埼玉県蕨市。日本で一番面積の小さい「市」でも有名。ちなみに市区町村では8番目。また、市町村を五十音順で並べると、一番最後になる市町村でもある。
そんな蕨市(当時は蕨町)は、埼玉県下で熊谷に次ぐ二番目の空襲被害のあった街でもあった。
目次
蕨空襲
昭和20年、3度の空襲見舞われた蕨市。
当時、蕨には軍事工場が複数あり、工場労働者が住む住宅密集地帯もあったことなどから、標的になったといわれている。
1回目は、昭和20年4月12日、昼過ぎ。東京を襲ったB29爆撃機とP51戦闘機部隊のうち8機が蕨上空に襲来。16発の1トン爆弾が投下され、死者36名、16戸の家が全壊。
2回目は、翌日の4月13日午後8時過ぎから14日未明まで、10機ほどの編隊が無数の焼夷弾が投下、蕨の街は火の海となり、死者12人、362戸が焼失。
そして、3回目は、昭和20年5月25日午後10時頃に焼夷弾が投下され、死者2名、3戸が焼失。
蕨市を襲った3度の空襲により、死者は50名、家屋の焼失や全壊・半壊などは400戸に上った。
これは、埼玉県では、熊谷に次ぐ、大きな空襲被害であった。
なお、終戦時の蕨の世帯数は5885世帯。人口は25,279人。空襲被害割合は世帯・人口共に約7パーセントに及び、被害の多さがわかる。
広報・蕨(2010年8月)
https://www.city.warabi.saitama.jp/res/projects/default_project/_page/001/003/101/2208kouho.pdf
広報・蕨(2015年8月)
https://www.city.warabi.saitama.jp/res/projects/default_project/_page/001/003/096/27-08honsi-.pdf
蕨市>平和行政
なお、蕨駅西口にあった日本車輌製造・蕨工場(12万5400平方メートル)は、爆撃を受けなかった。それは、同工場に米軍捕虜が収容され、工場労働者として使役されていたから、米軍の空襲対象からは外されていたから、という。
戦後、日本車輌製造・蕨工場では新幹線の試作車や、世界初の新幹線である量産車0系が製造され、「新幹線電車発祥の地」となっている。(現在の川口芝園団地)
平和祈念碑「平和を愛して」
春日公園は、1回目の蕨空襲のあった付近。
戦後50年・平和都市宣言10周年の平成7年、春日公園に「平和祈念碑」を設置された。
彫刻は、田中毅氏。宮崎県出身で埼玉県在住の彫刻家。


平和を愛して
製作・田中毅

平和への願い
蔵市は、昭和60年9月9日「平和都市」と宣言し世界の恒久平和を願い、核兵器の廃絶を強く訴えている。
この地は、第二次世界大戦中の昭和20年4月12日と13日、そして5月25日の3日間空襲と受け、爆弾と焼夷弾などにより多くの尊い生命が犠牲となつた。県下でも熊谷市につぐ大きな被害であった。
本年は終戦から50年、歴史の大きな節目の年にあたる。この地に、市民の総意を込めて、平和のモニュメントを建立し、戦争という過ちを二度と繰り返すことなく、平和を守る決意を新たにする。
平成7年8月15日 蕨 市


地球儀は回転する。



蕨市春日公園

春日神社と蕨市公園が同一敷地に。



場所
平和之母子像
昭和63年、蕨市民公園に設置。
彫刻家・岩田健氏(埼玉県川口市出身)


平和之母子像


蕨市平和都市宣言
昭和20年8月、広島、長崎に人類初の原子爆弾が投下され、早くも40年の歳月が流れました。
その間、唯―の被爆国である我が国は、恒久平和を崇高な理念として憲法に掲げ、自由と正義を愛し、世界平和に寄与してきました。
しかるに今、世界の超大国を中心とした核保有国が競って核軍備拡充を図っていることは、まことに脅威であり、この核軍拡競争に対して、世界のいたるところで、平和希求の叫びがとみに高まりつつあります。
このような国際情勢の中で、戦争は人間が起こすものであり、また人間の力によってこれを防ぐことができることをしっかりと心に刻み、平和で豊かな社会を次の世代に引き継いでいくことが、現代に生きる我々の責務であると考えます。
私たち蕨市民は、平和憲法の精神を守る立場から、非核三原則が厳守されることを強く希望し、世界のあらゆる国の核兵器の速やかな廃絶を願うものであります。
蕨市は、市民の平和を願う心を結集し、ここに「平和都市」であることを宣言いたします。
昭和60年9月9日 蕨市

平和之母子像建立
私たち蕨市民は、いつの時代でも平和の中で、家族みんなが健康で、母と子が地域社会の愛情に支えられて、温かい家庭生活を送れることが、何よりも幸せであると考えています。
しかし、この世にあの恐ろしい核兵器が存在する限り7万の市民が等しく希う真の平和はむなしいものとなっています。そこで、蕨市は昭和60年9月、敗戦40周年を記念して、この美しい地球から核兵器といたましい戦争をなくし、すべての生命が平和の中で育まれていくことを願い、平和都市を宣言しました。
私たちは、この宣言によって戦争の恐ろしさを、後世に伝えていかなければならない責務と平和への思いをあらたにしたのであります。
このたび、平和の砦を築きあげるために建立した平和之母子像は、彫刻家岩田健氏の手によって刻まれたもので、戦争を知らない世代にこれらのことを語り継ぎ、地球より重い命を守っていくことを、ここに誓ったのであります。
昭和63年4月3日 蕨市長 田中啓一




蕨市民公園に。

場所
※撮影:2026年6月



