陸軍工兵学校跡地散策(松戸)

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千葉県松戸市。
松戸駅のすぐ東側の高台に、かつて陸軍の学校があった。そんな駅チカ戦跡散策を実施してみる。


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位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M860-194
昭和23年(1948年)3月29日、米軍撮影の航空写真を一部加工。

上記、航空写真を一部拡大。
「松戸工兵学校」のあった台地は、かつて「相模台城」と呼ばれていた城跡でもあり。
この地は、城跡=競馬場跡=陸軍工兵学校跡、でもあった。

Google航空写真で現在の様子を。
松戸駅のすぐ東側。松戸中央公園・聖徳大学・松戸市立第一中学校を中心に、往時の境界線を今でも感じることができる。


陸軍工兵学校(松戸)

大正8年(1919)、相模台にあった松戸競馬場の跡地に開校。
日本陸軍が創設した工兵教育・下士官教育・甲種幹部候補生教育の為の学校であり、工兵用兵器資材の研究試験なども行われた。
日本陸軍では、騎兵・砲兵。歩兵などの学校はすでにあったが、松戸に設置された、工兵学校は、日本陸軍唯一の工兵学校であった。
現在の松戸中央公園・聖徳大学・松戸市立第一中学校・相模台公園・法務局松戸支局・松戸簡易裁判所・松戸市立相模台小学校などのある高台が、そのまま松戸工兵学校であった。


松戸駅から松戸中央公園へ

あとあと歩いてみて気がついたことではあったが、松戸駅前にそびえ立つ「イトーヨーカドー」の後ろが、陸軍工兵学校の地であり、イトーヨーカードーの店内を抜けて行くのが目的地への最短ルート。もっともそれは味気なさすぎるので、外周から赴くが。

聖徳大学に向けて歩く。陸軍工兵学校の敷地は今は聖徳大学となっている。

聖徳大学

ついつい「しょうとく」と読みたくなるが、「せいとく」が正しい読み方。
女子一貫教育を行なっている。大学院と通信教育課程のみ男女共学というが、基本は女子大のイメージ。
聖徳家政学院として昭和8年(1933年)に創立。陸軍工兵学校のあとにこの地に展開していた千葉大学工学部が転出(昭和39年)したのちの昭和40年(1965年)に千葉県松戸市に聖徳学園短期大学を開設。


「陸軍」境界標石(陸軍工兵学校・西部)

イトーヨーカドーから高台を右手に北上をする。
さっそくありました。境界石。
下は埋もれていますが、はっきりと「陸軍」と読むことができます。

場所

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「陸軍用地」境界標石(聖徳大学入口)

この細い路地を「女子大」の入り口とするのもどうかと思うが、ここを進むと「聖徳大学」に赴くことができる。
陸軍工兵学校の戦跡散策としても、ここが重要なポイント。

「陸軍用」と見ることができる境界標石。「地」は埋もれてますね。

場所

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聖徳大学石段小路

石段を登っていきます。絶対、女子大の入り口ではないだろ、この雰囲気は。

「松戸市」の標石

このあたりは、どうだろう。

埋もれているし、摩耗しているからなんともいえないけど、もしかしたら、陸軍の標石かもしれない。


「陸軍用地」境界標石(陸軍松戸工兵学校・北部)

石段を登りきった突き当りに、「陸軍用地」境界標石と「コンクリート造の倉庫」がみえる。
ここの「陸軍用地」は、立派に存在感を放っていた。

上部に矢印が刻まれている。これは、矢印の範囲で陸軍の敷地を示していると思われる。
この場所でいうと内側の90度が陸軍敷地外で、外側の180度は陸軍敷地内、か?

場所

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陸軍工兵学校の倉庫跡

陸軍工兵学校の倉庫、とされるコンクリート造の建物が残されている。
この先にある旧公務員住宅(相模台住宅)は閉鎖済み。このあたりも近いうちに再開発されるのだろうか。この先はどうなるかわからないが、少なくとも1945年に廃止されてから、75年以上たっているが2021年7月現在では、残っている。
陸軍工兵学校の軽油保管庫(軽油庫)とされている。
扉の上位部の穴から煙突が出ていたと思われ、気化したガスを抜くための穴であったことが予想できる。

