「飲食物」カテゴリーアーカイブ

ふりかけ食の元祖「旅行の友・タナカのふりかけ」(靖國神社遊就館特別展「兵食」)

広島市に本社を置く、田中食品株式会社。「タナカのふりかけ」で有名。

https://www.tanaka-foods.co.jp

もっとも東日本に在住している私は、実は「タナカのふりかけ」を全く知りませんでした。
どうやら主に西日本で流通しているという「タナカのふりかけ」。
ふと、靖國神社遊就館特別展で目にしたことから、気になって、少しだけ、ふりかけの歴史を深掘りをしてみました。

靖國神社 令和6年 遊就館特別展
【兵食 陸海軍の食事から、英霊に捧げる「神饌」まで】 

https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/news_detail.html?id=532


タナカのふりかけ「旅行の友」

1901年(明治34年)に田中商店(現・田中食品株式会社)を創業した田中保太郎は、海軍の要請に応えて「ふりかけ食」を開発したことにはじまる。

1914年、第一次世界大戦が勃発。日本海軍は、日英同盟にもとづきドイツに開戦し、太平洋のドイツ領植民地(サイパン、パラオなど)へ侵攻。
そこで、海軍は、南方独特の問題に直面した。それは、太平洋の南の島国は、気温・湿度が高く、当時の日本の伝統的な保存食である漬物や味噌さえも腐ってしまうという食糧問題であった。そこで海軍は、当時呉の町で漬物商を営んでいた田中食品へ「持ち運びに便利で日持ちが良く、栄養価の高い保存食を作って欲しい」と、新しい保存食の開発を要請した。その中で開発されたのが「ふりかけ食」であった。

軍部の要請で開発された「ふりかけ食」は好評を博したため、1916(大正5)年には、これを「旅行の友」として一般向けに発売。当時では画期的な容器だった筒型の缶容器。
「旅行の友」という名称は「旅のお供になるように」という願いと、田中保太郎の妻「トモ」に由来する。
デザインは欧亜連絡列車でもあった特急「冨士」の流線型国鉄C55形蒸気機関車が描かれている。

「旅行の友」は大正初期より自然の素材を主原料に作られているロングセラーのふりかけ。小魚とごま、海苔など自然の味を大切にした本物の味。カルシウムが豊富で、こどもから大人までみんなに愛され続ける伝統の味でもある。

https://www.tanaka-foods.co.jp/joy/about.html


慰問ふりかけ

靖國神社遊就館特別展「兵食」展示シートより

内地からの慰問のふりかけ「旅行の友」
大正時代の初め、軍の要請で「持ち運びし易く、日持ちし、栄養価の高い食品」として、小魚魚粉を主原料にした、おいしくカルシウムたっぷりのふりかけが誕生しました。戦時中は、内地から送られる慰問袋に入れられ、戦地の将兵に大変喜ばれました。、当時は画期的な容器だった筒型容器を、そのままの形で再現しています。

陸海軍御用品
ステキにうまい
旅行の友

滋養豊富
軽便重宝

専売特許

日本国旗と満洲国旗

戦前・戦中期の戦用糧食・慰問品
軍事法規研究会 専任研究員 大木浩明 蔵 


復刻版「旅行の友」

タナカのふりかけ 旅行の友復刻版 

https://www.tanakafoods.net/SHOP/7550.html

2022年には復刻版が販売されている。

御飯にかけて ステキにうまい
旅行の友
滋養豊富 軽便副食

さすがに、すこしだけフレーズが変わりましたね。

三度の食事に 是さえあれば大丈夫! お惣菜の単一化、
それで居て 栄養価満点の 副食物!

愛され続けて100余年
創業明治34年
旅行の友
「栄養価の高いものをいつまでも美味しく食べてもらいたい」という「子を想う親心」から生まれました。

変わらぬ、伝統の味わい。
奇しくも、「ふりかけの元祖」を知ることができたのは、良い学びでした。


靖國神社 令和6年 遊就館特別展
「兵食」陸海軍の食事から、英霊に捧げる「神饌」まで

2024年の靖國神社遊就館特別展。

他にも見どころ多数。
食にまつわる展示は、いままでになかった目線。
食事中の兵隊さんたちの笑顔の写真が、なんか、心にぐっときまして。

陸海軍の兵食、御英霊の食にまつわるエピソード、靖國神社の神饌など、見どころ多数。

※撮影:2024年9月


靖國神社関連

はじめに

戦後の食糧難から生まれた「仙台牛タン焼き」

戦後日本。GHQ統治下にあった昭和20年代の日本は慢性的な食糧難にあった。


昭和20年代の仙台

第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐。
大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タンシチューより着想し、知識・技術を用い、牛タン焼きの専門店を開業したことが「仙台牛タン」の始まりという。

「牛タン定食」は、当時の食糧難(農地改革や戦後開拓をしてもコメ不足)を反映した「麦飯」、電気冷蔵庫が普及する前の時代に望むべくもない生鮮野菜に代わる「野菜の浅漬け」、佐野啓四郎氏の出身地である山形県の伝統料理「味噌南蛮」、エネルギー革命前で都市ガスが一般化していなかった当時の燃料事情を反映した炭火による牛タン焼き、そしてテールスープが構成要素となっている。

ちなみに、GHQ進駐軍は、多くは解体された牛肉の正肉ばかりを輸入していたため、臓物の牛タンの充分な供給元としては望めず、多くの牛タンを必要となった際には、周辺県の屠畜場にまで牛タン等を求めることとなったという。


