柏駅から柏公園へと足を運んでみる。徒歩では約20分といったところ。
かつて、陸軍墓地として造営が進むも、実際には陸軍墓地として使用されることなく終戦となり、戦後は「柏公園」となった。その柏公園内に、現在は慰霊碑「忠霊之碑」が建立されている。
目次
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル: USA-R522-25
昭和24年(1949年)1月10日、米軍撮影の航空写真を一部加工。
柏陸軍墓地予定地。旧水戸街道から東に参道が伸びる。舌状台地の様子もわかる。
現在の様子。GoogleMap航空写真。
軍都「柏」
軍都柏とも軍郷柏とも称されることになった、千葉県柏市。
柏飛行場をはじめとし、多くの軍事施設が集まる地となっていた。
柏飛行場
昭和12年(1937)6月、近衛師団経理部は東葛飾郡田中村十余二に陸軍の新飛行場を建設する旨を決定。
昭和13年11月に「陸軍柏飛行場」(東部第105部隊)が完成。東京立川から「飛行第五戦隊」が移転してきたことにより、柏飛行場は、帝都防空の航空基地となり、軍都としての歩みもここからはじまった。
昭和20年4月には、ロケット推進戦闘機「秋水」開発のための陸軍の特殊部隊、陸軍航空審査部特兵隊が柏飛行場に進出。柏には、秋水の燃料貯蔵庫なども設けられた。
高射砲部隊
昭和12年10月、「飛行部隊」とは別に、帝都防空のもう一つの主役として「高射砲部隊」が千葉県市川市国府台に高射砲第二連隊が新設。
昭和13年11月に柏飛行場の完成とあわせて、柏(富勢)に「高射砲第二連隊」も移動。帝都防空の一翼を担うとともに、東葛地域の飛行場の防御も担当した。
昭和16年に東京に「高射砲第二連隊」主力が移動。その後、 高射砲第二連隊 の跡地には留守近衛第二師団の歩兵・工兵補充隊が駐留し、昭和20年に東京師管区第二補充隊(東部八三部隊)と同近衛工兵補充隊(東部一四部隊)となった。
その他
昭和12年11月、東京憲兵隊市川分隊柏分遣隊開設
昭和14年2月、第4航空教育隊(東部第102部隊)が開設。飛行機の整備に関する訓練や教育を担当した。
昭和14年4月、陸軍航空廠立川支廠柏分廠も開設され、飛行場に配備されていた飛行機や車両の整備・点検を行う補給機関を担った。
同じ昭和14年4月には、陸軍柏病院が開設。
昭和20年6月には柏(鎌ヶ谷)に、陸軍藤ヶ谷飛行場が完成している。現在の海自下総航空基地となる。
また、昭和18年11月には、柏陸軍墓地忠霊塔も建設された。
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ファイル: USA-M29-58
昭和24年(1947年)2月8日、米軍撮影の航空写真を一部加工。
柏陸軍墓地の門柱
(柏公園の門柱)
現在の「柏公園入口」信号に残る門柱。
柏陸軍墓地の参道ともなる道路の両脇に設けられた門柱。旧水戸街道に面している。
柏公園入口交差点
境界標石?
柏公園入口交差点から参道にはいったすぐのところに。
境界標石っぽい石があった。削れて摩耗しているが、きっと往時の名残。
そのまま参道を歩む。
「陸軍」標石
柏公園の近く。参道脇に。
「陸軍」と刻まれていることがわかる境界標石。
この地が、柏陸軍墓地の造成地であったことを物語る史跡。
柏公園
電話機があった。
電話機のすべり台と、受話器のベンチ。
プッシュホン形すべり台
千葉県の加入電話150万台公衆電話3万台突破記念
昭和56年3月・寄贈電電公社/柏電報電話局
柏公園 忠霊之碑
公園の奥にそびえ立つ「忠霊之碑」。
柏陸軍墓地の由緒を受け継ぐ、慰霊顕彰の碑。
柏公園 忠霊之碑
この地に柏陸軍墓地忠霊塔が建設されたのは、太平洋戦争の最中、昭和18年11月のことでした。戦争が長期化する中で、戦没者を祀るための施設として建設されましたが、終戦に至るまで遺骨が納められることはありませんでした。戦後、この地は、大蔵省(現在の財務省)から柏市が借り受け現在のような柏公園として整備されました。
我が国は終戦時の混乱を経て、復興の道を力強く歩み、経済の発展と国民生活の安定を実現してきましたが、忠霊塔は歳月の経過とともに、破損状態もひどくなり見る影もなくなりました。終戦から十年余を過ぎた昭和31年、柏市でも忠霊碑建設の意欲が高まり、議会の承認を受け、鈴木悦三市長を会長とした柏市慰霊碑建設奉賛会が設立され、市民からも多くの寄付を受け、建設が進められました。
そして、昭和33年7月、戦没者を弔い、そして祖国再興を誓い、永遠の平和への悲願を籠めて現在の忠霊塔の姿に改新築されました。
建設当初、この碑には、明治、大正、昭和を通じた柏市の戦没者803柱が祀られましたが、今では、その後判明したシベリア等の抑留死者、あるいは平成17年に柏市と合併した旧沼南町の戦没者などを含む合計1023柱が祀られています。
また、市内にはその他に慰霊碑が30か所あり、忠霊之碑はそれらを代表する碑にもなっています。
昭和から平成、そして令和へと時代が流れても、今日の日本を築いてきた多くの先人達に想いを致し、我が国及び世界の平和を改めて祈念する心の拠り所として、この忠霊之碑はあります。
令和元年12月
柏市
入り口は封鎖されている。
ちなみに忠霊の碑の後方はブルーシートでテントが構築され、居住されている方がいたために近寄らず。。。
柏公園内には、「聖徳太子の碑」もあった。
明治26年建立、陸軍墓地造成よりも古い碑。もっとも最初からこの地にあったか、移転されてきたものかは不詳。