柏市で陸軍の戦跡をめぐる記事も3つ目。
この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。
目次
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル: USA-R393-81
昭和22年(1947年)10月23日、米軍撮影の航空写真を一部加工。
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google航空写真にて。
舌状台地の敷地は、今でもはっきりとわかる。
軍都「柏」
軍都柏とも軍郷柏とも称されることになった、千葉県柏市。
柏飛行場をはじめとし、多くの軍事施設が集まる地となっていた。
柏飛行場
昭和12年(1937)6月、近衛師団経理部は東葛飾郡田中村十余二に陸軍の新飛行場を建設する旨を決定。
昭和13年11月に「陸軍柏飛行場」(東部第105部隊)が完成。東京立川から「飛行第五戦隊」が移転してきたことにより、柏飛行場は、帝都防空の航空基地となり、軍都としての歩みもここからはじまった。
昭和20年4月には、ロケット推進戦闘機「秋水」開発のための陸軍の特殊部隊、陸軍航空審査部特兵隊が柏飛行場に進出。柏には、秋水の燃料貯蔵庫なども設けられた。
高射砲部隊
昭和12年10月、「飛行部隊」とは別に、帝都防空のもう一つの主役として「高射砲部隊」が千葉県市川市国府台に高射砲第二連隊が新設。
昭和13年11月に柏飛行場の完成とあわせて、柏(富勢)に「高射砲第二連隊」も移動。帝都防空の一翼を担うとともに、東葛地域の飛行場の防御も担当した。
昭和16年に東京に「高射砲第二連隊」主力が移動。その後、 高射砲第二連隊 の跡地には留守近衛第二師団の歩兵・工兵補充隊が駐留し、昭和20年に東京師管区第二補充隊(東部八三部隊)と同近衛工兵補充隊(東部一四部隊)となった。
その他
昭和12年11月、東京憲兵隊市川分隊柏分遣隊開設
昭和14年2月、第4航空教育隊(東部第102部隊)が開設。飛行機の整備に関する訓練や教育を担当した。
昭和14年4月、陸軍航空廠立川支廠柏分廠も開設され、飛行場に配備されていた飛行機や車両の整備・点検を行う補給機関を担った。
同じ 昭和14年4月には、陸軍柏病院が開設。
昭和20年6月には柏(鎌ヶ谷)に、陸軍藤ヶ谷飛行場が完成している。現在の海自下総航空基地となる。
また、昭和18年11月には、柏陸軍墓地忠霊塔も建設された。
ファイル: USA-M29-58
昭和24年(1947年)2月8日、米軍撮影の航空写真を一部加工。
軍都柏の主要軍事施設を記載しておく。
柏陸軍病院
昭和14年4月に、陸軍柏病院が開設。病院長は佐々倉操軍医中佐。柏に多くの陸軍施設が集まったことから各部隊傷病兵の入院加療のための開院であった。
第二次世界大戦後、陸軍の解体により厚生省へ移管した。
厚生省移管後は、国立療養所柏病院、国立柏病院を経て、松戸市にあった国立療養所松戸病院と1992年に統廃合。組織は国立がんセンター東病院(現・国立研究開発法人国立がん研究センター・柏飛行場跡地)へ移行、施設は柏市へ移譲され、1993年から柏市立柏病院となっている。
山下清の「放浪日記」には、「勤労奉仕で、柏の陸軍病院でネギの皮むきをした」という戦時中の記述があるという。
陸軍境界標石(柏陸軍病院入口)
柏市立柏病院の入り口交差点にある標石。
風化が進んでいるが、往時からの境界をしめしている。
場所
陸軍境界標石(柏陸軍病院南西端)
もう一つ、南側の道路にも、それっぽい境界標石があった。
場所
その他、柏関連の記事は別途にて。
※撮影は2021年7月