初代牛タンの味を生み出した、佐野啓四郎氏

佐野啓四郎氏は、山形県西村山郡西里村(現・河北町)の生まれ。
20代のころから、料理の世界に入り、割烹料理で住み込みで働いていた。毎朝築地市場に買い出しに行く中で知り合った中華料理・洋食・和食の各店で働く人々との交流において牛タンや牛テールの美味しさを知らされ、在京中にフランス人シェフがいる洋食屋にてタンシチューを食する機会もあった。
昭和16年に太平洋戦争が始まる。
佐野は1942年(昭和17年)に、徴用され宮城県柴田郡船岡町(現・柴田町船岡)の第一海軍火薬廠に配属となったが、明け番の日は商売をしても良い職場だったため、船岡で焼き鳥屋を始めた。
昭和20年8月の終戦を機に、佐野は仙台に移り、焼き鳥屋を開店し、物資不足の中で、牛タンや牛テールの活用研究を開始した。
昭和23年、佐野は新たに「太助」を開店し、佐野が考案した「牛タン焼き」の提供が始まった。

牛たん焼きの誕生は、戦後の混乱期に当たる昭和20年代。
仙台市一番町に焼鳥屋を営んでいた、佐野啓四郎氏によって生み出された。
佐野氏は、洋食レストランで口にした、タンシチューにヒントを得て、日本人の口に合う牛たん料理作りに没頭した
試行錯誤を重ね、シンプルな味付けで素材そのものの風味が楽しめる、牛たん塩味を考案。
店では、23年から販売を開始した。
その人気に、宮城県や仙台市の観光担当者も注目し、「年間を通して口に出来る郷土料理にしてほしい」と、佐野氏に協力を要請。
これにより、今ではおなじみとなった、麦飯・テールスープとの“黄金”セット「牛たん定食」が誕生した。
評判は瞬く間に広まり、牛たん屋「旨味太助」には連日マスコミが殺到。同店が出演した全国放送番組には、多方面から注目を浴びた。

なお、佐野を創業とする現存する店舗「太助」は、2系統に別れている。
「味・太助」は創業者・佐野啓四郎の息子が2代目を務める店。
「旨味・太助」は創業者・佐野啓四郎の一番弟子の娘婿が店主を務める店。
今回は、とくに意図はなく、「旨味・太助」に足を運びました。


旨味・太助

良い店構え。

牛たん定食

創業当時のままの噛み応えのある塩味の牛タン。これは満足度が高くて美味。

麦飯と牛テールスープ

牛たんの塊

塩味の炭焼き

※2024年9月


関連

軍隊保存食にもなった信州ソウルフード「みそぱん」

信州松本駅の売店で、出会いました。


みそぱん(味噌パン)

どうも世間には、何種類か、みそぱん(味噌パン)と呼ばれるものがあるらしい。
「みそぱん」として、下記に分類される。

  • 菓子パンタイプ
     味噌を練り込んだ焼き菓子タイプ:北海道・宮城・山形・長野
  • 蒸しパンタイプ
     蒸しパンに味噌を練り込んだタイプ:福島
  • 惣菜パンタイプ
     コッペパンなどに味噌を塗ったタイプ:群馬
     トーストに味噌を塗ったタイプ:愛知

惣菜パンとして、群馬県沼田市の「フリアンパン洋菓子」の「沼田名物・みそぱん」は、昭和47年(1972年)の販売。

https://friand.co.jp/misopan


蒸しパンとして、福島県福島市の「駒田屋本舗」の「元祖みそぱん」は、1980年代の発売。

https://www.komadaya.jp/misopan

でも、今回、話題にしたいのは、蒸しとか惣菜ではなく「菓子パンタイプ」の「みそぱん」になります。


信州のソウルフード「みそぱん」(日新堂・安曇野市)

軍隊の保存食としても食されていた「みそぱん」。

日新堂「みそぱん物語」より

みそぱん物語
 味噌は ご存知のとおり穀物を発酵させて作った発酵食品で、日本の定番調味料です。その歴史は古く縄文時代からある日本独自の調味料ともいわれ、奈良時代には味噌の原型と思われる「未醤(みしょう)」が文献にも残っています。

 かつては各家庭で作られて「手前みそ」という表現が生まれました。戦国時代には兵糧として重宝され、兵士の貴重な栄養源になり、朴葉味噌などに名残を残しています。江戸時代の軍隊用の保存食になるヒントになったと考えられます。味噌は各地の風土・気候を反映して、材料や熟成方法など全国に多様な味噌が定着しています。

 みそぱんは 「パン」という名前がついていますが、お饅頭やお煎餅、かりんとうなどの味付けにもなる味噌を使った焼き菓子に分類されます。
 江戸時代の末に軍隊用の保存食として全国で作られ、他地域では作られなくなったものが、松本地方では今でも残っています。

 信州では 祭事や式典などでよく配られていました。昭和40年代頃までは小学校の元日の登校日や学校のお祝いの際に熨斗紙に包まれたみそぱんが配られていたそうです。現在でも幼稚園や保育園、小学校の入学式、運動会などで配られているところがあります。

 一般的な作り方は、味噌と薄力粉と水、重曹、砂糖をよく混ぜて固めの生地をつくって焼き上げます。当社では、より食べやすくアレンジしており、ソフトでサクっとした食感で口の中でとろけ、やさしい甘さとほんのりとしたしょっぱさがクセになります。信州産味噌を練りこんでおり、素朴な風味が懐かしさを感じさせます。牛乳やコーヒーによく合い、お子様のおやつにも喜ばれています。

https://www.misopan.co.jp/misopan

信州のソウルフード「みそぱん」
 「みそぱん」は、信州地方で古くから親しまれてきた定番の郷土菓子です。これは「パン」という名称がついているものの信州みそを練り込んだ焼き菓子に分類されます。江戸末期に軍隊用の保存食として作られていたものが今に続いており、現在でも地域の祭事・式典をはじめ、幼稚園や保育園、小学校への入学式、運動会で配るところが多くあります。
 ソフトでサクッとした食感、やさしい甘さとほんのりとしたしょっぱさがクセになる、信州のソウルフード「みそぱん」。子どもから大人まで、永く愛され続ける素朴な味を、心ゆくまでお楽しみください。

素朴な味わい。ほのかな味噌の味わいに、最近、口にしていなかった優しさを感じる、美味。


「予科練生の指定食堂」と「海軍住宅跡」(土浦)

