英連邦兵士たちが眠る日本唯一の墓苑「英連邦戦死者墓地」(横浜)

神奈川県横浜市保土ケ谷区。
この地に、イギリス連邦諸国の戦死者専用墓地がある。
日本の中のイギリス。足を運んでみました。

アクセスはバスで。
保土ヶ谷駅から市営バス「児童遊園地前」バス停を利用するのが便利。

手入れの行き渡り整えられた芝生と草木。ありがたいばかりに神聖で静謐な空間が広がっておりました。
勇者に敵味方なし。自ずと頭をたれて、手を合わせる。


英連邦戦死者墓地

第二次世界大戦後に、現在の横浜市保土ケ谷区に所在していた保土ヶ谷児童遊園地・保土ヶ谷錬成場が接収され、英連邦戦死者墓地が作られたことにはじまる。約3ヘクタールの土地に1800余柱が眠っているという。

英連邦では1917(大正6)年に定められた原則があり、「戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬する」という方針のもと、英連邦戦死者墓地委員会が設置され、世界中にある英連邦戦死者の墓地を管理している。

1952年に日本国との平和条約発効によってイギリス連邦占領軍による占領解除されるが、1955年に日本国とイギリス連邦諸国(イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、インド、パキスタン)の間に締結された「日本国における英連邦戦死者墓地に関する協定」(1955年9月21日署名、1956年6月22日効力発生)に基づき、「英連邦戦死者墓地」の設置が確認された。
敷地は、日本国政府より英連邦戦死者墓地委員会に対し無償かつ自動更新(30年期限)で使用を許可している。

詳細は「英連邦戦死者墓地委員会(コモンウェルス戦争墓地委員会)」公式サイトにて。

CWGC
Commonwealth War Graves Commission
コモンウェルス戦争墓地委員会

COMMONWEALTH
WAR GRAVES

COMMONWEALTH WAR
CEMETERY YOKOHAMA

英連邦戦死者墓地

日本政府の厚意によって提供されたこの土地には、英連邦諸国、アメリカ合衆国、オランダ王国の各国民で祖国の為に生命をささげた人々が葬られています。
この墓地の維持管理は英連邦戦死者墓地委員会が英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、インド、パキスタンの諸国に代わって行っています。
参観時間は8:00AM~5:00PM迄となっています。
 英連邦戦死者墓地委員会

VISITORS BOOK
記載室(資料有り)

パンフレットがありましたが、英文でした。。。

1939-1945
この共同墓地の土地は第二次大戦で亡った陸・海・空軍戦没者の永遠の安らいの場所として日本国民から贈られたものです。

1939-1945
THE LAND ON WHICH THIS CEMETERY STANDS IS THE GIFT OF THE JAPAN FOR THE PERPETUAL RESTING PLACE OF THE SAILORS SOLDIERS AND AIEMAN WHO ARE HONOURED HERE

CWGC
Commonwealth War Graves Commission

英連邦戦死者墓地委員会にようこそ
横浜戦死者墓地
Yokohama War Cemetery

ここは日本で唯一の英連邦の墓地です。第二次世界大戦中に亡くなった2000名以上の連合国要員が、ここに埋葬または慰霊されています。大部分はオーストラリア、カナダ、統一インド、ニュージランドおよび英国から英連邦軍に所属していましたが、80名は米国とオランダ軍からでした。

第二次世界大戦(1939年-1945年)中、何万人もの連合国兵士と女性が日本軍の捕虜(POW)になりました。35,000人以上の捕虜が、労働力として日本に連行され、鉱山や造船から農業や軍需品製造まで、さまざまな産業で働かされました。福岡、広島、大阪、名古屋、東京、仙台、函館の7ヵ所には、主要な捕虜収容所が設けられました。収容所の状態は過酷だったので、何千人もの人々が捕虜の身のまま死亡しました。

1945年の日本の降伏後、この墓地は第38オーストラリア戦争墓地ユニットによって始められました。収容所で亡くなった人々の遺骨は埋葬のためにここに運ばれました。

  • 1 戦死者名簿と訪問者の記載室
  • 2 「犠牲の十字架」 ここに埋葬されたキリスト教徒に敬意を表す
  • 3 横浜記念碑 墓石のない20名のインド兵を追悼
  • 4 イギリス兵の墓地
  • 5 オーストラリア兵の墓地
  • 6 インド兵の墓地
  • 7 ニュージランドとカナダ兵のの墓地
  • 8 横浜納骨堂 火葬された335名の英連邦の兵士、オランダ兵およびアメリカ兵を追悼
  • 9 第二次世界大戦後の墓地

1917年5月
 大英帝国死者墓地委員会を設立
1939年9月
 英国、第二次世界大戦に参戦
1941年12月
 日本軍の真珠湾攻撃と東南アジア侵攻
1942年2月
 シンガポールの英連邦軍、日本に降伏
1942年6月
 日本軍、ミッドウェイの戦いで敗北
1944年6月
 日本軍、インドで敗北
1944年6月
 日本への大規模な爆撃開始
1945年3月
 東京大空襲
1945年6月
 日本軍、沖縄で敗北
1945年8月
 原爆投下と日本降伏。第二次世界大戦終了
1945年
 この地での最初の埋葬
1951年
 墓地委員会に墓地の土地を恒久的に貸与
1960年
 英連邦戦死者墓地委員会と名称変更

