館山散策の続き。
本記事は「その4」です。「その3」はこちらにて。
目次
洲ノ埼海軍航空隊(洲ノ空)
館山海軍航空隊の隣には、「洲ノ埼海軍航空隊」(洲ノ空)が昭和18年6月1日に開隊。それまで「横空」で行われていた射爆兵器の整備教育を担当する全国でただひとつの兵器整備練習航空隊で、操縦以外の航空機にかかわる専門技術を学ぶ養成機関であった。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M583-25
1947年10月23日、米軍撮影の航空写真。
拡大、加工。
現在の様子。
洲ノ埼海軍航空隊射撃場跡
昭和18(1943)年につくられた洲ノ埼海軍航空隊は、飛行機を整備する兵隊を教育するための航空隊であった。
洲ノ埼海軍航空隊射撃場は、この前約100mの位置に、戦闘機をおいて、機銃の調整をおこなうための的として使われていた施設の跡。
射朶が5つ並んでいる。
毎回思うのですけど、こういうところは夏はだめですよ。冬にしましょう、、、
この奥に射撃場跡がある。
場所
洲ノ埼海軍航空隊の碑
館山海上技術学校の裏門近くに、洲ノ埼海軍航空隊の碑がある。
昔こゝに洲ノ崎海軍航空隊あり
隣家のワンコが吠え立ててくる。。。
海軍第六期兵器整備科予備練習教程修了 四十周年を記念してこれを建てる
昭和五十九年甲子九月十五日
洲ノ空六期会
題字 館山市長 半澤 良一
場所
東京湾要塞第一区地帯標
正面:東京湾要塞第一区地帯標
裏面:海軍省
左側面:第一八号
右側面:昭和十六年七月三十日建設
どこかからか、移築された模様。
この「東京湾要塞第一区地帯標」の後ろの山は、洲ノ埼航空隊関連の砲台や監視所などがあるというが、いまは繁る山に登る季節ではないので、また今度。
洲ノ埼海軍航空隊は、ほかにも防火水槽跡とかあるけど、やっぱり見逃し。再訪します。。。。
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