土浦駅周辺を散策してみました。
流れとしては、下記の補足みたいな感じ。


霞ヶ浦海軍航空隊・土浦海軍航空隊

大正11(1922)年に阿見村に開隊した「霞ヶ浦海軍航空隊」によって、土浦駅周辺には飲食店や海軍将校の住宅や繁華街など、海軍航空隊を支える海軍となった。
昭和15年(1940)には、「土浦海軍航空隊」(通称・予科練)も開隊。休日は予科練生たちの外出先として土浦市内の民家は「クラブ」「下宿」として活用され、そして「指定食堂」は予科練生たちへ食を提供し、大いに賑わった。


保立食堂(ほたて)・予科練生の指定食堂

明治2(1869)年創業の食堂。
予科練生の「指定食堂」のひとつ。
丼物が人気で、店の二階は予科練生と家族との面会にも利用されたという。

「上天丼」をいただきました。

海老天と海鮮かきあげの天丼。味噌汁は、あら汁。そして、ぬか漬け。
往時を思い起こしながら食べる天丼。これはありがたい味。

休日は予科練生が食事を楽しみ、家族との面会にも使った店。歴史的にも味わいが深く重い。

場所

https://maps.app.goo.gl/GPijaLCAVtFCiuF26


吾妻庵・予科練生の指定食堂

明治6( 1873)年創業のそば屋。
休日の日中に予科練生が訪れることのできる「指定食堂」であった。

場所

https://maps.app.goo.gl/qWChhKLTgt4UXXfg6


城藤茶店(しろふじのちゃみせ)・海軍住宅跡

昭和11(1936)年、亀城通り開通後に建てられた書院造りの住宅で、海軍士官が借りて住んでいたという。現在は古民家カフェとして活用されている。

場所

https://maps.app.goo.gl/rpLqGuQzgy81F9jk9


桜川橋・海軍道路

桜川橋は大正12(1923)年に架けられた、茨城県初のコンクリート製の橋。
橋は現在の国道125号上にあり、阿見町へと繋がっている。
通称「海軍道路」。霞ヶ浦海軍航空隊の軍用道路として整備された。

場所

https://maps.app.goo.gl/oNUXeX5LGtmDhZEVA

撮影:2023年12月


関連

土浦関連

はじめに

航空自衛隊 浜松基地 監修「空上げ缶詰」

浜松駅のおみやげコーナーで見つけました。

2020年に発売されていたんですね。知りませんでした。
目に止まった瞬間に、購入しました。。。


空自 空上げ缶詰

焼き鳥缶詰でおなじみのホテイフーズと、航空自衛隊浜松基地のコラボ。

航空自衛隊 浜松基地×ホテイフーズ 『空自からあげ』「うなぎ蒲焼味」&「三ヶ日みかん味」2缶セットで 発売!
株式会社ホテイフーズコーポレーション(静岡市清水区、代表取締役社長:山本達也)は、航空自衛隊浜松基地監修の「空自空上げ うなぎ蒲焼味」と「空自空上げ 三ケ日みかん味」をセットにした「空自空上げ2缶セット」を2月3日(月)より、航空自衛隊 浜松基地の土産売場、および静岡県内の一般土産店等で発売します。
航空自衛隊では、鶏のからあげを「より上を目指す」という意味で「空自空上げ」と呼び、全国各基地の給食やイベント等で、それぞれの地域の特色を活かした空上げを提供し、大変人気を博しています。
今回、弊社が2019 年春に発売し話題となった業界初の「からあげ缶詰」が大変ご好評をいただくなか、同じ静岡県というご縁もあり、実現した浜松基地とのコラボレーション企画です。
パッケージには、航空自衛隊が誇るアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」の機体をデザイン。浜松基地のオリジナル空上げである浜名湖名物のうなぎを使った「うなぎ蒲焼味」と、同じく地元特産の三ヶ日みかんを使った「三ヶ日みかん味」をいつでも気軽に楽しめ、お土産にすることもできる缶詰で再現した商品です。

ホテイフーズ・ニュース
https://www.hoteifoods.co.jp/news/200131/

防衛日報

https://dailydefense.jp/_ct/17366976

航空自衛隊浜松基地

https://www.mod.go.jp/asdf/hamamatsu/

浜松基地グルメ

https://www.mod.go.jp/asdf/hamamatsu/other_gurume/other_gurume.html

からあげ うなぎ蒲焼味
からあげ 三ヶ日みかん味

からあげ缶詰
航空自衛隊浜松基地
空自 空上げ(からあげ)
航空自衛隊では鶏のからあげを「より上を目指す」という意味で「空自空上げ」と呼び、各基地で名物料理となっています。
浜松基地では、浜名湖産うなぎを使った蒲焼味と三ケ日みかんを使った爽やかな味が人気。浜松基地監修のもと、手軽に楽しめる缶詰で再現しました。

三ヶ日みかん味
航空自衛隊では鶏からあげを「空上げ」と呼び、各基地の名物となっております。
三ヶ日みかんを使った爽やかな味わい。

うなぎ蒲焼味
航空自衛隊では鶏からあげを「空上げ」と呼び、各基地の名物となっております。
浜名湖産うなぎと山椒の効いた濃厚な甘辛味。

TVで紹介されたらしいけど、なんのTVだろう。。。

航空自衛隊浜松基地の監修。

まだ、食べてないし、あけてないので、味の感想は、そのうち追記するかも。

ホテイフーズ直販ショップのページ

http://hoteifoods.jp/shopdetail/000000000336/

やっぱりカレーは金曜日だよね(市ヶ谷)

市ヶ谷といえば、防衛省と靖國神社の最寄り駅。
そんな市ヶ谷のカレー屋さん。
店名がおもしろい。わかる人はわかる「金曜カレー」


やっぱりカレーは金曜日だよね

ランチタイムにちょっと足を運んでみました、カレー屋さん。
エンタメ要素が先行しているお店かと思いつつ、食事をしてみれば、これは美味しい。
味わってみれば、「カレー」も「からあげ」も非常に丁寧に作られていることがわかります。

美味しく楽しい。
これは、通ってしまいますね。月替りメニューで出会えるであろう各地の部隊や基地の味わいも、楽しみ!