ジョージ・ヘンリー・ビールについて
ジョージ・ビールは、第二次世界大戦中オーストラリア軍に所属しました。ジョージと彼の兄弟のフレデリックは、1942年2月にシンガポールで捕虜となりました。彼は日本に収容され、製鉄所で強制労働をさせられました。ジョージは、24時間シフトの工場での事故で重傷を負った後、1943年5月28日に死亡しました。彼はオーストラリア区のE区画、A列、墓石3番に埋葬されています。彼の兄弟は戦争を生き抜き、1945年9月に開放されました。

設計と建築
戦前、この地域一帯は横浜市の公園でしたが、1945年に捕虜埋葬のために接収されました。1951年、公式にこの土地は墓地委員会に恒久的に貸与されました、ニュージランドとカナダ両国のための合同区画と共に、英国、統一インド、オーストラリア各軍に所属した人々の埋葬のために独立した区画が設けられました。それぞれの墓には、そこに埋葬された人についての詳細が記載されたブロンズのプレートが付いています。

CWGC
1917年に設立された英連邦戦死者墓地委員会(CWGC)は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に英国軍と英連邦軍に従軍して戦死した170万人以上の軍人と女性を慰霊しています。CWGCは、世界中の150以上の国と地域で活動しています。CWGCは、第二次世界大戦中に亡くなった24,000人以上の連邦国軍の兵士が慰霊されているシンガポール・メモリアルなど、アジア太平洋地域の何十もの墓地や慰霊碑を管理しています。

こちらは英語版の看板。

日本語と英語と2つの看板が並んでいる。


横浜納骨堂

火葬された335名の英連邦の兵士、オランダ兵およびアメリカ兵を追悼

YOKOHAMA CREMATION MEMORIAL

1939-1945
IN THE URN BELOW REST THE ASHES OF 335 SAILORS. SOLDIERS AND AIRMAN OF THE BRITISH COMMONWEALTH. THE KINGDOM OF THE NETHERLANDS AND THE UNITED STATES OF AMERICA WHO DIED AS PRISONERS OF WAR IN JAPAN. THE NAMES OF 284 ARE INSCRIBED ON THESE WALLS. THE IDENTITY OF THEIR 51 COMRADES IS UNKNOWN
THERE BE OF THEM THAT HAVE LEFT A NAME BEHIND THEM THAT THEIR PRAISES MIGHT BE REP ORTED AND SOME THERE BE WHICH HAVE NO MEMORIAL. BUT THEIR RIGHT-EOUSNESS HATH NOT BEEN FORGOTTEN AND THEIR GLORY SHALL NOT BE BLOTTED OUT

(意訳)
1939-1945
下の骨壺には、英国連邦の水兵、兵士、空軍兵士、日本で捕虜として死亡した英国連邦、オランダ王国、米国の兵士など335名の遺灰が納められています。この壁には284名の名前が刻まれています。51人の仲間の身元は不明である。
彼らの中には、その称賛を伝えるために名前を残した者もいれば、記念碑のない者もいるだろう。しかし、彼らの正義は忘れられず、その栄光は消し去られることはない。


イギリス兵の墓地

「犠牲の十字架」 ここに埋葬されたキリスト教徒に敬意を表す


インド兵の墓地

統一インド兵の墓地(イギリス領インド=インド・パキスタン・バングラデッシュ)

「横浜記念碑」
墓石のない20名のインド兵を追悼

1939-1945
IN HONOUR OF THESE OFFICERS AND MEN WHO DIED IN THE SERVICE OF THEIR COUNTRY AND NO KNOWN GRAVE
(意訳)祖国のために亡くなった将校や、決まった墓のない男たちに敬意を表す

INDIAN FORCES
1939-1945

INDIAN
PAKISTAN


第二次世界大戦後の墓地

BRITISH COMMONWEALTH FORCES CEMETERY
(英国連邦軍墓地)


オーストラリア兵の墓地


ニュージランドとカナダ兵の墓地


徽章

墓石には、亡くなられた方々が所属していたであろう、さまざまな部隊の徽章(シンボルマーク)があった。
以下、順不同で。

●英国

●ニュージランド

●カナダ

●統一インド


場所

★★★★☆ · 墓地 · 狩場町238

参考

横浜にあるけどあまり知られていない外国人墓地、「英連邦横浜戦死者墓地」って、なんで横浜にあるんですか? | 『はまれぽ.com』とは...横浜、川崎、湘南、神奈川県のキニナルお店、噂、スポット、変な場所、不思議なモノ、行政問題など真面目な疑問を徹底調査してレポートします。あなたがキニナル事をお寄せください。

※撮影は2021年4月