「日本の航空事始め・その8」伊藤音次郎と航空神社(東峰神社・成田)

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日本の航空事始め

「日本の航空事始め」と題して、航空機の黎明期に注目した記録も、気がつけば「その8」となっておりました。

「その1」はこちら。

所沢航空発祥記念館に展示されている「アンリ・ファルマン機」。日本で初めての動力飛行を行った飛行機。徳川好敏とともに初フライトを行ったアンリ...

「日本の航空事始め・その3」では、民間航空のパイオニアとして「奈良原三次」の記事を書いたときに、民間パイロット第2号にして、民間人として初の帝都初飛行をした「伊藤音次郎」にも触れ、末筆で「東峰神社」のことも記載をしていた。
もともと「伊藤音次郎」を知る前から、「成田空港にある東峰神社はヤバい(色んな意味で)」という話も聞いており、興味は持っていた。
先日、足を運びたいと思っていた「東峰神社」にようやく訪れることができたので、以下に記録を。

令和元年11月 先日、幕張・稲毛方面に赴く機会がありましたので散策をしてみました。 民間航空のパイオニア奈良原...

「日本の航空事始め・その3」では、
伊藤音次郎に関連として、
 旧 伊藤飛行機研究所 滑走路跡
伊藤音次郎の一番弟子であった山縣豊太郎
 山縣飛行士殉空之地
などの掲載をしている。


民間機による初の帝都訪問飛行
伊藤音次郎

伊藤音次郎
明治24年(1891年)6月3日~昭和46年(1971年)12月26日

大阪の恵美須町生まれ。
17歳のときにライト兄弟の飛行写真をみて、飛行機に興味を持ち、奈良原式飛行機発明記事をみて、奈良原三次に手紙を送ったことから奈良原との交流がはじまる。
明治43年(1910年)に上京。奈良原三次に弟子入りし白戸栄之助教官の教えを受け「民間飛行士第2号」となる。

大正2年(1913年)、事情により航空業界から一時引退した奈良原三次の稲毛飛行場の地にて、大正4年(1915年)に伊藤音次郎は奈良原のもとから独立した形で「伊藤飛行機研究所」を設立。

大正5年、大阪の出身地・恵美須町の名をつけた「伊藤式・恵美1号」を制作し、民間機として初めての帝都東京訪問飛行に成功。
大正6年(1917年)、台風と高潮により稲毛海岸の施設(稲毛飛行場と伊藤飛行機研究所)が壊滅したことから、翌年大正7年に津田沼町鷺沼に移転し「伊藤飛行機製作所」(津田沼飛行場・鷺沼飛行場)として拡張する。

大正8年には、伊藤音次郎の一番弟子であった山縣豊太郎の操縦にて、伊藤飛行機が開発した日本初の曲芸専用機が連続2回宙返りに成功する。
昭和12年(1937)「伊藤飛行機株式会社」に名称変更。
昭和17年、日本航空工業と合併。

戦後、伊藤音次郎は、GHQの航空禁止令を受けて航空業界から引退。
昭和23年に(1948)に「恵美開拓農業協同組合」(恵美農場)を設立し現在の成田市東峰に入植し開墾開拓に携わり農場主となった。

昭和40年代に始まった「成田空港建設予定地」の一部に東峰地区が決定し、現地では伊藤音次郎ただ一人が大歓迎を表明。軌道に乗っていた農業用地をすべて売却。航空業界から身を引いた伊藤音次郎ではあったが数奇な巡り合わせであった。

その後、恩師奈良原三次が築いた稲毛飛行場を記念するために稲毛海岸に「民間航空発祥の地記念碑」建立に尽力し、自ら育てていたライト兄弟ゆかりの貴重な松を植樹している。

昭和46年(1971)、伊藤音次郎は成田空港の開港を見ることなく満80歳で他界。成田空港の開港は7年後の1978年であった。


航空神社(航空科学博物館)

航空科学博物館内鎮座。
祭神は天照大神・天鳥船命。
ご神体の木札には、長男の信太郎や天才飛行士と呼ばれた山縣豊太郎をはじめとする、航空黎明期の殉職者8名を祀っている。
最初の建立地は「伊藤飛行機研究所」(習志野市)。