公式サイト >

https://yapparicurryfriday.com/

市ヶ谷経済新聞 >

https://ichigaya.keizai.biz/headline/3129/

防衛日報デジタル >

https://dailydefense.jp/_ct/17481890

空と海をイメージした店内で、
全国各地の「海自カレー」と「空上げ(からあげ)」を楽しめるお店。
スタッフもとても好感触で良い雰囲気でした。


海上自衛隊「カレー」

2023年6月。
月替りカレーは、厚木航空基地隊の「厚木勝つカレー(金曜おまけの空上げ付き)」
潜水艦のカレー皿が、楽しい!
ご飯は艦首までびっちりでボリューム満点、美味しい!

サラダとデザートは、飛行機(ブルーインパルス)のお皿。
やばい、楽しい。

大人のお子様ランチっぽい楽しさがある。

航空自衛隊「空上げ」

月替り空上げは、「千歳基地オリジナル空自空上げ」。

食べ終わると、ブルーインパルス。

券売機

2023年6月のメニュー

机の下には、ブルーインパルス

メッセージノートは、埋まったら防衛省広報室に送られる、とか。
また、食事代の15円が子ども食堂への寄付されるという、良き試み。

海自カレー
海上自衛官にとってカレーは元気の源。
長い船上生活で曜日感覚を忘れないため、毎週金曜日にカレーを食べる慣習が定着したと言われています。船艇や基地それぞれに工夫を凝らしたレシピがあり、その数はなんと200以上。当店では、そのレシピを参考に月替わりで提供しています。

空自空上げ
「空上げ」は航空自衛隊食堂の人気メニュー。”空自全体で上を目指す”という想いを込めて「空上げ」と呼んでいます。各基地ごとにご当地の調味料や名物の味からインスピレーションを得たものなど、個性のある美味しい空上げがあります。当店では、各基地の空上げを月替わりで提供しています。

陸自飯 ロコモコ丼(北海道 美幌駐屯基地)
「海上自衛隊=カレー」「航空自衛隊=空上げ」が定着しつつある中、陸上自衛隊は全国の駐屯地毎にバラエティに富んだメニューが勢揃いしています。
その中でも人気のハンバーグをロコモコ丼にシました。

オリジナルグッツもある。

語彙力少ないから、美味しいとしか言ってないけど、美味しい。おすすめ!

場所

https://goo.gl/maps/qsCSDCwsKYxkc4pk6


関連

https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130904/13258886/

https://www.hotpepper.jp/strJ001269742/

「台湾ウイスキー・山豬迷路」日本統治下時代の台湾の酒造伝承

先日、「台湾ウイスキー」を、懇意にしている「とある台湾メーカー」からいただきました。
covid-19の影響で、往来に制限があった日台両国でしたが、2022年10月より、制限なく往来ができるようになり、そうして台湾メーカーが日本の展示会にも久しぶりに出展。
代理店として私が、来日した台湾メーカーをサポートをしたという縁もあって、このたび台湾ウイスキーをいただいた次第でした。
最初は、台湾ウイスキー?なイメージでしたが、ちょと調べてみると面白く、さらには戴いた銘柄が、日本統治下時代からのエピソードをもっていたので、本記事に掲載したという感じ。


台湾ウイスキー

2002年に台湾が世界貿易機構(WHO)に加盟したことにより、50年以上続いていた酒類専売制度が廃止され、自由製造となったことにより、台湾での酒造製造が活性化。「カバラン(KAVALAN)」は台湾初のウイスキー蒸溜所として台湾ウィスキー界を牽引。そして「オマー(OMAR)」のナントー蒸溜所も有名。
さらには、村おこし事業として各地の農村でも「農村酒莊」として酒造が行われるようになってきている。


新高山(玉山)と信義郷

新高山(玉山)
台湾最高峰の玉山。標高3952m。日本統治時代の旧称は「新高山(ニイタカヤマ)」として、日本の最高峰でもあった山。
昭和12年(1937年)には大日本帝国の「新高阿里山国立公園」に指定。
昭和16年(1941年)12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる、大日本帝国海軍の暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二〇八』の「ニイタカヤマ」とは、現在の「玉山」のことである。

信義郷
信義郷は南投県の東部に位置しており、南投県内最大の面積の郷鎮であり、全国でも第2位を誇る広さを有している。
信義郷は中央山脈及び玉山山脈上に位置し、台湾最高峰の玉山を域内に含んでいる。また、南投県信義郷は「梅の故郷」と称される台湾最大の梅の生産地でもある。


信義郷農会梅子夢工廠

南投県信義郷農会の梅子夢工廠は、信義郷を代表する梅を主力製品とする台湾のさまざまな地元農業特産品を開発している加工工場や、酒造設備を備えた「農村酒莊」となっている。

今回、戴いたウイスキーは、台湾一の名峰「玉山」の名水を活用した信義郷農会(日本で言う農協みたいなもの)「農村酒莊」で蒸留したウイスキーとなります。日本で言うところの富士山ですね。

https://www.52313.com.tw/

場所

https://goo.gl/maps/xspZt9WrPyTF6juD7


「山豬迷路」

「山豬迷路」を直訳すると「迷い込んだイノシイ」とか「迷子のイノシシ」とか、こんな感じだろうか。どうもイノシシを迷わせるらしい。
前置きが長くなったが、「山豬迷路」がウイスキーの銘柄。なかなか面白い。

クエッションマークがいっぱいで、これは酔って迷ってますね、、、
????