場所

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松戸中央公園

そのまま歩むと、イトーヨーカドーの裏、聖徳大学の入口、に到着する。
その先は、松戸中央公園。公園内には、いくつか往時を物語るものが残っている。

陸軍工兵学校跡

記念碑がある。ここに陸軍工兵学校があった証。

宮原國雄
明治7年(1874)7月15日、広島県福山市生まれ。
昭和46年(1971)8月26日に享年97歳で没。
軍歴は、陸軍中将。陸軍士官学校を卒業し、陸軍砲工学校に入校。工兵畑を進む。
明治35年(1902)に陸軍工兵大尉となり、英国チャタム陸軍工兵学校に入校。日露戦争勃発のために帰国し第三軍工兵部副官として、旅順要塞攻撃や奉天会戦などに参戦。
大正6年(1917)、 陸軍工兵大佐となり陸軍省軍務局工兵課長に就任していた宮原國雄が工兵学校設立を進言したことにより、大正8年に工兵学校が設立したきっかけとなったとされている。 その後も、大正14年(1925)、佐世保要塞司令官、大正15年(1926)に陸軍中将となり、陸軍砲工学校校長などを歴任している。
宮原國雄は、昭和2年(1927)に予備役編入となっているが、その後も昭和46年まで余生を全うした。

陸軍工兵学校跡
 元陸軍中将 宮原國雄謹書

陸軍工兵学校は主として工兵が技術を研究練磨しその成果を全国各工兵隊の将兵に普及する使命をもって大正八年十二月一日景勝の地ここ相模台上に創立せられ逐年その実績を挙げ大正十五年十月二十八日摂政宮殿下の台臨を始めとして幾多の栄誉に浴せしが昭和二十年戦争の終局とともに光輝ある二十七年の歴史を閉じたり。いま台上往年の面影を留めずよって縁故者あい謀り記念碑を建立して後世に遺す。 
 昭和四十二年四月 
 工友会


陸軍工兵学校の跡地には、千葉大学工学部が進出していた。
千葉大学工学部が千葉市に移転した後に、聖徳大学がこの地に展開し、現在に至る。

千葉大学工学部跡

千葉大学工学部跡
 ここは昭和20年10月から同39年7月まで、旧制東京工業専門学校とそれに引き続く千葉大学工学部、同工業短期大学部があった場所です。
 両校の前身である東京高等工芸学校は大正10年、東京芝浦に創立されました。戦時下の昭和19年3月東京工業専門学校と解消され、同20年5月戦災による焼失のため、旧陸軍工兵学校のあった当所に移転してきました。
 昭和24年学制改革により新たに千葉大学として発足し、同39年千葉市に移転するまでの19年間、この地で多くの人材を輩出してきました。
 本年、創立80周年を記念し、ここに沿革を記します。
  平成13年12月吉日 
   千葉大学工学部
   千葉大学工学同窓会

松戸中央公園。
陸軍工兵学校の前は、松戸競馬場であったというが流石にその面影は残っていない。


旧陸軍工兵学校正門門柱
旧陸軍工兵学校歩哨哨舎

松戸中央公園の正門は、往時は陸軍工兵学校の正門であった。
往時と今と、門柱などがかわらずに、入り口の役目を果たしている。

松戸市 市指定有形文化財
○松戸中央公園正門門柱
 (旧陸軍工兵学校正門門柱)
○旧陸軍工兵学校歩哨哨舎

旧陸軍は、工兵のより高度な技術研修のため、相模台にあった松戸競馬場(船橋市・中山競馬場の前身)跡地に大正8年(1919)工兵学校を開校し、昭和20年8月まで存続させました。
煉瓦造の正門は、大正9年に造られたもので、市内に残る数少ない煉瓦建造物です。警備のための歩哨哨舎は、竣工当時木造でしたが、昭和2年から昭和10年頃にコンクリート造にしたものです。
正門は、門柱頂部の門灯と門扉がなくなっていますが、現存する門柱4基と歩哨哨舎が当時の様子を伝えています。
 平成21年6月18日
  松戸市教育委員会

門扉のレール跡もくっきりと残っている。

門灯と門扉はなくなっているが、堂々たる風格。

門柱の隣には、歩哨舎。

関東近郊で、気楽に立ち入りできる歩哨舎は貴重。

場所

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「陸軍用地」境界標石(陸軍工兵学校・西部)

正門跡から坂を下る。
かつて工兵学生たちが、訓練を終えて最後に駆け上がっていた急勾配の坂は、「地獄坂」と呼称されている。
そんな「地獄坂」は、今も昔も変わらぬ場所に。
その坂の途中に、境界石があった。

