神田駅西口から「煉瓦造りの高架橋」を散策してみました。
目次
JR神田駅
大正8年(1919)、中央本線の万世橋駅ー東京駅間の途中駅として開業。
今も活用されている「高架橋」は開業と同じく大正期に建造。高架橋は当時の最新技術であった鉄筋コンクリート造りをベースと赤レンガ装飾を施している。これは、明治後期に新橋駅ー東京駅間の総レンガ積み高架橋と外観を統一するためであった。
JR神田駅西口から南に向けて。
今も残る「赤れんがの高架橋」を丹念にみてみると、ところどころに欠けが見受けられる。これは一説によると「機銃掃射の弾痕」だという。
そう思って、改めて観察してみると確かに「機銃掃射弾痕」に見えてくる。
近隣では、日本橋川に架かる「鎌倉橋」にも機銃掃射弾痕がある。
鎌倉橋は昭和19年11月の空襲であったというが、神田駅の高架橋に残された弾痕はいつのものかは不詳。
神田駅西口高架下に残る機銃掃射弾痕?
神田駅西口を出て、すぐ目の前の高架橋。さっそく弾痕ぽい跡があったけれども、いったんは、ちょっと北側に歩いてみて、順番に見ていきましょう。
第2鍛冶町橋高架橋(北側)
第1鍛冶町橋高架橋(南側)
神田駅西口改札側
新石橋架道橋(北側)
焼け跡?
新石橋架道橋→新石町橋高架橋
神田駅西口改札の道路を挟んだ南側。
新石橋架道橋から新石町橋高架橋の間
新石町橋高架橋(南側)
千代田町橋高架橋(北側)
千代田町橋高架橋
神田駅の周辺に、こんなに機銃掃射弾痕が残っているとは、露知らず、でした。
スキマ時間でも、散策できるスポット。ちょっと気にして歩いてみるのも良い感じです。
関連
煉瓦に対する機銃掃射としては、半田赤レンガ建物(中島飛行機半田製作所・衣糧倉庫)もある。