なにが書いてあるが、半分ぐらいは分からないが公式サイトを覗いてみよう。

https://www.52313.com.tw/index.php?route=product/product&path=86_87&product_id=265

「威士忌」でウイスキーなのですね。

【品名】山豬迷路
【類別】威士忌 (ウイスキー)
【原料】台灣穀類精釀
【酒精度】40度
【容量】600毫升 
【產地】台灣
【注意事項】瓶塞採天然軟木,酒液中若有木屑沉澱,屬正常現象。
コルクは天然コルクを使用しており、木片がワインに沈殿するのは正常な状態です。
【威士忌說明】以穀類為原料,經糖化、發酵、蒸餾,貯存於木桶二年以上,其酒精成分不低於百分之四十之蒸餾酒。
【ウイスキーの説明】穀物を原料とし、糖化、発酵、蒸留を行い、木樽で2年以上貯蔵したアルコール度数40度以上の蒸留酒。

山豬迷路-米的威士忌:玉山山簏泉水及精選台灣優質米
米のウイスキー 玉山篭泉水と台湾産の厳選された高級米を使用

以精純工法釀製蒸餾,再以頂級橡木桶存封數年裝瓶上市
洗練された方法で蒸留され、上質なオーク樽で数年間、樽詰め。
石板酒窖長年溫度介於18-23°C,絕佳的熟成環境、時間的淬鍊,造就非凡風味,四十度的口感不嗆不辣。些許的煙燻味以及大地的稻米香,想微醺、放鬆的夜晚來和山豬一起迷路吧!
貯蔵庫の温度は一年間を通して18~23℃で、優れた熟成環境と時間が格別な味わいを生み出します。ほんのりスモーキーな香りとお米と土の香り、ちょっと酔ってリラックスしたい夜に、イノシシと一緒に迷子になりませんか!

山豬建議:
イノシシのおすすめ:
直接啐飲 享受原味 迷路指數40%
ストレートで飲む オリジナルの味を楽しむ 迷子指数40%
加水稀釋 味道更豐富 迷路指數20%
水割り より豊かな風味を味わう 迷子指数20%
冰塊飲用 享受酒體的變化 迷路指數25%
ロック 味わいの変化を楽しむ 迷子指数25%


「山豬迷路」の由来

日本統治時代の台湾では大正11年( 1922)、酒専売が導入され、台湾総督府の財政状況を安定化し、台湾のインフラ整備にも貢献することになった。

公式サイトには、「山豬迷路」の由来も記載されている。エピソードは日本統治下に遡ります。

      故事來自日據時代受到強制遷村到山下的信義地利部落。據說當時部落裡有一位相當擅長釀酒的伍禡 WU MA 奶奶,由於日人限制私釀。所以伍禡WU MA奶奶都會利用黑夜用黑布將自家窗戶緊密遮住,進行穀釀的最後蒸餾作業,以提供族人於慶典中飲用。待作業完畢後再利用深夜將蒸餾完的酒渣,運至山谷中丟棄,適巧倒完之後出外覓食的山豬受到酒香的吸引,蜂擁而至,開懷品嚐起酒香四溢的酒渣。
      或許是不勝酒力,也可能是意猶未盡山豬們竟然循著味往伍禡WU MA奶奶的家中前進。整理完畢的伍禡WU MA奶奶最後將黑布收下,窗戶的燭火燈光在深夜異常明亮。山豬們此時竟然狂奔的衝進伍禡WU MA奶奶家中。
        此後族人就笑稱伍禡 WU MA奶奶的穀類精釀叫山豬迷路。而且在那限制私釀的年代,族人一提到-山豬迷路更是相視會心一笑。
        信義鄉農會酒莊沿用伍禡 WU MA 奶奶精純工法釀製蒸餾,再以頂級橡木桶存封數年裝瓶上市。為每位享用山豬迷路的同好保留住當年部落居民山居生活最為可愛的默契、友誼與歡樂。

山豬迷路(https://www.52313.com.tw/home/public/board-content?id=28

簡単に意訳します。。。
 この物語は、日本統治時代に村を山間部に強制移住させられた信義地利部落に由来する。この部族には、酒を造るのが得意な呉馬婆さん(伍禡WU MA奶奶・ウーマーおばあちゃん)がいたと言われている。日本統治下時代は個人での酒造には制限がかかっていたため、ウーマー御婆さんは、真夜中に黒い布で家の窓を暗闇の中でしっかりと覆い、穀物酒(雑穀酒)の蒸留を行って、そうして部族が祝賀会で婆さんの蒸留酒を飲むことができるようにしました。
蒸留が終わると、残り滓は深夜に渓谷に運ばれて廃棄される。ちょうど、渓谷に残り滓を注いだ後に、餌を食べにきていたイノシシが、ワインの香りにつられて群がってきた。
 アルコールをもっと欲していたのか、イノシシたちはアルコールの匂いを追ってウーマー婆さん家へ。片付けが終わって、ようやく婆さんが作業を隠していた黒い布を片付けると、窓の蝋燭の明かりが異常に明るく真夜中を照らしはじめた。このとき、イノシシたちはウーマー婆さんの家に一斉に殺到してしまった。
 それ以来、部族では「ウーマー婆さんの雑穀酒でイノシシが迷子になった」と冗談を言うようになった。 自家醸造が制限されていた当時、イノシシが道に迷ったという話をすると、部族一族郎党が笑い合った。
 信義郷農協蒸留所(信義郷農會酒莊)では、ウーマー婆さんの穀物酒の蒸留方法に従い、最高級のオーク樽で数年間樽詰めしている。 丘陵地帯の部族生活の友情、仲間意識、喜びといった最も素敵な絆は、「山猪迷子」を楽しむすべての人にとって守られています。

