸靈魂ノ冥福ヲ祈ラル各靈位願クハ此ノ功徳ニヨリ佛果菩堤ヲ證得セラレンコトヲ
 昭和二十四年六月九日
  覺王山主
   勅賜襌師瓏仙記

場所

愛知時計電機 正門

堀川沿いの新建屋


第二次大戦非戦闘員横死者諸霊之追善菩提

愛知時計電機株式会社本社の北側に。
熱田空襲の犠牲者を祀る。

爲第二次大戰非戰鬪員横死者諸靈之追善菩提

愛知時計電機関係者以外の犠牲者を祀る。
合掌

昭和二十年六月九日此の白鳥橋周邉に於て米軍爆撃により無量数百名の一般人名を失ひよつて将來の平和と安定を祈り被爆死者等の冥福を謹みて祈願するものである
 維時 昭和三十三年八月吉祥日
 發願 廣小路徳風會
 隨喜 一般有志者

場所


熱田空襲の被爆堤防

以前の記事から抜粋。

平成29年1月 ・名古屋陸軍造兵廠跡 ・熱田神宮被爆鳥居 ・堀川被爆護岸堤防 平成29年1月29日昼過ぎ。熱田到...

堀川運河。
愛知時計電機のすぐ脇に保存されている戦跡。
そこには、 熱田空襲の爆撃痕を残す堤防が移築保存されている。

この護岸は、昭和八年に築造され、平成四年度から実施した「マイタウン・マイリバー整備事業」による新たな護岸の設置にあたり、撤去したものの一部である。
護岸表面にみられるくぼみは、昭和二十年六月九日のいわゆる「熱田空襲」の爆撃によりできたものである。
 平成八年三月 
  名古屋市

場所:

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殉職者之墓

平和公園墓地に、愛知時計電機株式会社の殉職者のお墓がある。

合掌

殉職者之墓
愛知時計電機株式会社
此の墓は、昭和20年6月9日に熱田大空襲を受け殉職された英霊を祀ったものである。

殉職者之墓

愛知時計電機株式会社

場所:平和公園墓地

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撮影:2023年10月


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