隅田川にかかる永代橋は、関東大震災で壊滅した下町復興のために架橋されたシンボルブリッジであり、「帝都の門」とも称せられていた。
そんな永代橋に東京大空襲の痕跡が残っていると聞いたので、改めて足を運んでみた。
目次
永代橋
隅田川の最下流に架かる「帝都の門」として大正15年12月20日竣工。
現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100 mを超えた橋。
2000年(平成12年)に清洲橋と共に土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定。
2007年(平成19年)6月18日、永代橋は都道府県の道路橋として初めて同じ隅田川に架かる勝鬨橋・清洲橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定。
永代橋に用いられた重厚な鋼材は、もともと軍艦用の高級鋼材であった。
ワシントン軍縮会議によって戦艦の保有数に制限が生じ戦艦建造中止となったため、もともと戦艦用に確保していた鋼材を、永代橋に流用したものであるという。
永代橋に残る弾痕?
ちょうど真ん中あたり。アーチになっている橋梁の一部に凹みがある。
この凹みは、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼夷弾が直撃した跡ではないかとされている。
たしかに凹んでいますね。
角度を変えて。
ぱっと見だとわからないですね、よく見ないと。
拡大。
梁の反対側にも、衝撃がわずかに残っている。
ワシントン軍縮会議で廃艦となった戦艦用の高級鋼材を用いたという永代橋。
焼夷弾が着弾しても耐え、先の東日本大震災でも影響がなかったほどの頑丈度を誇る。
いわれなければ気が付かない、焼夷弾弾痕の跡。
※撮影:2023年3月