JR高尾駅に残る機銃掃射弾痕

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平成29年11月・ほか撮影。

当時は「浅川駅」と称されていた「高尾駅」ホームに銃弾痕が残っている。


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昭和20年7月8日

駅舎が米軍艦載機による機銃掃射をうけた爪痕。
そんな戦争の歴史を残す高尾駅を観察してみる。

同じ昭和20年7月8日の機銃掃射では「ランドセル地蔵」の悲劇もあった。

相即寺・延命閣地蔵堂(東京都八王子市泉町) 西八王子駅よりバスに揺られて約15分ほどで「花川バス停」に到着。すぐ隣の寺院が目的地の「...

JR高尾駅

明治34年8月1日に浅川駅として開業。

現在の社寺風デザインの北口駅舎は大社線大社駅を設計した曽田甚蔵が設計、1927年(昭和2年)に竣工した2代目。

大正天皇の大喪列車の始発駅として「新宿御苑に設置された仮設駅舎」を移築したもの。

大正天皇大葬後、多摩御陵への参拝者は急増。輸送を担うは国鉄と京王電軌(京王電鉄)の2社。
運転本数の多い京王に人気があり、一方で劣勢の国鉄は利用促進のため「新宿御苑宮廷臨時停車場」の用材を用いて浅川駅(高尾駅)に移築改築をしたのが現在の駅舎という。

※高尾駅改修計画ではかつての皇室専用駅であった東浅川駅跡へ駅舎移築の予定となっている。


JR高尾駅 2番線ホーム屋根支柱(31番)

2番線ホームの屋根支柱(31番)に米軍艦載機の機銃掃射による銃撃痕が残っている。

銃撃痕
太平洋戦争末期(昭和20年)の米軍艦載機の機銃掃射による銃撃痕と思われます。


JR高尾駅 2番線ホーム屋根支柱(33番)

2番線ホームの屋根支柱(33番)にも米軍艦載機の機銃掃射による銃撃痕が残っている。
31番支柱及び33番支柱ともに銃撃痕の部分のみは塗装を施さずにわかりやすい状態となっている。


JR高尾駅 3番線ホーム屋根支柱(24番)

3番線ホームには「国内最古のレール」が、ホーム屋根支柱(24番)として使われている。

1901年(明34)に操業開始した官営八幡製鐵所にて1902年に製造されたレールであることを示しており、現時点で確認できる国産レールとしては最古のものとされている。


以下は現在の高尾駅舎が移築される予定の旧・東浅川駅の写真

旧・東浅川駅

八王子市立陵南会館跡(東浅川保健福祉センター第二駐車場)

今はヘンテコな駐車空間ですが、この場所にはかつて旧・東浅川駅(皇室専用の東浅川宮廷駅跡・昭和35年廃止)がありました。
社殿造の駅舎が八王子市に払い下げられて残っていたが、平成2年(1990)に新左翼系爆弾テロにより焼失…

市立陵南会館があった側から、参道(多摩御陵線)をのぞむ。

この陵南会館のあった東浅川宮廷駅跡は大正天皇の大喪列車用の臨時駅として開設された皇室専用の駅であり、参道もその時に整備された。

参道の両脇

多摩御陵参道
武蔵陵墓地参道

ここから御陵参道が始まります。

南浅川を渡る。重厚な御橋。

南浅川橋

昭和11年(1936年)に設置されたコンクリートアーチ式の橋 。
御陵参道の橋は威厳にあふれている。

武蔵野陵の話は別の機会に。

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コメント

  1. 坂口 宗一朗 より:

    P51は米軍機でも艦載機(空母に載せて運用する航空機)ではなく、米陸軍航空隊の戦闘機(空母での運用はしていない)です。
    武蔵野市にあった中島飛行機武蔵野工場を昼間爆撃するB29の護衛するために陥落した硫黄島から飛来しました。
    JRの案内は“米軍艦載機の”とだけ書かれており、記事本文中のP51によるものとは記載されていません。
    事実と異なる記載をされており訂正された方が宜しいと思い駄文を認めました駄文を認めました。

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