「第136震洋隊基地跡・震洋格納庫」清水三保の戦跡散策・その2

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静岡県清水区三保。三保半島。
「三保の松原(三保松原)が有名な景勝地にも戦跡がある。

本編は「その2」として震洋格納庫跡を中心に掲載。
「その1」では、清水海軍航空隊跡地の散策を掲載。

静岡県清水区三保。三保半島。「三保の松原(三保松原)が有名な景勝地にも戦跡がある。 本編は「その1」として清水海軍航空隊を中心に掲載...

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位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R236-No.1-92
1947年10月01日、米軍が撮影した航空写真を参照。

一部編集。

Google航空写真


震洋(小型特攻ボート)

小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦して目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する特攻兵器。

震洋は船首内に250キロ炸薬を搭載し敵艦への体当たり攻撃を目的とした特攻艇。
各型合せて6200隻が量産され4000隻が配備。震洋隊戦没者は2500余名という。
震洋の搭乗員は、多くが海軍飛行予科練習生であった。乗るべき航空機がない航空隊員であった。

震洋は、1944年(昭和19年)5月27日に試作1号艇が完成し、8月28日に兵器として採用されたが、量産は6月の段階で開始されており、1944年10月の捷号作戦にあわせて配備が急がれた。
(海軍の震洋に対して、陸軍では同様の兵器で四式肉薄攻撃艇(マルレ)があった。)

靖國神社遊就館の原寸模型は震洋一型

1/10模型は震洋五型

※靖國神社遊就館大ホールには復元された震洋が奉納されている。


第136震洋隊

昭和20年5月25日二編成された震洋隊。拠点を静岡県江ノ浦(静岡清水美保)とした。
静岡には以下の震洋隊が展開していた。

  • 第51震洋隊 静岡県下田(静岡小稲)
  • 第67震洋隊 江ノ浦(静岡三津浜)
  • 第136震洋隊 静岡県江ノ浦(静岡清水美保)
  • 第137震洋隊 静岡県下田(静岡永津呂)
  • 第140震洋隊 静岡県下田(静岡稲取)

「1」第136震洋隊・震洋格納庫・本部

海軍第136震洋隊基地跡。
現在はトラックの車庫として活用されている。
全国に残っている多くの震洋の艇庫(格納庫・掩体壕)は、洞窟などの壕に格納されていたが、三保地区は、三砂浜と雑木林のみなので壕が掘ることが難しいために、コンクリート製の格納庫が造られた。
近隣に展開していた清水海軍航空隊甲種飛行予科練習生によって、鉄筋コンクリート製の震洋格納庫とされるものが推定15基つくられたという。

このうち8基が現存しているという。
現存する8基のうち小型の2基は特攻兵が出撃を待った「待機壕」、大型の1基に本部が置かれた。残りの5基は震洋の艇庫「掩体壕」とされている。

場所

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「2」第136震洋隊・震洋格納庫

三保マリーナで物置小屋として活用されている。

特攻震洋格納庫
 太平洋戦争末期、アメリカ軍の本土上陸を想定した戦いに備えて、水上特攻隊の震洋特攻隊がおかれました。彼らが乗る震洋艇を格納するために、1945年6月、予科練の若者たちは震洋格納庫を構築する作業に従事させられました。現在、三保に9つの格納庫が残っっていることが分かっています。
 震洋艇は、長さ6mほどのベニヤ板でできたモーターボートです。弾薬を積み、搭乗員もろとも、敵艦に体当たりする特攻艇でした。実際には5隻しか配備されず、実戦では使われないまま終戦になりました。
 2013年4月 静岡平和資料館をつくる会

※2015年に1基取り壊されて残8基

界隈で、唯一掲げられている説明板。

入口部分に小屋が増築されている。

場所

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「3」第136震洋隊・震洋格納庫

三保灯台通りに沿って残っている。道路側からみると埋もれたようになっているのは、道路が嵩上げされているから。
中は物置状態。

場所


「4」第136震洋隊・震洋格納庫

三保内浜海水浴場の森の中に。


「5」「6」第136震洋隊・震洋格納庫

三保内浜海水浴場の竹藪の中に2つ並んで残っている。
ただし、竹が凄すぎて、近寄ること叶わず。開口部側に回り込むことを断念。。。

ボート置き場の奥でした。


「7」第136震洋隊・待機壕

東海大松前球場の西側の森の中に残っている壕。
震洋掩体壕のあるエリアとはちょっと離れている。


「8」第136震洋隊・待機壕

東海大松前球場の森にあるというが、発見できなかった。。。
机上調査したら、だいたいの位置は把握したので、再訪必須かな。
どうやら、当所は見当違いのところを探していました。


第136震洋隊・井戸跡

同じく、東海大松前球場の森に。これは西側。


別日に、往時の建屋を見聞するために再訪。

清水海軍航空隊食堂跡(炊事場跡)

往時の食堂跡とされる建屋。

改めて位置関係。

対象の建屋を拡大。
兵舎群の一番南側。

いまの様子。

現地に行ってみました。

この部分のみ撮影は2023年12月
場所

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三保へのアクセス

往路は、清水駅からバスで三保車庫前に向かいました。

周辺案内図。戦跡っぽいものはなにも記載ありません。。。

復路は、清水港水上バスを利用。
間違いなく水上バスのほうが面白いですね。

水上バスから望む富士山

駿河湾の富士山


おまけ

静岡っぽいものとかを。

※撮影:2023年5月


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コメント

  1. いずみ より:

    三保で生まれ育ったものです。
    丁寧に取材され、私の知らない事も多くありました。
    子供の頃に「なんだろう」と思っていた部分も
    在りました。
    この様な形にして頂いてありがとうございます。