長男の伊藤信太郎は、1936年に19歳の折に日本軽飛行倶楽部の練習中、二等飛行士・斉藤国松操縦の練習機に同乗し墜落。二人とも落命している。

山縣豊太郎は、伊藤飛行機研究所の第一期生として1917年(大正6年)に卒業。伊藤音次郎の一番弟子。後に日本民間人初の連続宙返り飛行を成功させる。1919年(大正8年)8月29日、連続3回転宙返りの際に翼が折れて、鷺沼の畑に墜落。享年23歳であった。

伊藤飛行機研究所は、1937年に「伊藤飛行機株式会社」となり、1942年には「日本航空工業(のちの日産車体)」と合併。

1945年、GHQによる航空禁止令を受けて、伊藤音次郎は航空業界を去り、「恵美開拓農業協同組合」を結成し、成田市東峰に入植。
1953年(昭和28年)に東峰地区に伊藤飛行機研究所で祀っていた「航空神社」を遷座。報徳二宮神社から二宮尊徳を合祀。
のちに航空神社は、東峰神社に社号変更。東峰地区の開拓産土神として崇敬された。
成田空港(新東京国際空港)の建設に際して、2001年(平成13年)9月に、伊藤音次郎の遺族の要請により、「東峰神社」には二宮尊徳の御霊を残して「航空神社」として山武郡芝山町にある航空科学博物館の野外展示場へ遷座。現在に至る。

天照大神・天鳥船命のほかに、
伊藤音次郎の長男の信太郎や天才飛行士と呼ばれた山縣豊太郎をはじめとする、航空黎明期の殉職者を祀っている。

YS-11のうしろ。

シコルスキーS-62のうしろでもある。

YS-11試作第1号機

航空宇宙技術遺産
YS-11

一般社団法人日本航空宇宙学会は、2024年4月19日にYS-11型国産旅客機を航空宇宙技術遺産に認定しました。試作1号機を展示する当館は、認定証を受領し、館内に展示中です。

日本航空機製造 YS-11
 この機種は、日本の日本航空機製造が1962年(昭和37年)から生産した66人乗りプロペラ旅客機です。
 この機体は、試作第1号機で、日本航空機製造の社有機として各種の試験飛行に使用されていました

スピード:時速450Km
エンジン:ターボプロップエンジン 2台(各2,700馬力)
機体全体の重さ:23.5トン
運べる重さ:10トン
価格:5億7,600万円 USS1,600,000(昭和45年当時)
当機が飛行していた期間:1962~1982
(寄贈 日本航空機製造)

YS-11
航空宇宙技術遺産

YS-11航空宇宙技術遺産に認定!
YS-11が日本航空宇宙学会の航空宇宙技術遺産に認定されたため、4月19日
航空科学博物館が代表で認定式に参加しました。認定式には、試作1号機を展示する当館のほかに、量産1号機を展示する科博廣澤航空博物館と、型式証明を保有する三菱重工業株式会社が参加しました。

どうして認定されたの?
YS-11は、戦後7年間の航空に関する活動禁止の後、日本で初めて設計、生産された国産旅客機です。日本初の与圧キャビンを持った中型輸送機であること、初めて型式証明をとった機体であることなどが評価されました。また、日本国内だけでなく、海外でも多く使われました。高い運航率を誇り、国内の旅客機としては2006年まで40年にわたって運航された、非常に
優秀な飛行機でした。これらYS-11 シリーズの開発経験や運用実績は、その後のXC-1の開発などに活かされており、戦後ふたたび航空機設計の基技術を確立したとして航空宇宙技術遺産にふさわしい機体ということです。
YS-11試作1号機
当館のYS-11は1962年に初飛行に成功した実機です。型式証明取得のために試験飛行に使用されていました。
その後、大阪国際空港にてANAの整備訓練機として第二の人生を過ごしていました。航空科学博物館開館にあたり、当館の初代理事長でありYS-11開発の主要人物だった木村秀政が試作1号機を展示するよう働きかけ、1989年に当館に設置されました。
航空科学博物館

展望台から

場所

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東峰神社

1945年、GHQによる航空禁止令を受けて、伊藤音次郎は航空業界を去り、「恵美開拓農業協同組合」を結成し、成田市東峰に入植。
1953年(昭和28年)に東峰地区に伊藤飛行機研究所で祀っていた「航空神社」を遷座。報徳二宮神社から二宮尊徳を合祀。
のちに航空神社は、東峰神社に社号変更。東峰地区の開拓産土神として崇敬された。
成田空港(新東京国際空港)の建設に際して、2001年(平成13年)9月に、伊藤音次郎の遺族の要請により、「東峰神社」には二宮尊徳の御霊を残して「航空神社」として山武郡芝山町にある航空科学博物館の野外展示場へ遷座。現在に至る。

