※撮影は2016年~2020年
東京第一陸軍造兵廠跡地をめぐる散策。ここでは南側の「滝野川・王子地区」を巡ってみたいと思います。
工廠神社として祀られていた「四本木稲荷神社」や北部の「十条地区」は別記事でまとめました。
北区 …東京第一陸軍造兵廠
板橋区…東京第二陸軍造兵廠
目次
東京第一陸軍造兵廠(東一造)
大日本帝国陸軍の陸軍造兵廠のひとつ。
東京小石川後楽園にあった「東京砲兵工廠」の「銃砲製造所」を明治38年に十条に移転したことにはじまる。そののち、明治41年には「火具製造所」も小石川から十条に移転。
大正12年に、東京砲兵工廠の「銃砲製造所」「火具製造所」が合併。
「陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所」となる。
昭和11年に小石川から東京工廠本部が十条に移転。
「陸軍造兵廠東京工廠」の下に「銃砲製造所」「精器製造所」「火具製造所」が編成される。
昭和15年組織改変
陸軍造兵廠東京第一陸軍造兵廠(略称「東一造」)
第一製造所(銃砲製造所)
第二製造所(精器製造所)
第三製造所(火具製造所)
陸軍造兵廠東京第一陸軍造兵廠(東一造の主要施設は以下)
陸軍造兵廠本部
第一製造所(銃砲製造所)
仙台製造所(宮城・第一製造所所管)
第二製造所(精器製造所)
大宮製造所・研究所(埼玉・第二製造所から分離)
大宮製造所池田工場(大阪)
第三製造所(火具製造所)
第三製造所滝野川工場
技能者養成所
第三製造所尾久工場
第三製造所江戸川工場(埼玉春日部)
川越製造所(埼玉・第三製造所から分離)
小杉製造所(富山・第三製造所所管)
昭和20年5月25日の空襲で一部焼失。戦後に進駐してきた米軍によって当地には東京兵器補給廠が展開。焼け残った昭和5年竣工の本部事務所は米軍東京兵器補給廠の保安司令部として使用される。昭和46年に返還され、昭和56年からは北区文化センターとして現存。
また倉庫の一部が北区中央図書館に活用。その他にも「東一造」を偲ぶ戦跡がいくつか残されている。
位置関係
国土地理院航空写真
ファイル:USA-M402-2-82
1947年08月11日-米軍撮影
上記を一部加工。(クリックで拡大。)
東京第一陸軍造兵廠第三製造所滝野川工場の陸軍用地標石(陸軍標石)
西巣鴨駅からスタートして十条方面に北上。
滝野川方面を目指す。
少し歩けば、見逃しがちな脚下に標石が3つありました。
陸軍用地標石。(陸軍標石)
公務員第二宿舎のあった場所にそった通り沿い。
公務員第二宿舎は廃止され、現在は「滝野川三丁目公園」として整備されました。
弊サイトの写真を案内看板に提供しました。
半世紀以上も前の戦争時代の境界石が、こうして未だに道端に残っている不思議さ。ここが陸軍の土地であったことを感じさせる歴史遺産。
身近に戦争の歴史を感じるものが、こうして脚下に残っている。
このあたりが、「東京第一陸軍造兵廠滝野川工場」別名を滝野川雷汞所(らいこうじょ)とされたエリア。
四本木稲荷神社
このまま道なりに北上をしていくと「四本木稲荷神社」に到着。
東京第一陸軍造兵廠第三製造所滝野川工場の工廠神社。
別記事にて。
憲兵詰所遺構?
突き当たりを左に向かい石神井川を渡ると、周囲とは異色の古びたコンクリの建物が民家の目の前にドンッと鎮座している。
真偽は不明だが、このコンクリートの建屋は「憲兵詰所」遺構とされている。
ここだけがどうして残っているのかは謎だが、今となっては残ってくれたのはありがたい。
ちょうど、十条の東京第一陸軍造兵廠と、滝野川の分工場を結ぶ道沿いにあたるため、この界隈で憲兵が詰めていてもおかしくない位置関係。
東京第一陸軍造兵廠本部
(北区中央公園文化センター)
憲兵詰所の北側には「北区中央公園」
木々の合間から、歴史を感じさせる良い雰囲気の建物が見えてくる。
「北区中央公園」(東京都北区十条台)
現在は「北区中央公園文化センター」
戦前は「東京第一陸軍造兵廠本部」であった建屋は昭和5年( 1930年)の建設。
元は茶色であったが戦後の米軍接収時代に白色に塗装という。
休館日でした。。。
周辺にあった台座。往時のものか?どうか。。。
裏手へ。 中央屋上へあがる階段が、なかなか美しい。
東京砲兵工廠銃包製造所のボイラー(部品)と鋼製耐震煙突銘板
明治38年(1905)、現在の十条台1丁目一帯に「東京砲兵工廠銃包製造所」が開設されました。日露戦争を機に弾薬(銃包)の増産が必要となったことから、小石川地区(現後楽園周辺)より当地に移転・拡張されたものです。敷地内には銃包を製造するための煉瓦造の工場棟が多数建設されました。銃包製造所では、製造に必要な工作機械の動力として、英国バブコック&ウイルコックス社製のWIF型蒸気ボイラーが導入され、ボイラーの煙突には、東京芝浦製作所製の鋼製耐震煙突が使われました。この煙突は、煉瓦造の煙突の周りに鉄板を巻き、耐震性を高めたものです。
ここに展示されている部品は、ボイラーのドラム・水管の一部・鉄製の扉、および、鋼製耐震煙突の銘板で、十条の自衛隊の施設建替の際に解体・保存したものです。銘板には銃包製造所開設年にあたる「明治三十八年九月竣工」の年代が入っており、これらは、銃包製造所の歴史を伝えるとともに、日本の近代産業遺産としても貴重な資料です。
平成27年3月 東京都北区教育委員会
東京芝浦製作所
明治38年9月竣工
ボイラー展示の隣の半円状の建物内に古墳時代の横穴式石室が空間丸ごと移築保存されているのは、なかなかのカオス。
赤羽台第3号古墳石室
皇后陛下行啓記念
皇后陛下行啓記念
東京第一陸軍造兵廠長 杉浦辰雄 謹書
杉浦辰雄中将(陸士25期)
昭和12年(1937)に、東京工廠火具製造所長
昭和14年(1939)に、東京工廠長
昭和15年(1940)に、東京第一陸軍造兵廠長
そのまま終戦を迎える。
【消失】
東京第一陸軍造兵廠の陸軍用地標石(陸軍標石)
都営王子アパートの道に陸軍用地標石(陸軍標石)がありました。
都営王子アパートがなくなるとともに消失してしまったようです。。。
以下はGoogleストリートビューにて。
2018年5月には「標石」を確認することができます。
そして2019年5月。無くなりました。。。。
東京第一陸軍造兵廠・一造に関連するそのほかは、別記事にて。
関連
東京第一陸軍造兵廠(一造)が十条に来る前に拠点だったのが小石川
北区西が丘
北区赤羽台