海上自衛隊 館山航空基地。
2023年7月23日に、館山航空基地開隊70周年(Since1953)として「ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA 2023」イベントが開催された。
せっかくなので、館山に行ってみました。
目次
館山海軍航空隊(館空)
昭和5年(1930)に館山海軍航空隊(館空)開隊。海軍航空隊としては5番目。
(横須賀・佐世保・霞ヶ浦・大村・館山)
横須賀海軍航空隊(横空)の実戦部隊が館山に移動することで「横空」は研究航空隊に特化。
昭和9年(1934)に最新鋭の中型陸上攻撃機(中攻)が開発され、館山に配備。館山ーサイパン島間2220Kmの無着陸飛行に成功している。
昭和11年に木更津海軍航空隊(木空)が開隊すると、「木空」が外戦作戦任務を担当し、「館空」は内戦作戦部隊となる。
館山の房総特有の西風を強く受ける滑走路の環境は、航空母艦の短い甲板から飛び立つ訓練に最適であり、「陸の空母」として機動部隊のパイロット養成が行われた。
開戦後の1944年(昭和19年)に、東日本の哨戒航空隊を統合した「第九〇三海軍航空隊」が館山を中心に展開され、対潜哨戒機が配備され広大な哨戒区域をカバーする事となる。
洲ノ埼海軍航空隊(洲ノ空)
館山海軍航空隊の隣には、「洲ノ埼海軍航空隊」(洲ノ空)が昭和18年6月1日に開隊。それまで「横空」で行われていた射爆兵器の整備教育を担当する全国でただひとつの兵器整備練習航空隊で、操縦以外の航空機にかかわる専門技術を学ぶ養成機関であった。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M583-25
1947年10月23日、米軍撮影の航空写真。
拡大、加工。
現在の様子。
海上自衛隊館山航空基地
戦後、海上保安庁海上警備隊が保安庁警備隊に改編。
1953年(昭和28年)8月、館山海軍航空隊跡地にベル型ヘリコプターが配備されて操縦訓練を開始。同年9月館山航空隊が開設。海上航空再興の第一歩として、海上自衛隊航空部隊の発祥の地ともなった。
現在は、第21航空群司令部が所在し、護衛艦艦載ヘリコプター部隊、哨戒ヘリSH-60J・SH-60Kと救難ヘリUH-60Jを運用する航空基基地となっている。
本部庁舎・号令台
数年前まで残っていた館山海軍航空隊本部庁舎は、2015年に解体され、新しい庁舎が新築された。本部庁舎と号令台、練兵場の位置関係は海軍時代と海自時代で、かわっていない。
号令台。
今回、立ち入り可能な場所が制限されており、本部庁舎周辺に近寄ることは叶わなかった。
燃料庫
管制塔
展望回廊の見学
鷹の島の方向
エプロン
沖ノ島の方向
西側
北側
東側
東南側
眺望が良いときは富士山も見えるという。
教育史料館
どうやら、基地内を再整備した際に、史料館が移設され縮小したようで。展示物に旧軍関連が皆無となっており、、、
※旧軍関係は2階にありました
第21航空群公式キャラクター
ろくまる
本部庁舎の写真
解体前の庁舎、号令台が写る。
館山航空基地の年表
南極の氷
しらせ飛行科
基地内の散策
基地内を散策。。。歩ける場所が少ない。。。
旧軍遺構っぽいものもない。。。
案内図が古い。
本部庁舎のちかくの「3」に史料館が記載あるが、史料館は別の場所に移転。かつての史料館は兵舎流用であったが、
礎石
慶長年間、江戸城外壕の石垣用として海路仙台から24個の大石を千石船に積んで江戸に運ぶ途中暴風に遭い鷹の島の島陰にのがれたが不幸にも大浪に呑まれて沈没してしまった。昭和5年、旧海軍館山航空隊創設の際海中から引揚げられたもので皇居外壕にものと同じといわれている。
残余の石は当隊庁舎の礎石並びに鷹の島弁天の手洗石に設置されている。
敷石は南鳥島(マーカス)の珊瑚砂である。
格納庫(第1はない、、、)
車庫
SH‐60K 飛行展示
海上自衛隊の主力ヘリであるSH-60Kによるフライト展示。
救難展示
着陸後、専用の洗浄エリアに。
洋上飛行したヘリに付着した塩分をシャワーで洗浄。
これをすることにより塩分起因のサビなどを防止し機体寿命を伸ばすことは可能。
水浴び
炎天下でみるヘリのシャワーは気持ち良い。
洗浄終了!
飲食
とりあえず、たてやま海自カレーを。
味が違うというので食べ比べ。
あと、炎天下でかなり危険なので、体内冷却を。
台湾マンゴー。すぐ溶けた、、、
保存機
2024年にすべて撤去解体されました
立入禁止エリアにある、記念碑の見学ができなかったのが残念。
悠久之碑
海軍航空写真分隊記念之碑
海上航空再興之地
海軍中攻隊之碑
海軍落下傘部隊発祥の地
上記の記念碑があるというが。
次の公開日に拝見できるといいな、、、と。
館山の海軍戦跡はまだまだ豊富なので、どうやら足繁く通うことになりそう。。。
※撮影:2023年7月