中島飛行機発動機発祥之地

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平成29年10月撮影

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中島飛行機発動機発祥之地碑
(中島飛行機東京製作所跡地)

昭和62年12月10日建立

中島飛行機東京製作所(中島飛行機東京工場とも荻窪工場とも呼称)

東洋最大にして世界有数の航空機メーカー「中島飛行機」
この地で中島飛行機を代表する発動機(エンジン)が生まれていたのだ。


大正6年5月
 中島知久平が群馬県に「飛行機研究所」を創業
大正7年
 「日本飛行機製作所」に商号変更
大正8年
 「中島飛行機製作所」に商号変更
大正14年11月
 東京府豊多摩郡井萩町に「東京工場」が完成
 東京での最初の工場がこの地であった
 (武蔵製作所は昭和13年開設)
昭和6年12月15日
 「中島飛行機株式会社」と改称
昭和12年7月1日
 「中島飛行機東京工場」を「中島飛行機東京製作所」に改称
昭和20年4月1日
 中島飛行機は「第一軍需工廠」となり事実上の国営化
昭和20年8月16日
 敗戦により、社名を「富士産業株式会社」と改称
昭和25年5月
 解体の上で解散


中島飛行機東京製作所 で開発・生産されたエンジンと主な搭載機。
 「寿」エンジン(ハ1)
     海軍 九六式艦上戦闘機
     陸軍 九七式戦闘機
 「栄」エンジン(ハ25)
     海軍 零式艦上戦闘機(零戦) 月光
     陸軍 隼 九九式双発軽爆撃機
 「誉」エンジン(ハ45)
     海軍 紫電・紫電改 銀河 流星 彩雲
     陸軍 疾風

中島飛行機は戦後にGHQの手によって解体。

中島飛行機東京製作所は戦後に富士精密工業となり、そののちプリンス自動車工業をへて日産自動車荻窪事業所としてロケット開発へと推移。

中島飛行機東京製作所
 ↓
富士精密
 ↓
プリンス自動車工業
 ↓
日産自動車
 1981年に自動車開発移転
 1998年に宇宙開発移転
 
平成13年に日産より用地が売却され再開発。
現在は「日産プリンス東京販売株式会社 荻窪店」と「杉並区桃井原っぱ公園」などに。

ロケット発祥の地碑

ロケット発祥の地
碑文

戦後間もない昭和28年、旧中島飛行機から社名を変えた富士精密工業は東京大学生産技術研究所(現、文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受け、ロケットの開発に着手した。2年後の昭和30年にはペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケット第1号となった。
 爾来、約半世紀、富士精密工業は、プリンス自動車工業、日産自動車、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースと変遷を重ねたが、ロケット技術は脈々と後進に受け継がれ、現在の日本の主力ロケットを生み出す原動力となった。ロケット開発の拠点たる日産自動車荻窪事業所は平成10年5月に群馬県富岡市へ移転したが、跡地は再開発されることになった。
 この地の生み出した創造的意義に鑑み、ここに記念碑を建立し、往時を偲びつつ、宇宙開発のさらなる発展を祈念するものである。

 平成13年11月
  旧富士精密工業株式会社
  旧プリンス自動車工業株式会社
  旧日産自動車株式会社  宇宙航空事業部   
                  有志一同

位置関係

R9-C1-53
陸軍撮影 昭和16年6月25日
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