名古屋市の平和公園。
戦後、名古屋陸軍墓地は、平和公園墓地に改葬をされた。
名古屋においては、戦後の復興区画整理に際して、陸軍墓地のみではなく、市街地の寺院墓地も総じて新設された平和公園墓地に集約改葬を余儀なくされた。
目次
平和公園
平和公園のご案内
平和公園は名古屋市の東部に位置し、第二次世界大戦による戦災復興土地区画整理事業の一環として昭和22年5月に「都市計画墓園第1号東保円」として都市計画決定され、市内に点在する279寺の墓地18ha、189,030基の墓碑が集中移転され、墓地と公園が一体化した平和公園が生まれました。(以下略)
平和公園墓地 配置図
寺院ごとに墓地が区画されている。
平和公園バス停のすぐとなりの墓地。
バスは、星ケ丘駅と自由ケ丘駅を結んでいる。
「万国戦没者墓地」が、名古屋陸軍墓地となる。
場所
名古屋陸軍墓地(万国戦没者墓地)
明治8年の陸軍省の通達により、翌明治9年に、名古屋陸軍墓地が現在の新出来公園に設置された。
戦後、名古屋市は戦災復興土地区画整理事業として市内各所に点在する墓地を移転集約し、墓地公園化を決定。
昭和31年に、陸軍墓地も移設され、万国戦没者墓地が新設された。
萬國英霊塔
昭和25(1950)年1月建立。
名古屋市戦災復興墓地整理委員会。
合掌
日清日露戦争をはじめとする合葬碑が並ぶ。
ドイツ人俘虜の墓地
ドイツ人名古屋俘虜収容所もあった。
ロシア人俘虜の墓地
墓地公園
愛知時計電機株式会社殉職者之墓
熱田大空襲で多大な犠牲者を出した愛知時計電機の殉職者之墓も平和公園墓園内にある。
場所
徳川宗春公の墓
尾張徳川家第7代、尾張藩主の徳川宗春公でさえ、改葬されるのが名古屋市戦災復興墓地整理。(もとは、建中寺にあった歴代藩主墓所)。
徳川宗春公の墓は、昭和20年(1945年)に名古屋市が空襲を受けた際、焼夷弾の直撃を受けて、墓石の一部が損傷している。
名古屋藩主代々の墓石は、修復が困難な鵜沼石が用いられており、しばらく損傷した状態であったが2010年に墓碑修復を実施している。
修復前
修復後。焼夷弾の焼け跡はそのまま残っている。
場所
平和公園散策
虹の塔
平和堂
第二次世界大戦による多数の犠牲者を追悼し、人類の平和を祈念する趣旨で計画され、戦災復興事業墓地移転記念施設として昭和39年に完成。
※撮影:2023年10月