現在の東峰神社には、二宮尊徳の神霊が、東峰地区の開拓産土神として祀られている。

手水舎は、東峰に遷座とともに、伊藤音次郎が鷺沼の伊藤飛行機研究所から持ってきたもの

皇紀二千六百年
日本航空三十周年
日本軽飛行機倶楽部

東峰神社

東峰神社の社号標の裏面

航空神社

こちらも伊藤音次郎が、伊藤飛行機研究所から持ってきたもの。

皇紀二千六百記念
社友会

この日は、快晴であったが、風向きがわるく、東峰神社の滑走路(B滑走路)は使用されず、航空機を間近で見ることはなかった。

むかしは、警備監視が厳しく職質もされたとのことだが、近年は飛行機が近くで見れる観光スポットになっているようで。


「三里塚闘争」とか「成田闘争」とか、そういう戦跡といえば、戦跡ではあるが、私のライフワークとはちょっと違う。

場所

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東峰十字路事件の慰霊碑

戦跡の方向性が違うとはいえ、眼の前に慰霊碑があれば、手を合わせる。

この近くの天神峰で、成田空港建設反対派の襲撃により、3名の警察官の方々が命を落としている。
神奈川県警の福島警部補、柏村巡査部長、森井巡査が殉職をされた。(没後、二階級特進し、それぞれ警視・警部・警部補に昇進)

合掌

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航空科学博物館

日本初の航空専門博物館という。1989年開館。

以下、興味持ったものを。

イスパ/V型エンジン
the Hispano-Suiza V-type Engine
フランスのイスパノ·スイザ社が、1927年から生産したピストンがV字形に配置されているエンジンである。
日本では三菱重工業で1930年から製作され、旧日本海軍十三年式空母用攻撃機に使用されたエンジンである。

零戦コクピット
世界で最も有名な日本機である零戦(レイセン)の操縦席に乗ってみよう。
零戦は、旧日本海軍が三菱重エに発注した、一人乗りの空母搭載用飛行機で、原型機は1939年に初飛行した。
開発の責任者である三菱重エの堀越氏は、世界的に有名な設計者である。

航空機の歴史、とか。

日本の名機

奈良原式 四号飛行機「鳳」号
旧日本海軍 横須賀工廠式 ロ号甲型 水上偵察機
川西式 K-7A 水上輸送機

旧日本陸軍 八八式偵察機
朝日新聞社 「神風」号
航空研究所 試作長距離機

旧日本海軍 零式艦上戦闘機

毎日新聞社「ニッポン」号

あぁ、MRJの夢

朝日新聞社 A-26 長距離機
旧日本海軍 彩雲 艦上偵察機

下田信夫画伯の飛行機画。

お、この展示コーナーは既視感があるぞ。
所沢航空発祥記念館の出張展示。

YS-11のカット模型、これは初めて見た。

YS-11 試作1号機
カットアウェイモデル(1/20)

この模型は、国産旅客機 YS-11 試作1号機をもとに製作された「カットアウェイモデル」です。カットアウェイモデルとは、航空機メーカーや航空会社が顧客向けのプロモーション用に製作した、一部を切り欠いて内部構造や客室の様子を示す模型のことです。
機体の技術的特徴や、提供を想定した機内サービスを分かりやすく伝える目的で用いられました。屋外展示場にある実機の試作1号機には、客室内装や座席は設置されませんでしたが、この模型には当時想定された客室レイアウトやデザインが再現されています。
模型職人の高度な技術と、YS-11が描いていた旅客機像を知る手がかりとなる貴重な資料です。
(所蔵:鉄道博物館)

展望台から。これは一日眺めていても楽しい。

クロネコヤマトの貨物専用機(フレイター)。
なんかカッコよくて可愛いぞ。

平和佛舎利塔、成田空港建設の歴史に絡む寺院

時間の都合で、「成田空港 空と大地の歴史館」に行くのをうっかり失念していたこと。
また行かないと。。。

※2026年1月撮影


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