初出は2020年12月の写真。2024年5月再訪の上で写真及び記事を追加。
昭和17年4月18日、ドーリットル空襲において、横浜・川崎地区は初空襲を受けて以来、大小30回にも及ぶ空襲を受けてきたという。
昭和19年12月25日、横浜地区において、B-29 による初空襲。
昭和20年4月4日、川崎地区において、B-29 による初空襲。
そして4月15日には、B-29爆撃機200機を超す編隊にて川崎を空襲された。
「川崎大空襲」での死者は700人から1500人といわれている。
昭和20年(1945)5月29日の昼間、アメリカ軍はB-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機という大編隊でもって横浜を空襲。約8000人から10000人という死者をだした。この「横浜大空襲」では、京急平沼駅が壊滅、神奈川県護國神社は焼失、している。
目次
鶴見線・国道駅
鶴見線国道駅が、いつ機銃掃射されたかは明らかではないが、壁面に機銃掃射の弾痕が今も残されている。
米軍のP-51(マスタング)によるもの、とされている。空襲に際して、B-29爆撃機の護衛として、空母艦載機P-51は、B-29と行動をともにしていたが、戦争末期になると日本軍の迎撃も組織的には行うことができなくなており、P-51は爆撃機護衛に任務から対地攻撃に変更し、重要拠点のみならず民間人を機銃掃射するようになっていた。
国道駅の弾痕も、そのようなP-51戦闘機による機銃掃射の弾痕とされている。
昭和5年10月28日、鶴見臨海鉄道の駅として開業。
昭和18年7月1日、鶴見臨海鉄道は国有化され、鉄道省鶴見線となる。
なお、鶴見線の大川支線にも機銃掃射の弾痕が残っている。
国道駅に残る機銃掃射の弾痕を観察してみる。
南口にある、この凹みがP-51戦闘機による機銃掃射の弾痕、という。
コンクリートの側面にも弾痕が。
看板の周辺にも、いくつか弾痕が残っている。
高架下
北口
東口?
2020年は営業していた焼き鳥屋(下記写真)は、2024年に再訪したら閉店していた。
昭和のまま、時を止めた空間。
有効期間は、昭和82年・・・
ホームに上る
「すきま注意!」のみが新しい
国道駅ホーム
2020年12月は205系で運行。
以下は2024年5月。
新車のE131系1000番台で運行。
「すきま注意!」のデザインだけが細心な雰囲気。
昭和5年の開業以来、大きな改良等もなく、昭和の姿を留めている国道駅。
昭和の戦争の爪痕も、昭和の歴史の一つとして、ここに残されていた。。。
鶴見駅
鶴見線は全身の鶴見臨海鉄道が大正15年に、弁天橋ー浜川崎間で開業。鶴見駅には昭和9年に乗り入れとなっている。
浅野総一郎
あとは、鶴見線といえば。
コメント
火垂るの墓とか色々な県で多くの方々が亡くなりショックが多かったと思います。こうやって残していただいて勉強になります
氷川様、コメントありがとうございます!
意外なところにも、こうして往時を物語るものが、人知れずに残されていたりします。これからも残していって欲しいものです。