
日本初のジェットエンジン「ネ20」(特殊攻撃機「橘花」)
2023年10月に開催された横須賀田浦の海上自衛隊第二術科学校オープンスクール。企業展示コーナーが解説されており、なんと株式会社IHIのブ...
戦跡紀行ネット -日本の近代と慰霊の地を巡る‐
2023年10月に開催された横須賀田浦の海上自衛隊第二術科学校オープンスクール。企業展示コーナーが解説されており、なんと株式会社IHIのブ...
近くに赴く機会があったので、足を運んでみました。まあ、近くというのは「海軍工廠造兵部」散策のためだったんですけどね。 梅田隧...
横須賀中央駅と、汐入駅の中間、聖ヨゼフ病院の近くにある良長院に、海軍関連の2つの慰霊碑がある。 横須賀海軍建築部請負工事殉職...
米ヶ濱砲台のあった「中央公園」が2021年に「平和中央公園」へと再整備されたという話を聞いたので、足を運んでみました。 ...
日本の近代は、ペリー率いる黒船来航とともに幕を開けたといっても過言はない。すなわち、いわゆる「幕末」は、嘉永6年(1853)の浦賀への黒船...
「浦賀ドック」から南に足を伸ばすと「川間ドック」があった。せっかくなので、川間ドック跡にも足を運んでみよう。 渋沢栄...
横須賀の浦賀。ここに幾多の駆逐艦を生み出した造船所があった。「浦賀船渠」「西の藤永田、東の浦賀」と称された、大日本帝国海軍駆逐艦のふるさと...
「浦賀ドック」の浦賀船渠が創立したきっかけが、浦賀奉行所の与力であった中島三郎助。その慰霊碑がある愛宕山に行ってみる。 ...
久里浜の神社に、日露戦争の旅順港閉塞船に積まれていた石が使用されているというので、足を運んでみた。 旅順口閉塞船弥彦丸の閉塞...
千代ケ崎砲台の南側に、海軍の学校があった。千代ヶ崎砲台を見学した後に、足を伸ばしてみました。 千代ヶ崎砲台はこちらにて。 ...
昭和20年8月15日の終戦を海外で迎えた邦人(日本人)は、軍人と民間人をあわせて約660万人以上に及んでいた。戦後、日本各地の引揚者指定港...
明治時代に、東京防衛のために構築されたのが、「東京湾要塞」。なかでも「千代ケ崎砲台」は、東京湾がもっとも狭まる浦賀水道の入口に位置している...
横須賀の走水。古くは、日本武尊と弟橘媛命の伝説の地「御所ヶ崎」(旗山崎)として知られている当地は、江戸期には「走水番所」が置かれ、そして幕...
横須賀の走水。日本武尊と弟橘媛命の伝説を残す古社。今回は近代史の目線で参拝をしてみる。 弟橘媛命の記念碑 明治43年6...
2022年10月16日、3年ぶりに開催された、米軍横須賀基地のフレンドシップデー。足を運んでみたので、写真中心に記事を掲載。 ...
馬掘小学校・中学校の東の坂道を進む。馬掘自然教育園へ向かう。往時から残る道。 本記事はその2となります。その1はこちらから。...
横須賀の防衛大学校の手前、馬掘小中学校や馬掘自然教育園のあるエリアは、かつて陸軍の重砲兵学校があった場所。昭和40年代に海岸線を埋め立てる...
横須賀には「陸軍重砲兵学校」があった。そして横須賀には「要塞」があった。横須賀に残る重砲聯隊の名残を散策してみる。汐入駅からの衣笠駅を結ん...