「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・4

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。
本記事は、「その4」です。

「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。

桶川にあった陸軍桶川飛行学校は、戦後は市営住宅として活用されていたが、木造建築であったために老朽と廃墟化が進んでいた。その後、私が戦跡に興...

埼玉県桶川市、そして荒川の対岸の川島町にまたがるホンダエアポート。この場所がかつての熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)の桶川飛行場の滑走路があった場所。


スポンサーリンク

川田谷飛行場(桶川飛行場)

現在のホンダエアポート。
昭和12年(1937年)に熊谷陸軍飛行学校桶川分教場開校時に「川田谷飛行場」として開設。桶川分教場(桶川飛行学校)の演習施設として使用されてきた。
戦後、放置されていたこの地を、ホンダが航空産業参入を目指しホンダエアポート(本田航空)を設立し、かつての川田谷飛行場を再活用している。ただし、陸軍時代とは滑走路は同じではない。(滑走路の位置等が多少変わっている。)

太郎右衛門橋からホンダエアポート方面を望む。この河川敷にかつて桶川分教場(桶川飛行学校)の滑走路があった。

河川敷をホンダエアポート方面に近づく。
ホンダエアポートを運用する本田航空の本社と格納庫が見える。

埼玉県防災航空隊の「あらかわ2」が駐機されていた。
「ユーロコプター AS365 N3」(機体記号: JA31KN)

AIRPORT

コンクリート構造物1(給水塔基礎跡)

このあたりに格納庫がありました。

吹き流しの隣に、なにやらコンクリート構造物がある。
給水塔基礎とされている。

コンクリート構造物2(固定ブロック跡)

滑走路方面に向うと、横堤の上にもなにやらコンクリート構造物が残っている。
何を固定していたのか。

コンクリート構造物3(吹き流し塔の台座跡)

滑走路の横堤の突端には、吹き流しを立てた台座が残っている。さきほどの固定ブロックの先。

訓練時には、この台座に立っていた吹き流しを目指して急降下訓練などもおこなわれていたという。

ホンダエアポート(川田谷飛行場)を離陸する小型機。

横堤の上から、往時を知る戦跡のコンクリートともに、小型機を見送る。

滑走路エリアは、立入禁止。

スカイダイビングが落下してきた。

ホンダエアポートはちょっとアクセスしにくい場所。
途中のバス停からでも、だいぶ歩きました。。。

※撮影は2022年3月

場所

Google マップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい地図でお店やサービス、地域の情報を検索できます。世界地図も日本語で、旅のプランにも便利。

参考リンク

目次 お知らせ 平和祈念館について 利用案内(開館カレンダー) 団体見学についてご希望の方 施設ガイド(企画展示) 映像コンテンツの配信 アクセス 寄附のお願い お知らせ「平和の使者ー青い目の人形物語」を上映します(令和6年10月24日更新)令和6年11月2日(土曜日)から令和6年11月24...
NPO法人旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会の公式ホームページです。
 埼玉県桶川市川田谷の荒川沿いに、黒ずんだ古い建物がたたずむ。現在も戦時中の姿をとどめる熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)だ。70年前、ここから特攻基地の知覧(鹿児島県)に向かった特攻機の整備をした男性が、当時の様子を後世に伝える活動を続けている。

関連

その2

桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その2」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 ...

その3

桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その3」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 ...
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加