日本初のジェットエンジン「ネ20」(特殊攻撃機「橘花」)

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2023年10月に開催された横須賀田浦の海上自衛隊第二術科学校オープンスクール。
企業展示コーナーが解説されており、なんと株式会社IHIのブースで「ネ20」が展示されておりました。


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ネ20

日本で始めて実用段階に到達したターボジェットエンジン。
横須賀追浜にあった海軍航空技術廠(空技廠)が中心となって研究開発が行われた。
並行して試作されていた特殊攻撃機「橘花」へ搭載。
「ネ」は燃焼噴射推進器(燃焼ロケット)の頭文字の「ネ」。

空技廠と石川島重工業(現IHI)が軍民一丸となって開発。
1944年7月にドイツからもたらされたBMW 003の図面を基にしているが、図面の大部分と実物エンジンを搭載していた伊号29潜水艦は撃沈しているために、完全なコピーが出来ない状況での開発であった。
1946年6月にネ20は完成し、12基が試作され、4基が地上試験、1基が空中実験に用いられ、残りが橘花の飛行試験に充当。1945年8月までに約50基が量産されていたという。

ネ20は終戦とともに、東側諸国に対する秘密保持のために、連合国によりほとんどが破壊され、現在は3基が現存している。
そのうちの2基は米国にあり、1基が日本でIHIが「IHIそらの未来館」(通常非公開)で保管。


特殊攻撃機「橘花」

大日本帝国海軍が開発したジェット戦闘攻撃機(特殊攻撃機)。
日本初のジェット機。
ジェットエンジンを、空技廠と石川島重工業、機体を中島飛行機が開発製造した。
1945年8月7日に飛行試験を木更津飛行場で実施し初飛行するも、1週間後に終戦を迎えた。

※画像は、Wikipediaより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kikka_Orange_Blossom_Kikka-10.jpg


現存する国内唯一の「ネ20」ジェットエンジン

はじめて拝見しました。

企業展示コーナーにて

ネ20
IHIの航空宇宙事業の道をひらいた、日本初のジェットエンジン
第二次世界大戦中、海軍航空技術廠により開発された日本初のジェットエンジンである。”ネ”という呼称は「燃料ロケット」のネをとった。ドイツBMW-003A系の構造を参考に開発され、1945年七月に特殊戦闘機「橘花(きっか)に搭載、1945年8月に現・木更津航空基地で高度600m、12分間の初飛行に成功した。1944年12月、東京石川島造船所(現IHI)は5台の量産試作エンジンを受注し、翌年8月1日に横須賀海軍航空技術廠に納入した。IHIの航空宇宙事業は、ネ20から始まった。

Breakthrough Point
限られた物資の中のジェットエンジン開発
ネ20には、限られた物資を有効に使う技術が活かされていた。たとえば、耐熱材料が手に入らず、タービン部は入手困難なニッケルをマンガンに置き換えた鉄ベースの材料で代替した。化石燃料も枯渇していたため、松根油とアルコールを混合して使用した。

四方八方から見学する。

HISTORICAL TURBINE ENGINE
BUILT IN JAPAN
COURTESY OF
NORTHROP INSTITUTE
OF
TECHNOLOGY
INGLEWOOD CALLFORNIA

日本製の歴史的なタービンエンジン
戦後に、米国に鹵獲されたが、現在は、「永久無償貸与、返還要求なし」としてIHIが保管をしている。

米国の銘板、米国での試験時にとりつけられたものか?

貴重な技術遺産。良いものを拝見できました。

※撮影:2023年10月


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