埼玉県の大宮駐屯地。埼玉県さいたま市北区日進町。
かつては、陸軍の光学レンズ工場などがあった場所。現在は「陸上自衛隊化学学校」や「第32普通科連隊」などが展開している。
一般公開があったので、足を運んでみました。
目次
東京第一陸軍造兵廠(東一造)
大日本帝国陸軍の陸軍造兵廠のひとつ。
東京小石川後楽園にあった「東京砲兵工廠」の「銃砲製造所」を明治38年に十条に移転したことにはじまる。そののち、明治41年には「火具製造所」も小石川から十条に移転。
大正12年に、東京砲兵工廠の「銃砲製造所」「火具製造所」が合併。
「陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所」となる。
昭和11年に小石川から東京工廠本部が十条に移転。
「陸軍造兵廠東京工廠」の下に「銃砲製造所」「精器製造所」「火具製造所」が編成される。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所
昭和8年(1933年)、東京・小石川にあった東京第一陸軍造兵廠(東一造)の製造部門が十条に移転。
陸軍は昭和14年(1939年)、この陸軍造兵廠を拡張するため光学レンズの製造、組立などを行う光学工場を「大宮」に移転することを決定。
昭和15年組織改変
陸軍造兵廠東京第一陸軍造兵廠(略称「東一造」)
第一製造所(銃砲製造所)
第二製造所(精器製造所)
第三製造所(火具製造所)
陸軍造兵廠東京第一陸軍造兵廠(東一造の主要施設は以下)
陸軍造兵廠本部
第一製造所(銃砲製造所)
仙台製造所(宮城・第一製造所所管)
第二製造所(精器製造所)
大宮製造所・研究所(埼玉・第二製造所から分離)
大宮製造所池田工場(大阪)
第三製造所(火具製造所)
第三製造所滝野川工場
技能者養成所
第三製造所尾久工場
第三製造所江戸川工場(埼玉春日部)
川越製造所(埼玉・第三製造所から分離)
小杉製造所(富山・第三製造所所管)
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所
昭和16年(1941年)4月、一部の施設が完成。操業開始。
昭和18年(1943年)4月、陸軍東京造兵廠大宮製造所が完成。本格的な稼働を開始。
大宮製造所工場は光学レンズの製造、組立を行う第一工場、機械、レンズの製造、組立を行う第二工場、算定具、測遠器を製造する第三工場、生産に必要な工具を製造する第四工場と次々に建設
された。出来上がった光学レンズの用途については、主に機関銃や狙撃銃用の光学照準器などに組み込まれた。
戦後は米軍キャンプが置かれてたが、昭和32年(1957年)から陸上自衛隊が駐留している。
位置関係
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M46-A-7-3-80
昭和21年(1946年)2月15日、米軍撮影の航空写真を一部加工。
拡大
Google航空写真
大宮駐屯地
大宮駐屯地創立66周年記念行事
一般開放
令和5年6月4日(日)10時~14時30分
大宮駅からバスで赴きました。
大宮駐屯地は、昭和32年開設。
駐屯地司令は、陸上自衛隊化学学校長が兼務。
陸上自衛隊化学学校、中央特殊武器防護隊、第32普通科連隊などが駐屯している。
正門
北門
案内看板
駐屯地案内図
駐屯地史料館(大宮駐屯地)
各地の駐屯地の史料館を見学するのが楽しみ。普段、見ること出来ないので、これが一番の目標でもあったりする。
文化祭な雰囲気の展示コーナー。
しかし展示物そのものは、本物の重みがある。。
旧陸軍資料コーナー・大宮駐屯地コーナー
(駐屯地史料館)
駐屯地史料館 全般配置図
旧軍のコーナー
陸軍兵器行政本部 東京第一造兵廠大宮製造所の地図。
初代所長に長山少将(陸士13期、工学博士)が就任。
従業員6000命の多くを数えた。
軍属4400名の半分が女子がしめ、動員学徒1600名の中には、大宮高女、久喜高女、浦和実践の乙女たちも含まれていたという。
埼玉県内の軍事施設など。思えば、ほとんど赴いている。。。
北から名称を列記してみる。
- 児玉飛行場 →https://senseki-kikou.net/?p=32904
- 深谷造兵廠 →https://senseki-kikou.net/?p=11737
- 深谷明戸分場 →https://senseki-kikou.net/?p=13059
- 熊谷飛行場 →https://senseki-kikou.net/?p=31409
- 熊谷軍需品廠
- 鉢形兵器廠 →https://senseki-kikou.net/?p=9904
- 小原飛行場
- 松山飛行場 →https://senseki-kikou.net/?p=7471
- 大野原被服廠
- 川田谷飛行場 →https://senseki-kikou.net/?p=21803
- 坂戸飛行場 →https://senseki-kikou.net/?p=7512
- 大宮造兵廠 →本記事