※画像は公式サイトより引用

迷子の猪がかわいい。。。
看板には「東埔温泉」「信義酒莊」と記載あり。
東埔温泉は、台湾最高峰の温泉地であり霊峰・玉山の名湯。

信義地利部落

https://goo.gl/maps/fBmmVbrJNQupPEbJA


「山豬迷路」パッケージ

まだ、飲んでいませんので、味わいに関してはまた後日。。。
ウイスキーは寒冷地というイメージがありましたが、もちろん台湾は南国。南国ゆえに熟成スピードが早く、台湾ウイスキーはフルーティでまろやかになるのだとか。開封が楽しみ。

というか、台湾行きたい、、、

※撮影2022年11月


関連

靖國神社の新春初詣(令和4年)

令和4年(2022年)正月元日。
靖國神社に初詣。

新春初詣の正式参拝を。

御本殿には、 明治天皇が明治7(1874)年1月27日に初めて招魂社をご参拝された際に詠まれた御製が奉書された御宸筆の扁額が掲げられている。
年のはじめに、改めて御本殿の扁額に接する。

我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき

国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えるお社。

感謝と哀悼を。

靖國神社で正月の光景を。

令和壬寅

ご参拝の後は甘酒をどうぞ

甘酒を戴きました。

雑煮&古代ちまきセットも戴きました。

毎年恒例の「全国奉納絵馬展」

毎年恒例の「献酒」全国奉納酒造業者の酒銘柄。

社務所は、建て替え工事開始。。。

新春恒例 振舞い酒

戴きました。

多くの参拝者で賑わう、新春初詣の靖國神社。

おみくじを引きました。
中吉、でした。

新春初詣の正式参拝のおさががりと、
お神酒と祝枡、御朱印をいただきました。

神菓は、新宿中村屋の月餅。靖国紋と虎柄と。

靖國神社の御神菓

お神酒と祝枡。

裏面。

靖國神社の御神酒

太平洋戦争開戦から80年。
1942年に起きた戦いは、今年2022年で、すべからく80年の節目となります。

軍隊と羊羹

酒保(軍隊での売店)での人気の甘味のひとつであった「羊羹(ようかん)」。
そんな羊羹を以下、つれづれと。

間宮羊羹

海軍将兵に最も愛された艦として有名な特務艦「間宮」

艦隊勤務の海軍将兵に給糧として甘味をもたらしてくれる特務艦。
「間宮」ではアイスクリームやモナカ、ラムネなどの嗜好品を生産しており、なかでも羊羹は一番人気だったとか。

「間宮羊羹」とは

【特務艦 間宮】
 広島県呉市を母港とする艦艇の中で、海軍将兵に「最も愛された、人気のあった艦」と言えば、間違いなく特務艦「間宮」でしょう。
 特務艦とは、他の艦艇の活動を支援することを任務とする艦で、「間宮」は他艦に糧食を供給する給糧艦でした。
 「間宮」は、内地から部隊に糧食を輸送するだけでなく、艦内に食品を製造加工できる設備をも有し、食品の他にモナカや大福、羊羹などの菓子類も製造していました。

【海軍将兵に大人気だった「名物 大型羊羹」】
 昭和17~18年に間宮主計長を務めた角本元海軍中佐の話によると、「と○やの羊羹より大きく!」との命令が申し送らされていたそうです。
 結果、当時「間宮」で製造されていた羊羹は、最低でも2kgはあったと思われます。
 そのサイズの羊羹を「間宮」では1日に2200本製造できる能力があったそうで、まさに「一大製菓工場」と言われていたのは不思議なことではありません。

※この商品は公益社団法人呉青年会議所、海軍料理研究家の方々の協力により当時レシピにて可能な限り再現したものです。

特務艦間宮戦没者慰霊碑

広島県呉市 海軍墓地

給糧艦「間宮」
就役当時は間宮は世界最大の給糧艦であり、日本海軍としても初の給糧艦であった。補給の要として活躍。艦隊の酒保として非常に人気が高く帝国海軍の中では最も有名な艦の一つ。
昭和19年12月21日、米潜水艦の雷撃により沈没。

間宮羊羹専用 海軍刀

間宮羊羹専用 海軍刀
ようかん和菓子ナイフ
大日本帝國海軍の群島は錆びにくいステンレス刀が多く使われておりました。
この「ようかん和菓子ナイフ」は、ステンレス洋食器の一大産地「新潟県燕市」の職人が一つ一つ手磨きで仕上げた物です。どうぞ安心してお使いください。

「間宮羊羹」とは?
大日本帝國海軍の艦隊勤務者に一番愛されたフネは、大和・武蔵ではなく「給糧艦間宮」。
それは間宮が甘い物を届けてくれるから。アイスクリーム・最中・ラムネ等の嗜好品を艦内で生産していた間宮。その中でも「間宮羊羹」の愛称で親しまれた羊羹が一番人気でした。


江田島羊羹(江田島ようかん)

友人からの戴き物

江田島は美しい広島湾に位置して、東は呉市に北は広島市に相対し、西は名勝安芸の宮島に接した南北に細長い島です。明治廿一年八月海軍兵学校がこの江田島にできました。以来旧海軍のメッカとして若人のあこがれの地でありましたが、昭和廿年八月終戦とともに約六十年の歴史の幕を閉じました。
昭和廿一年一月海上自衛隊第一術科学校が発足し、再び海の男達の修練の場として脚光を浴びることとなりました。
江田島羊かんは古鷹羊かんと共に兵学校時代よりこの海の男の皆様から、常にご愛用を賜り御土産品として絶えず御利用戴いています。


航空携帯糧食 玉羊羹

靖國神社遊就館の売店にて購入

玉羊羹
ゴム製の風船を容器として売られる球状になった羊羹。

支那事変(昭和12年)のころに、戦地の兵隊さんへ送る慰問袋用菓子として、日本陸軍から開発指示により生まれたことに始まるという。

当時は「日の丸羊羹」とも呼称された。

航空携帯糧食 玉羊羹
~航空糧食の特徴~
玉ようかんは、高高度飛行の気圧変化の激しい環境下でも容器が破裂することなく、容易に携帯でき、甘味による疲労回復の糧食として携帯されていました。


