仙台城周辺の戦跡を巡ってみました。
本編は、「その2」です。
目次
野砲兵第二聯隊之跡
(第二師団野砲兵第二聯隊)
仙台城の北にある国際センター駅のさらに北側。
宮城県美術館の東側道路の植え込みの陰に、ひっそりと跡地の石碑があった。
野砲兵第二聯隊之跡
昭和58年の建立。
明治11年(1878)に砲兵第2大隊が榴ヶ岡に創設され、後に山砲兵第2大隊となり、明治16年(1883)に川内に移転、明治17年に野砲兵第2聯隊となった。
これはわかりにくい。。。
場所
親兵淵
(第二師団野砲兵第二聯隊)
親兵淵
ここの淵は「親兵淵」と呼ばれ、対岸の崖の上に駐屯していた旧陸軍野砲第二聯隊の親兵さんがこの淵で泳いだり、洗濯したちしていたことから名付けられたものです。
場所
広瀬川
左側に高台に、野砲第二聯隊が駐留していた。
軍馬軍用動物彰忠塔
昭和15年(1940)の紀元二千六百年奉祝行事を記念して、軍馬や伝書鳩や警戒犬などの軍用動物の慰霊のために建立。
軍馬軍用動物彰忠塔
参加聖戦
日清戰役
日露戰役
西伯利亞事變
満洲事變
支那事變
場所
満洲事変軍馬戦歿之碑
満洲事変軍馬戦歿之碑
昭和六年九月十八日以降無言ノ戰士トシテ満洲事変變ニ参加セシ第二師團下諸部隊戰病死馬八十七頭ノ霊ヲ合祀ス
昭和八年十二月
正六位勲六等四竃仁邇書
四竃仁邇(雅号は静堂)は、仙台の裁縫教育の先駆者であり、音楽教育の先駆者でもある。
2つの軍馬関連の慰霊碑
場所
家畜慰霊碑
昭和30年建立
場所
工兵隊の跡
(第二師団工兵第二聯隊)
明治15年(1882)に工兵第二中隊が創設。
明治22年(1889)に工兵第二大隊となり、明治30年(1897)に旧駐留地の亀岡から仙台大橋通に移転。
昭和11年(1936)6月1日に、工兵第二聯隊に改編された。
工兵隊の跡
場所
フリーメイソンの石碑(米軍仙台ロッジ跡?)
仙台城大手門の入り口近くに「フリーメイソン」らしき石がある。
諸説あるが、仙台城(青葉城)には、戦後に進駐軍が駐留しており、米軍「フリーメイソン」の「仙台ロッジ」があったということから、「フリーメイソン仙台ロッジの礎石」であるという説が濃厚とのことで。
場所
松川大将之碑
仙台出身である松川敏胤の記念碑。
仙台城唯一の復元建築物である大手門隅櫓のちかくにある。
松川敏胤は、軍事参議官・朝鮮軍司令官・東京衛戍総督や第10・第16師団長を歴任し、階級は陸軍大将従二位勲一等功二級に至る。陸士旧5期、日露戦争時は満州軍作戦参謀であった。
松川大将之碑
題額は閑院宮載仁親王
発起人はそうそうたる面々が名をつられている。
松川将軍薨シテ追慕措ク能ハス我等集リテコノ碑ヲ建ツ
協力者ハ陸軍大学兵学教官当時ノ学生旧部下其ノ恩顧ヲ受ケタル者ニシテ題額ハ畏クモ 閑院宮載仁親王殿下ノ御深筆ナリ
友田宣剛文ヲ撰シ四竃仁邇之ヲ書ス
昭和4(1929)年4月30日
発起人
河合操 田中義一 田中國重 奈良武次 武藤信義 大庭二郎 尾野實信 山梨半造 町田経宇 福田雅太郎 白川義則 森岡守成 鈴木荘六(イロハ順)
場所
大手門隅櫓のすぐちかく。
御大典記念樹
三の丸跡に。
御大典記念樹
これは別の石碑
大正14年10月竣功
なにが竣功したのは不詳。。。
林子平の碑
江戸時代後期の経世論家、元仙台藩士。
高山彦九郎、蒲生君平と並ぶ「「寛政の三奇人」の一人。
魯迅の像と魯迅の碑
魯迅は中国の小説家、翻訳家、思想家。
魯迅と仙台とは、1904年、仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)の最初の中国人留学生として入学した縁がある。
仙台市地下鉄の国際センター駅を拠点に南北を散策しました。
※撮影:2023年8月