第1空挺団「降下訓練始め」(陸自習志野演習場・2024)

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令和6年1月7日、陸自第1空挺団による新春恒例の「降下訓練始め」が実施されましたので、足を運んでみました。

自衛隊で唯一の落下傘部隊である第1空挺団。
不法占拠された離島を、敵国から奪還するとの想定で、約1時間の訓練展示が行われました。


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空の神兵

大日本帝国陸軍・海軍の落下傘部隊(空挺部隊・挺進部隊)、落下傘兵(空挺兵・挺進兵)に対する愛称。
海軍は「空挺部隊」
陸軍は「挺進聯隊・挺進集団」
そして、陸自は「空挺団」

太平洋戦争(大東亜戦争)蘭印作戦
1942年(昭和17年)1月11日
海軍の横須賀鎮守府第一特別陸戦隊がセレベス島メナドに対し敵前にて奇襲落下傘降下を敢行。。
1942年(昭和17年)2月14日
陸軍の第1挺進団(挺進第2連隊)がスマトラ島パレンバン(パレンバン空挺作戦)に対し同じく敵前にて奇襲落下傘降下を敢行。
両作戦は成功しオランダ軍他が守備する飛行場(メナド・パレンバン)や、大油田・製油所(ともにパレンバン)を制圧した。
これらの活躍から日本軍落下傘部隊に対し「空の神兵」の愛称が付けられた。

「空の神兵」は、帝国陸軍落下傘部隊(第1挺進集団)の事実上の後身である陸上自衛隊第1空挺団にも継承されている。
習志野の陸自第1空挺団は、昭和27年より研究されれ昭和30年に設立した初代空挺教育隊を起点とし、初代空挺教育隊長を務めた衣笠駿雄元陸軍少佐(初代第一空挺団長)に率いられた第1次研究員20名によって昭和33年に創設された。
この第1次研究員20名こそが太平洋戦争末期に帝国陸軍落下傘部隊において教育途中であった元挺進兵であった。そのため帝国陸軍落下傘部隊の歴史は陸上自衛隊落下傘部隊の歴史とされ、その伝統を堂々と継承している第1空挺団の事実上の隊歌として使用、かつ「降下訓練始め」では歌唱付きの『空の神兵』がそのまま場内で放送されている。


降下訓練始め 準備

一般開放は朝8時30分から。
6時すぎに「新京成・習志野駅」に到着して、6時30分頃に「習志野演習場」に到着。もうすでにいい感じに行列ができていました。

7時半ごろの空模様。まだ雲が残っていますね。

時間通り、8時半に入場開始。

滑走路脇から演習場まで歩く。

8時50分頃、演習場に面した高台の観覧場で、今日の観覧場所を確保。

散水車が演習場内をグルグルしていました。

スタンバイ中の10式戦車と16式機動戦闘車

10時30分すぎに、CH-47チヌークから各国の関係者が到着。
本来は、空挺団・各国指揮官等降下展示を予定していたが、悪天候(強風)のために、着陸からの展開。

今回は、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、オランダ、そしてインドネシアとの合同訓練。

木原稔防衛相もCH-47で登場。桜星5つ旗ですね。


降下訓練始め

10時47分。上空に1機のCH-47が飛来。

「ヘリボーン作戦」

状況開始!

上空1800メートルから、制圧のための潜入降下。

援護として、AH-1S(コブラ)の支援。

約340メートルからの降下。

C-2輸送機

米軍機も参加。米軍機C-130からの降下も実施。

観戦武官というか、参加国に、今回は初でオランダとかインドネシアとかも参加していますが、アメリカ軍機から降下する日本の第1空挺団の降下BGMは、おなじみの「空の神兵」。その伝統には揺らぎがない。

空の神兵
 梅木三郎作詞  高木東六作曲

藍より蒼き大空に大空に 忽ち開く百千の
真白き薔薇の花模様 見よ落下傘空に降り
見よ落下傘空を征く 見よ落下傘空を征く

世紀の花よ落下傘落下傘 その純白に赤き血を
捧げて悔いぬ奇襲隊 この青空も敵の空
この山川も敵の陣 この山川も敵の陣

敵撃摧と舞い降る舞降る まなじり高きつわものの
いずくか見ゆるおさな顔 ああ純白の花負いて
ああ青雲に花負いて ああ青雲に花負いて

讃えよ空の神兵を神兵を 肉弾粉と砕くとも
撃ちてしやまぬ大和魂 我が丈夫は天降る
我が皇軍は天降る 我が皇軍は天降る

足を屈することのないきれいな着地。

降下後にいかに素早く迅速にパラシュートを片付けるかも見どころ。

すぐさま、進撃を展開

航空支援
戦闘ヘリコプターAH-1S(通称「コブラ」
多用途ヘリコプターUH-1J(通称「ハンター」)

輸送ヘリコプターCH-47(通称「チヌーク」

チヌークは、大活躍です!

高機動車と120ミリ迫撃砲の運搬。

火砲での制圧

地上支援

10式戦車と16式機動戦闘車

軽装甲機動車LAV(ラヴ)も。

三度の航空支援

さらには、米軍による空挺支援
ただし、悪天候で降下中止。上空通過のみ。
米軍空挺が中止した中で、普通に空挺を成功させた習志野第一空挺団は、さすが「第一狂ってる団」(褒め言葉

米軍から言わせると、習志野演習場は狭くて、こんな狭い所に空挺降下する陸自の第一空挺団は、頭おかしいそうで。。。

チヌークの襲来。

米国、英国など、同盟国及び同志国の部隊が来援

地上戦を展開し、敵を撃破し離島を奪還したところで、訓練展示は11時45分頃に終了。

状況終了!


降下訓練始め 終了

木原防衛大臣訓示などの式典

ちょっと遠い。
APS-Cの300mmなので、光学450mm換算だけど、それでも遠い。

16式機動戦闘車、砲口の掃除を実施していました。

航空自衛隊第1高射群第1高射隊が装備する地対空誘導弾ペトリオットの発射地区、かな。

なんか古そうな建屋。陸軍時代?かどうかは不詳。

このあたりは、陸軍演習場、射撃場などが設けられていたが、往時の航空写真を見ても建屋は確認できないほどに、なにもない原野の射撃場のため、戦後の建立とは思われるが。(移築などがあるとなんともいえないですけど)

習志野射撃場

滑走路

習志野演習場を出たのは、12時40分すぎ、でした。

習志野駐屯地を横目にみながら、駅まで戻ります。

※2024年1月撮影


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コメント

  1. 石井治方 より:

    私も 行きました 例年に比べ人員が少なく かなり縮小ぎみでしたね 北陸に人員が割かれたのかなと思いました 毎年思うのですが 荷物を沢山持って我が物顔で前列を陣取る人達 私はカメラ一台のみ持って行きます。

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