大日本帝國海軍の伝統を受け継ぐ海上自衛隊でも。

海軍羊羹 観艦式ようかん

自衛隊観艦式2019 限定の「観艦式ようかん」(さかくら総本家)


海軍羊羹(さかくら総本家)

海軍羊羹とは
明治時代からさかくら総本家の和菓子は海軍御用達品でした。
長期保存できる甘味品を望んでいた海軍からの依頼を受け、開発された羊羹を当時の味のまま再現したものが「海軍羊羹」です。

(海軍羊羹)
やや硬めで仕上げた当時の食感をお楽しみください。

(海軍羊羹 抹茶)
※本品は製造方法をそのままに、白あんと宇治抹茶を使用し現在風に仕上げた羊羹となっております。

海軍御用達品

さかくら総本家の羊羹は横須賀をはじめ、呉、佐世保各鎮守府に納められておりました。
長期保存できる甘味料を望んでいた海軍からの依頼を受け、開発された羊羹を当時のまま再現したものが海軍羊羹です。


巡羊羹(呉・武田製網)

靖國神社遊就館売店にて入手。

一等国の一等品

呉名物

巡羊羹

伝統につちかわれた羊羹を独自の製法により新しい感覚にアレンジして現在にマッチした羊羹に仕上げました。


海上自衛隊 塩ようかん

ポケット羊羹で安定の「かし原」ですね。


「ようかん」は、今も昔も愛される甘味ですね。

大船軒のサンドウヰッチ 

2019年撮影

大船軒サンドウヰッチ

大船軒サンドウヰッチ(サンドウィッチ/サンドイッチ)
SINCE 1898
鎌倉ハム
ボンレスハム使用

ボンレスハムの層にマスタードを使用しています。

日本初の駅弁
「サンドウィッチ」誕生秘話
 大船軒創業者の富岡周蔵が明治政府の要人・黒田清隆から薦められ。自ら考案した「サンドウイッチ」は好評を博し大船の名物となりました。明治32年のことでした。

創業明治31年
湘南鎌倉 大船軒

 日本初の「駅弁サンドウィッチ」を売り出したのは東海道線大船駅にある大船軒で、まだ文明開化の風もおさまらぬ明治32年のことでした。
 「鎌倉ハム」のブランドができたのもこの頃で、そのハムを使った「駅弁サンドウィッチ」の美味しさは大評判を呼びました。
 大船軒は他に湘南名物「鯵の押寿し」や鎌倉にちなんだ「あじさいちらし寿し」が有名で、古くから文人墨客にも親しまれています。

鎌倉ハム

http://www.kamakuraham-tomioka.co.jp

鎌倉ハム富岡商会

当時の鎌倉ハム製造業者の一人に、現在の「鎌倉ハム富岡商会」の創業者、富岡周蔵がいました。
「鎌倉ハム富岡商会」の歴史は、駅弁の製造販売会社、大船軒の開業にさかのぼります。
大船軒で明治32年(1899年)、ハムサンドウィッチを売り出したところ、これが大評判となり、やがて多数の食料品業者からハムだけの注文がくるようになりました。そこで、富岡周蔵は、明治33年(1900年)、「鎌倉ハム富岡商会」として、ハム製造部門を独立させ製造を開始しました。「鎌倉ハム富岡商会」の百年を超えるハム作りの歴史は、まさにこの時にスタートしたのです。

鎌倉ハム富岡商会・ブランドストーリー

鎌倉ハムとマスタードのサンドイッチが4つ
チーズのサンドイッチが2つ

シンプルだけど美味なサンドイッチ。

明治32年(1899年)以来の伝統の味は120年変わらぬ名物。

明治の味、文明開化の味を楽しみつつ。

鳥濱トメさんの玉子丼・靖國八千代食堂

令和元年10月。

靖國神社御創立150年の節目の年の再整備。
令和元年10月10日に「靖國神社外苑休憩所」に新たにオープンした食堂が「靖國八千代食堂」

名物は「鳥濱トメさんの玉子丼」・・・
いただいてきました。

ほんのりと甘みを感じる、トメさんのやさしさに包まれた味わい。
玉子と玉ねぎ、往時を偲ぶシンプルな、しかし奥深い味。
一口二口と口に運んでいくとともに、なにやら目頭が熱くなってきてしまいました。
心から、ありがたさを感じつつ。美味しさを味わいつつ。

鳥濱トメさんの玉子丼

鹿児島知覧で「富屋食堂」を営んでいた鳥濱トメさん。
「富屋食堂」は陸軍指定食堂となり、多くの特攻隊隊員が食堂の面倒を見たことから「特攻の母」と呼ばれた。
特攻隊員が食した「トメさんの玉子丼」が、再現され、靖國八千代食堂でいただくことができるようになりました。

 名物は、鹿児島県知覧の富屋食堂で「特攻の母」と慕われた鳥濱トメさんの玉子丼。お孫さんの鳥濱明久氏の総監修を経て、当時の味をそのままに再現致しました。鳥濱トメさんの味を受け継ぐ鳥濱明久氏(鹿児島知覧 富屋食堂「ホタル館」館長:鳥濱トメ孫)並びに鳥濱トメ顕彰会の全面協力のもと、明久氏が想いを込めて作った知覧直送の割り下をそのまま使用し、沖縄救出のために「靖國で会おう」と散華された英霊を送り出したトメさんの想いをそのままに再現致しております。

https://www.yasukuni.or.jp/news_detail.html?id=195

知覧より直送する本物の味
特攻の母
鳥濱トメの玉子丼

旧知覧特攻基地の軍指定食堂であった富屋食堂で「特攻の母」と愛された鳥濱トメさんが特攻隊員のみなさんに振舞った玉子丼には一体どれほどの想いが込められていたことでしょう。

当店の玉子丼は、トメさんの味を現代に受け継ぐ富屋食堂「ホタル館」館長、そしてトメさんのお孫さんである鳥濱明久氏が想いを込めて作った割り下を、鹿児島知覧から靖國へ直送いただき、そのまま使用しています。

