動物慰霊之碑(陸軍獣医学校・両国回向院)

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平成30年参拝

かつて陸軍獣医学校内にあった「動物慰霊之碑」(昭和3年3月建立)が、紆余曲折あって、戦後に両国回向院に移転している。
陸軍獣医学校 はかつては世田谷区の、現在の 駒場学園高等学校 のあたりにあった。(後日まとめます)

両国回向院(本所回向院)は、動物供養でも著名な寺院さん。

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動物慰霊之碑

昭和3年3月建立陸軍獣医総監 岡田勝男 謹書。
岡田勝男は、東京帝大獣医学科卒の陸軍獣医中将。

昭和三年三月
動物慰霊之碑
陸軍獣医総監 岡田勝男 建立

碑裏面
この碑は東京都世田谷区下代田町旧陸軍獣医学校内にあったもので、同校明治以降の教育研究に犠牲となった動物及び物言えぬ戦士として戦場に散華した軍用動物の霊を慰めるため、当時の学校長岡田勝男氏により建立され懇ろに祀られて来たのであるが、昭和20年敗戦の後は全く荒廃に委ねられて来たこと、幸い当回向院並に多数援助者の厚志により、今回この地に移し永く供養し得ることとなったこと、当時それら40数万に及ぶ軍用動物と生死を共にした旧陸軍獣医部員5千余名の深く喜びとするところである。
昭和38年4月29日
紫陽会
会長 渡辺満太郎

陸軍獣医学校の跡はこちら

平成30年2月‐4月 世田谷区池尻・三宿・下馬、目黒区駒場・大橋界隈の散策 駒沢練兵場や陸軍騎兵学校、騎兵第一聯隊、陸軍獣医学校、糧...

回向院

 明暦3年(1557)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は10万人以上、未曾有の大惨事となりました。遺体の多くが身元不明、引き取り手のない有様でした。そこで四代将軍徳川家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されました。
 有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。
墨田区 

諸宗山 回向院
明暦三年(一六五七年)江戸大火(振袖火事)に依る死者10万8千余人を弔うために建立された。
本尊 阿弥陀如来 (東京都重要文化財)
安政大地震(一八五五年)の死者2万5千人余を初めとして、江戸府内の無縁仏、天地地変に因る死者も埋葬され近くは大正12年の関東大震災の死者10万余人の分骨も納骨堂に安置されています(以下略

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