渋沢栄一の暮所(渋沢家墓地)は、谷中霊園にある。
地番は「乙11号1側」。
1858年(安政5年)
渋沢栄一(18歳)、尾高惇忠の妹・尾高千代(17歳)と結婚。
1882年(明治15年)
渋沢栄一(42歳)の妻・渋沢千代(41歳)がコレラで病死。
1883年(明治16年)
渋沢栄一(43歳)は、幕末の豪商・伊藤八兵衛の娘・伊藤兼子(31歳)と再婚。
若き日の渋沢栄一は伊藤八兵衛の元で丁稚奉公をしていた縁があった。
1931年(昭和6年)
渋沢栄一(91歳)、死去。
1934年(昭和9年)
渋沢兼子(82歳)、死去。
目次
谷中霊園
渋沢家墓所(渋沢家墓地)
渋沢栄一墓
青淵澁澤榮一墓
昭和6年(1931年)11月11日死去。享年91歳。
法名は、泰徳院殿仁智義譲青淵大居士
渋沢家の家紋「丸に違い柏」
渋沢栄一墓の向かって左隣に後妻の渋沢兼子(伊藤兼子)の墓。
澁澤孺人伊藤氏之墓
渋沢栄一墓の向かって右には孫の渋沢敬三夫妻墓と、先妻の渋沢千代(尾高千代)の墓。
澁澤孺人尾高氏之墓
渋澤敬三 渋澤登喜子 之墓
渋沢家墓地
以前は堀に囲まれて開放されていない敷地であったが、現在はいつでも参拝できるように開放されている。
場所は乙11号1側
大きな木「タブノキ」が生えている。
渋沢栄一の墓は、主君であった徳川慶喜の墓の方向を向いている。
徳川慶喜の墓も同じ谷中霊園(寛永寺徳川家墓地)にある。