- 高萩飛行場 →https://senseki-kikou.net/?p=7953
- 福岡火工廠 →https://senseki-kikou.net/?p=9774
- 豊岡航空士官学校
- 所沢航空士官学校 →https://senseki-kikou.net/?p=9447
- 朝霞陸軍射撃場
- 海軍通信基地 →https://senseki-kikou.net/?p=13904
- 予科士官学校 →https://senseki-kikou.net/?p=30963
あれ、上記に記載のない、軍需施設もあるなああ、、、
米軍進駐後にドル支弁財産として作られたときの教会の鐘。地中からの掘り出し。
米軍の進駐と大宮
埼玉県内への米軍の進駐は、昭和20年9月8日の朝霞、大和(現、和光市)に始まり、以後県北の熊谷、本庄を初め各地に行われた。大宮では、9月27日に中島飛行機製作所大宮工場(現、ステラタウン(宮原町))、翌10月8日(一説には3日)に陸軍造兵廠大宮製造所(現、大宮駐屯地)、10月12日には、片倉工業大宮工場(現、コクーンシティ(さいたま新都心))などに相次いで進駐が行われた。
昭和20年11月1日(一説には10月15日)に、片倉工業大宮工場にいわゆる「埼玉軍政部」がおかれ、埼玉県の占領統治の中心となったが、翌3月6日には浦和市内の旧陸軍司令部跡、更に6月1日には県庁隣の埼玉会館別館へと移った。
大宮市域での進駐軍は、昭和21年3月の埼玉軍政部移転後も旧陸軍造兵廠大宮大宮製作所はキャンプ・キングとして残ったが、その後撤退し、昭和32年10月15日に大宮駐屯地が新設された。(出典「大宮市史4」)
電気時計
電気時計
重錘巻上式 昭和16年12月制 東京雄工社
時計は、重錘巻上式であり、巻上方法には「手動」及び「100V交流電源」の2つであるが、現在は交流電源で動かしています。
手動式で動かす場合は1週間に1回手動巻上を実施します。自動巻上式は内蔵機械により自動的動作により6時間毎に自然に重錘を巻上げます。
この時計は、造兵廠として駐屯地が建設された時に設置されたもので、駐屯地の中央時計です。
この時計を中心に各建築子時計が設置されていました。
施設再配置事業により施設解体のため、業務隊管理課が取り外し、整備したものである。
平成8年9月18日
旧陸軍資料コーナー
沖縄・硫黄島遺品
中央の肖像写真は、東京第一陸軍造兵廠長 杉浦辰雄(陸軍中将)。
1940年から1945年の終戦まで、一貫して造兵廠長であった。
陶器製の陸軍手榴弾。
大宮製造所とも近い、川越製造所に縁がある。
98式衛生濾水器丙 小隊用
CBRNコーナー(駐屯地史料館)
CBRN(シーバーン)とは、化学(Chemical)、生物(Biological)、放射性物質(Radiological)、核(Nuclear)のことを示している。
大宮駐屯地は、中央特殊武器防護隊や陸自化学学校の拠点となっていることから、特徴的な展示となっている。
駄馬用の防毒マスク。これははじめてみた。貴重。
馬用化学防護衣(ゴム製)
97式馬防毒被(前被・駄馬用)
94式防毒脚絆(左右)
97式馬防毒被(中被)
97式馬防毒被(後被)
記念碑
特に戦前の旧軍関係の記念碑はなく、戦後の自衛隊関連の記念碑が点在。
融和団結
平成19年5月20日
大宮駐屯地創立50周年記念
信
通信補給処創立30周年記念碑(昭和56年)
和
大宮駐屯地創立20周年記念碑
大宮駐屯地創立66周年記念行事
記念行事は駐屯地毎に色合いが違っていて、いくつかを見ていくと、だんだんと差分が面白くなってくる。
大宮駐屯地はこじんまりとした感じで、のんびり見学できた。
観閲行進
中央特殊武器防護隊の新型液体散布車。泥濘にハマって立ち往生。観閲行進列から外れ、行進終了後に、後進離脱となりました。
太鼓演舞
ドリルパフォーマンス
ラッパ演舞
格闘武術演舞
模擬戦
科学テロを想定したデモンストレーション
ドローン偵察
偵察オートバイ
狙撃手
みんな大好き、ラヴ
軽装甲機動車 Light Armored Vehicle:LAV(ラヴ)
テロリスト、、、
制圧完了
模擬戦は、小規模だったけど、いつみても楽しめますね。
大宮駐屯地散策
中央特殊武器防護隊(陸上総隊直轄)
大宮駐屯地業務隊(東部方面隊隷下)
第32普通科連隊(第1師団隷下)
第32普通科連隊
全国諸兵の模範
三十二普連
近衛兵の精神
近衛兵は常に輦下を護衛し千軍万馬の中を整正独歩するの胆勇を有し又平常にありては信義を旨とし先進を敬い後進を善導し以って全国諸兵の模範たるを期すべし
第32普通科連隊は、近衛連隊といわれている。
中央のナイトのマークは 天皇陛下をお護りする近衛兵を表し、近衛の精神を受け継ぐ32普連隊員を表しているという。
そして下部の紋章は、皇居の二重橋を模ったものという。
陸軍時代(東一造 大宮製造所)の痕跡は特に残っていなかったが、なかなかに探訪できた大宮駐屯地。
自衛隊の皆様に敬意と感謝を表し、本記事は〆
※撮影:2023年6月