当時、富屋食堂で使用されていた「お重」なども店内に展示しています。またこの玉子丼の収益の一部は、特攻資料館 富屋食堂「ホタル館」の整備維持などに寄付しています。

鳥濱明久氏(鹿児島知覧 富屋食堂「ホタル館」館長:鳥濱トメ孫)並びに 知覧特攻の母 鳥濱トメ顕彰会の全面協力のもと再現した、玉子丼。

鳥濱トメ プロフィール
明治35年6月、鹿児島県坊津町(現南さつま市)生まれ。大正15年5月、24歳の時に長女の美阿子(鳥濱明久氏母)が誕生。昭和4年、27歳でそれまでの貯えを元手に「富屋食堂」を開業し、翌年次女礼子も誕生します。
昭和17年に「富屋食堂」は陸軍指定食堂となり、昭和20年3月、知覧からも特攻隊の出撃が始まると、富屋に多くの特攻隊員が出入りするようになりました。たくさんの隊員たちからお母さんと慕われ、トメはその出撃を見送り続け、いつしか「特攻の母」と呼ばれるようになりました。戦後、知覧の観音堂建立に尽力し、建立後は欠かさず毎日参拝に通い、平成4年に89歳で大往生を遂げるまで続けた、愛情あふれる形でした。

知覧より直送する本物の味
特攻の母
鳥濱トメの
玉子丼

富屋食堂の三段重
この三段重は
鹿児島知覧にて特攻の母と
呼ばれた「鳥濱トメ」の
経営した富屋食堂で
実際使われていた、お重です。
特攻隊員が食べてたいと言った、
卵丼のお重として使われ、
戦後はうな重等に
昭和50年迄使われました。
 孫 鳥濱トメ

八千代食堂の卵丼
 令和元年10月1日

特攻隊の母と呼ばれた
鳥濱トメが経営した
富屋食堂の再興のご馳走が
卵丼でした
出撃する直前
特攻隊員の食べた卵丼は
孫の私が受け継ぎ現在も
知覧にて、提供している
だし汁を八千代食堂に
送ったものです
 孫 鳥濱明久

例大祭で賑わう境内。ちょうどお昼時、行列ができるほどに盛況でした。
是非に靖國神社御参拝の帰りに味わってほしい、往時の味わいです。

公式サイト
英霊への想い 靖國の未来をつなぐ
靖國八千代食堂

https://yasukuni-yachiyo.com/

公式サイト
特定非営利活動法人
知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

http://www.torihamatome.jp

特攻観音(世田谷)

かつての靖國神社外苑休憩所


追記(令和3年8月15日)

富屋食堂の知覧茶

富屋食堂の知覧茶
この知覧茶は、靖國神社外苑休憩所の靖國八千代食堂と知覧富屋食堂との共同企画商品です。
特攻の母と言われた鳥濱トメさんのご遺徳と、
先の大戦で散華された特攻隊員の方々の想いを偲び、
特攻の地、知覧の茶葉を100%使用致しました。


靖國神社の御神菓

令和元年(2019)ほか

正式参拝(昇殿参拝)の撤下神饌

昇殿参拝の撤下神饌では、羊羹がお頒かちされます。
靖國神社すぐ近く、靖国通りに店舗を構える「 宝来屋本店 」さん。
明治元年(1868)創業。

撤下神饌
この撤下神饌は大前にお供えした神饌の一部です。
皆様におさがりとして、お頒かち致します。どうぞ神霊の御加護のもと、ご健勝にお過ごしください。
靖國神社

九段・宝来屋サイト

ホームページ

例大祭

撤下神饌
新宿中村屋の大月餅と金平糖。
大月餅は靖國神社御神紋。
たいへん大きくズッシリした月餅。

靖國神社では、新宿中村屋の月餅が定期的に神菓としてお頒かちされます。

2019年正月 

神菓
「靖國紋」と「干支・猪柄」の月餅

2018年秋
(靖國神社秋の夜長参拝)

神菓
「靖國神社御神紋」と「中秋の名月を愛でる兎」

2018年正月

神菓
「靖國紋」と「干支・戌柄」の月餅

2017年秋
(靖國神社みらいとてらす)

神菓
「靖國神社御神紋」と「中秋の名月を愛でる兎」

2017年正月

神菓
「靖國紋」と「干支・酉柄」の月餅

2016年正月

九段・宝来屋の和三盆糖入り菓子

2015年正月

九段・宝来屋の和三盆糖入り菓子


靖國神社の御神酒

靖國神社の御神酒

平成31年/令和元年(2019)ほか

「靖國神社の御神酒」は「澤ノ井」で有名な東京青梅の小澤酒造さんとなります。東京の地酒。

新バージョン

2019年からリニューアルされた御神酒。
靖國のお社を包み込む靖國桜と、浮き出た鳩 パッケージも多くの鳩が舞っておりました。

神酒(おみき)
神前には、お米・お酒をはじめとして、海の幸・山の幸をお供えします。
それをおさがりとしていただき
神人和合することを直会(なおらい)といいます。
この神酒は、ご家庭でお召し上がりいただく皆様におわかちいたします。
どうか、神霊(みたま)のご加護のもと健やかに心豊かにご家庭円満に、お過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

旧デザインと新デザインと。
旧デザインの御神酒は貴重なものとなってしまいました。

現在は新デザインの御神酒のみ頒布。

創立百五十年記念限定御神酒

創立百五十年を記念して期間限定パッケージでの頒布。

旧バージョン

神酒「靖國」

桜色の可愛らしい瓶。
上から見ると靖國神社に相応しい「桜の花」となる、意匠優れた美しくステキな御神酒。

神酒

昇殿参拝などの際に、いただいた御神酒(小瓶)

こちらは「日本盛」(兵庫県西宮市)なのですね。

靖國神社の御神菓