木更津の戦跡散策。
その1とその2は、陸上自衛隊木更津駐屯地を中心に取り上げましたが、「その3」では駐屯地の外を散策してみました。
「その1」は、下記にて。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M50-66
昭和22年(1947年)2月22日、米軍撮影の航空写真を一部加工。
木更津には「木更津海軍航空隊」と「第2海軍航空厰」がありました。
現在の様子(GoogleMap)
巌根駅
袖ヶ浦駅と木更津駅の間に位置する、巌根駅。
開設は、昭和16年11月20日。太平洋戦争開戦の直前。
第2海軍航空厰を開設した大日本帝国海軍の要請に基づく。
現存する駅舎も、昭和16年11月の開業以来の佇まいを残している。
巌根駅
巌根駅・第2海軍航空厰の連絡道路
巌根駅から「第2海軍航空厰」への連絡道路。
連絡道路のつきあたりに「倉庫」がある。この敷地がかつての「第2海軍航空厰」となる。
海軍航空厰
海軍航空厰は、海軍航空隊で使用される軍用機の製造や部材調達・保管や修理などを行っていた工場。
昭和7年4月に「海軍航空厰」として、追浜に設置されたことに始まる。
昭和14年4月に追浜の海軍航空厰は「海軍航空技術厰」に改称。
第1海軍航空厰
昭和16年10月に、海軍航空技術厰霞ヶ浦出張所が、改めて「第1海軍航空厰」として独立。
第2海軍航空厰
第1と同じく、昭和16年10月に木更津に「第2海軍航空厰」が新設。第2海軍航空厰の本厰は「木更津(巌根)」。そのほか館山・八重原・瀬谷などに工場が展開され、昭和19年には松本にも疎開工場が展開された。
第11海軍航空厰
昭和16年11月に、広海軍工廠から航空機部が独立。本厰は広。
第12海軍航空厰
昭和16年10月、第11海軍航空厰分廠を改編。本厰は大分市今津留。
第21海軍航空厰
昭和16年10月、長崎県大村市に開庁。
第31海軍航空厰
昭和17年4月、第11海軍航空厰舞鶴支厰が独立。
第41海軍航空厰
昭和17年4月、第2海軍航空厰大湊支厰が独立。昭和19年10月に、千歳に本厰が移転。
第51海軍航空厰
昭和17年4月、第21海軍航空厰鎮海支厰が独立。
第2海軍航空厰・巌根工場の防音運転場
(現・貸スタジオ)
昭和16年10月開設。
現在は、木更津倉庫株式会社や貸スタジオの敷地となっている。
そこに残る建屋が「防音運転場」。
航空機の発動機の動作確認を行っていた防音施設だったようで。
現在は、防音ということを活かして、現在は、貸スタジオ(ハウススタジオ)となっている。
STUDIO ZERO NOIR (Pilot’s)
下記のサイトに内部写真が掲載されている。
https://studio.powerpage.jp/#!/detail/10784
大体の場所
場所:
https://maps.app.goo.gl/ab8ucVKCLmFi3mnt9
第2海軍航空厰・巌根工場の建屋
(現・貸スタジオ)
空自入り口の左側の三角屋根の建屋は海軍時代のもの。
空自の敷地ではなく、民間の撮影スタジオとなっている。
場所:
https://maps.app.goo.gl/hh2ektFWwp9iBrPp8
第2海軍航空厰跡
(現・航空自衛隊木更津分屯基地)
木更津の空自。
ちなみに、木更津には、陸自と海自と空自と揃っている。
航空自衛隊木更津分屯基地
第4補給処木更津支処
木更津地方警務隊
基地のなかには入れないので、外から外周を歩きながら見学。
なんかいた。
F-104J
T-1B
第2海軍航空厰・海軍木更津飛行場の連絡道路
(海軍道路)
この界隈では、交通量に見合わず格別に広い道路。
まさに、海軍のために設けられた道路。
第2海軍航空厰のあった「空自」から、木更津海軍航空隊のあった「海自」に赴く。「海自」の奥は「陸自」もある。
木更津海軍航空隊(木空)・海軍木更津飛行場
昭和11年(1936)4月1日、木更津海軍航空隊が現在の陸上自衛隊木更津駐屯地の場所に開隊。
木更津海軍航空隊は、鹿屋海軍航空隊と同時に開隊した日本初の陸上攻撃機部隊。
昭和17年(1942)11月1日に、第七〇七海軍航空隊と改称、翌12月1日に第七〇五航空隊(三沢空)に編入。
七〇七空の解散後も木更津飛行場は拠点基地として機能。
昭和20年8月7日には、木更津飛行場において、日本初の純国産ジェット機「橘花」が飛行に成功している。
敗戦直後の1945年8月19日、参謀次長河辺虎四郎中将を筆頭とする降伏全権団は、米軍の指示で木更津海軍飛行場から沖縄県の伊江島まで2機の飛行機=緑十字飛行(1番機一式大型陸上輸送機と2番機一式陸上攻撃機の緑十字機)で向かい、さらに伊江島から米軍機に乗り換えてフィリピンに向っている。
戦後は米軍の駐留を経て1956年(昭和31年)に航空自衛隊木更津基地が間借りする。
1961年(昭和36年)に米軍は立川飛行場に転出し、航空自衛隊が占有するが1968年(昭和43年)に入間基地に転出。
入れ替わりに陸上自衛隊が転入して木更津駐屯地となり、現在に至る。
木更津海軍飛行場の格納庫
(現・海上自衛隊航空補給処)
木更津の海自は、海上自衛隊の航空機が使用する搭載装備品の補給・整備を中心とした後方支援業務を実施している。
ここ木更津が本処。
海自は、千葉県内には「下総航空基地」と「館山航空基地」を有している。
何かのいかりと大きな格納庫
海軍飛行場時代の格納庫
敷地には入れないので、全て敷地外から。
色は、緑系で、手前が濃くて奥が薄め。
裏に回ってみました。
存在感
場所はこのあたり。
海軍時代の施設跡(防空壕・退避壕)
(現・陸上自衛隊木更津駐屯地)
木更津駐屯地の北東から北端の周辺道路を歩いてみる。
海軍時代の建造物が散見しているのがわかる。
こんなかんじで、不自然なコンクリート建造物がある。
1つめ。
2つめ。
3つめ。
4つめ。
なにか新しく建造中。富士山見えてる。
5つめ。
往時っぽい建造物はほかにあるかもしれないけど、周辺を歩いてみるだけでも、かなりの数が目に止まる。
木更津海軍飛行場時代の橋梁
北西端あたりに橋梁跡が残っている。
木更津海軍飛行場時代の掩体壕
北西端あたりに、掩体壕がいくつか残っている。
敷地外からも、垣間見ることができる。
木更津飛行場の北西端は、江川海岸・潮干狩場
東京湾を挟んで、富士山が見えた。
場所:
https://maps.app.goo.gl/vyecfVRcwesDAEZf8
木更津海軍飛行場時代の施設
木更津市中里の交差点(セブンイレブンとかパールショップともえなどがある交差点)の北西部の住宅街に残るコンクリート施設。
だいたいこのあたり
海軍時代の止水栓蓋
木更津駅の北側、房総往還道路に面した商店街の歩道に残っていた。
場所
https://maps.app.goo.gl/uzpYyMVZLNhwcTPm6
古そうな建物も周辺に残っている。
旧金田屋洋品店は、昭和7年の建立。
場所:
https://maps.app.goo.gl/6RLrUgELkNA7c8CFA
※撮影:2024年2月