成増陸軍飛行場跡地

令和2年(2020年)2月撮影

かつて東京都練馬区にあった陸軍飛行場。

昭和17年(1942)4月18日のドーリットル空襲を期に、帝都防空の飛行場として急遽建設が計画され突貫工事が行われ、昭和18年(1943)12月に飛行場が完成。完成と同時に第1航空軍第17飛行団隷下の飛行第47部隊が展開。
昭和19年3月、飛行第47部隊は、第10飛行師団隷下となり、11月には特攻隊(B29に対する空対空の特別攻撃隊)「震天制空隊」が編成される。

戦後は連合国に接収され、グラントハイツ(アメリカ空軍の宿舎)となる。1973年に日本に返還。「光が丘」として再開発された。

住居に再活用された掩体壕

位置関係

現在の都立光が丘公園を中心とした一帯が「成増陸軍飛行場」であった。

国土地理院
C36(8913)-C2-399
陸軍撮影、1944年10月24日
GoogleMapに、おおよその位置関係を追記
国土地理院
USA-R585-No2-1
米軍撮影、1949年03月02日
グラントハイツ

成増陸軍飛行場
掩体壕跡

赤塚新町の住宅地の中に、掩体壕が残っている。

残っている・・・というよりも住居として、掩体壕の上下の空間が巧みに活用されていた。

だいたいの住所は、「練馬区赤塚新町3-29」地区内。
住宅地なので見学は状況をわきまえつつで。

前述の グラントハイツ 周辺を撮影した航空写真、国土地理院USA-R585-No2-1・米軍撮影(1949年03月02日)から位置関係を確認してみる。

都立光が丘公園へ。


都立光が丘公園

成増陸軍飛行場は、戦後グラントハイム(米空軍宿舎)を経て返還後に光ヶ丘団地に隣接する公園となった。

光が丘公園 のあらまし
 都市近郊の農村地帯 であったこの付近一帯は、昭和15年(1940年)紀元2600年 記念事業として、東京府の「東京大緑地計画 」のひとつにあげられました。
 しかし、大平洋戦争 が始まったため、大緑地としては整備されず、昭和20年8月の終戦まで旧陸軍の成増飛行場 として使用され、戦後は、昭和48年9月の全面返還 までの間、米軍の住宅地(グラントハイツとして使用されました。
 昭和47年(グランドハイツ〕 跡地(182ha)の処分により、同49年3月その跡地の三 分の一に当たる 60.7haが都市計画公園として計画に決定されました。
 昭和49年4月から公園造成に着手し、“豊かな自然とスポーツの公園”をテーマに、災害時の広域避難場所としても機能するみどり豊かな、都民に広く親しまれる公園として整備され、同56年12月に34.6haを開園しました。その後、各種の公園施設を整備し、現在60.7haを有する都内でも有数の規模の公園として都民に利用されています。

◎ 開園年月日 昭和56年(1981年)・12月26日
◎ 公園の規模607,675.05m (平成7年6月1日現在) ..
◎所在地 練馬区光が丘四丁目、同二丁目、旭町二丁目 板橋区赤塚新町三丁目
◎主な施設 スポーツ施設のほか、芝生広場、バードサンクチュアリ 、ゲートボール 場、噴水、流れ、光りのアーチ、売店、駐車場など。


屋敷森跡地

昭和18年に成増飛行場が造営されるにあたり、周辺住民は立ち退きを命じられるも、この屋敷森の家は境界の都合で1軒だけ残ることが出来た。
戦後、グラントハイツとなり飛行場の周りの土地も接収されるも、この屋敷森の住宅は宅地であったためにそのまま残ることが出来たという。
光が丘公園として再開発時に、当主が無くなり「屋敷森のまま」保全されることにあったという。

屋敷森の樹木は、成増陸軍飛行場のころから変わらずにそこにあったのだろうか。特攻隊の飛び行く姿を見守っていたのだろうか。


平和祈念碑

平和祈念碑
 この地には 1943年(昭和18年) 帝都(首都)防衛のため成増陸軍飛行場がつくられ 多くの若い生命が空に散っていった。
地元住民にとっても 農地を強制買収され 基地づくりに動員された忘れがたい地である。
 終戦直後の一時期 この広大な地域は米軍キャンプとして接収され 米国第18代大統領グラント将軍にちなみグラントハイツと呼ばれた。
その後 多年にわたる返還運動が実り みどりと太陽の武蔵野台地にコミュニティ「光が丘」が誕生した。
 練馬区は1983年(昭和58年)に『非核都市練馬区宣言』を制定し 「世界の恒久平和は人類共通の願い」であるとして「核兵器の廃絶と軍縮」を強く訴えている。
 本年は戦争終結から50年 歴史の大きな節目の年にあたる。この時にあたり戦中 戦後の歴史の激しい流れを見つめてきたこの地に 区民の総意を込めて平和の祈念碑を建て 練馬地域の多数の戦没者を悼むとともに 空爆による被災者や第二次世界大戦による内外諸国民の多大な犠牲を省りみるものである。
 ここに練馬区民は 戦争の悲惨さと平和の尊さを心に刻み 平和を守る決意を新たにしたい。
 1995年(平成7年)8月15日
 練馬区

平和への祈り
練馬区長 岩波三郎書

平和祈念碑.彫刻
デザイン.制作
彫刻家 田中昭

健やかに
田中昭


都立光が丘公園には、成増陸軍飛行場の面影は残っていない。なんとなくここに滑走があったのか・・・と感慨にふけるのみ。

総務省
練馬区における戦災の状況(東京都)