くっきりと残る「陸軍用地」境界標石。

場所

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相模台公園

地獄坂の南側の高台にある「相模台公園」。
この南側の高台には、「馬場」や「校南作業場」や「相模台練兵場」などがあった。

場所

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相模台公園の片隅に、ひっそりと忠魂碑があった。
合掌。

松戸市忠魂碑

忠魂碑
総理大臣 吉田茂謹書

松戸市忠魂碑
 この碑は明治維新以降、日清日露、第1次世界大戦、満州事変、支那事変、大東亜戦争、その他に於て、国のため一命を捧げた本市出身の将兵、当時千二百二十柱を合祀せる、松戸市戦没者慰霊の碑であります。
 本市社会福祉協議会と建設特別委員会の合同により、昭和三十一年三月末、この地に建設されたものであります。
 その費用の内には当時大関「松登」が全盛時代の頃であり本市に於いて大相撲を開催し、その利益金を寄附されたという話も聞いております。
 遺族会では、毎年春彼岸、お盆、秋彼岸とお正月に各支会の役員により聖僧都参拝をし、市の追悼式当日には、常任委員会全員の参拝を実施しております。
 現在は、転入御家族の増加に伴い、千八百余柱の御霊をお慰めする鎮魂の碑として市内全域から高く崇められておるものであります。
 先の大戦から既に七十年が経ち関係syが徐々に少なくなってきている時期にあたり国家国民のために命を捧げられた先人に感謝の念をもってその御心を体し後世に傳えると共に我が国の平和と発展を祈念しここに忠魂碑の謂れを明らかにするものであります。
註記
 昭和三十年八月五日までに、大東亜戦争のため海外に居た日本軍将兵は母国へ帰国した。
 然し、ソ連は満州に居た日本軍将兵約六十万人を強制的にシベリヤへ抑留し、日本へ帰国させずに苛酷な労働を強いた。このため約六万人が病に倒れ、彼の地で亡くなった。
 その中には松戸市出身の将兵十余人がおり、この松戸市忠魂碑の御霊千二百二十柱の中に含まれている。
 平成二十七年八月吉日
   松戸市社会福祉協議会 松戸市遺族会 東葛偕行会


「陸軍用地」(陸軍工兵学校・南西部)
相模台公園

相模台公園の中にも「陸軍用地」境界標石があった。公園の中=相模台の高台となるため、正直いって公園の中にあることがイマイチ理解できないが、移転してきた?

相模台城の郭があったっぽい公園。

相模台城と第一次国府台合戦

「相模台城」は、戦跡としても著名。もちろん近代陸軍ではなく、中世の戦跡として。

天文7年(1538)に勃発した「第一次国府台合戦」。
房総の豪族であった真里谷氏や里見氏に擁立された小弓公方・足利義明は古河公方や千葉氏と対立していた。関東で勢力を広げていた後北条氏・北条氏綱は、扇谷上杉氏の本拠地であった河越城をい攻略。古河公方・足利晴氏は、小弓公方・足利義明や扇谷上杉氏との対抗で、北条氏綱と同名を結ぶことで、小弓公方・ 足利義明と北条氏綱が激化。
国府台北側の相模台で戦闘が始まるも、 足利義明の弟・基頼や息子・義純の討ち死に報が入り、足利義明が逆上して北条軍目がけて自ら突撃を図り戦死。
そんな複雑怪奇な足利公方の古戦場でもあり・・・。

よくわからない構造物もある。

松戸工兵学校時代の何か?かどうかはわからない。


境界標石?(陸軍工兵学校・南部)

相模台公園から南端の道路を歩く。
境界石っぽい、それっぽい、なにかをいくつか見つけることができた。

場所

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陸軍工兵学校・南東部
相模台城土塁?

そのまま南端部を歩くと、松戸拘置支所の南側にたどり着く。
この土塁は、中世の相模台城の名残か、それとも陸軍工兵学校名残か。。。

境界石っぽいものもあった。

場所

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「陸軍」境界標石(陸軍松戸工兵学校・東部)

東側の道を北上していたら、ありました。
「陸軍」と刻まれた境界石。

場所

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松戸工兵学校・北東部

このあたりが、敷地の北東部。それっぽい何かはありませんでした。


松戸工兵学校・北部

北側の岩瀬住吉公園内に土地区画整理竣工記念碑があった。
記念碑の竣工は皇紀2600年(昭和15年)。

松戸工兵学校の北部は、すでに戦前の段階で区画整理されていたことがわかる。
確かに冒頭の航空写真をみれば宅地となっていることがわかる。

場所

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高台の向こうには、聖徳大学。

そうして、陸軍松戸工兵学校のあった地を一周して、最初の場所に戻ってきました。

松戸の陸軍工兵学校の跡地。駅チカ感覚で散策してみましたが、往時を物語る戦跡が豊富でした。これは良いですね。特に門柱と歩哨舎が残っているのが、すばらしい。
このまま戦跡を伝承する土地として、残していってほしいものです。


散策ログ

1時間45分で約4.5キロ、でした。

※2021年6月撮影


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