東京都あきる野市に武蔵野の里山が残っている。
「横沢入里山保全地域」
静かな里山に、ひっそりと戦跡も混じっていた。
夏場は草が茂っていて観察には適さないであろうと考え、冬場に散策を。
武蔵増戸駅から約15分ほどあるけば、「横沢入」。案内看板も出ているので迷うことはないだろう。
横沢入保全地域
この地域は「東京における自然の保護と回復に関する条例」により指定された「横沢入里山保全地域」で、その自然を回復し。保護していく地域です。
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マムシに注意!
豊かな自然には、マムシやハチなどもすんでいます。自然を良く知り、危険のないよう気をつけましょう。
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正直言って、スズメバチとは遭遇したくないので、やっぱり冬場が推奨ですね。
横沢入の里山風景。
そして、里山に忽然と現れる戦跡。
目次
陸軍立川航空工廠引田資材倉庫
地下秘匿地区
陸軍立川航空廠によって、軍用航空資材を疎開させるために、あきる野市横沢入に秘匿地区が設けられた。
地下壕は27箇所に及んだとされる。多くの地下壕は斜面を彫り込んで屋根をかぶせた半地下壕タイプが多く、間口2間・奥行5間半、高さは1間半から2間というものが多かった。
設置は昭和19年11月以降から昭和20年2月頃。陸軍64部隊(本部を増戸小学校に設けた)のおよそ100人での掘削であったという。
※参考→ http://a9akiruno.net/sennsei.pdf
戦車橋(東)
横沢川に架かる2つの橋。鋼鉄の骨組みを用いた頑丈な戦車の車体で作られている。
戦後に、農家が生活道路整備のために地下壕に残されていた残骸を用いて、橋の補強に使用したと言われている。
※参考→ http://a9akiruno.net/sennsei.pdf
「戦車橋」とは言われているが、使われたのは「戦車」ではなく「牽引車」、いわゆる砲兵トラクター。
「92式3頓試作牽引車」もしくは「94式3頓試作牽引車」とされている。
イメージはこんな感じ。
※ 参考→ https://www.ms-plus.com/72410
ただし、上記は「98式4屯牽引車」。
この戦車橋に使用された車体は、これよりもっと小さく、そして旧型であった。
東の戦車橋。
水路が代わったために、既に橋としては機能してませんね。
しっかりとした鉄の塊。
当時からのものと考えると、感慨深い。
水路にかかる現在の橋と、奥の戦車橋。
そのまま里山を奥にすすんで、西側の戦車橋に。
戦車橋(西)
見事な里山に同化する戦車橋。
こちらは水路の上に架かっており、現在も橋としてきちんと機能しております。
地下壕(地下壕跡)は、簡単にみつけられたのが、4つ。
東側から「1」「2」「3」「4」と振り分けしておく。
地下壕跡1
崩れてますね。。。
きけん
岩が落ちてきます
入らないでください
地下壕跡2
こちらも崩れてますね。。。
この先は、危険なので、立ち入らないでください。
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地下壕跡3
おや、ここは「立入禁止」って看板がないですね。
ロープが備えられています。これは登れってことですね。
地下壕が開口してました。
おまけにハシゴまで備え付けられています。
ライトを照らしてみました。なぜかスコップが。。。
こんな急斜面な地下壕に、航空資材を秘匿したとは考えもつかないですが、火急時は平時の想像を容易く超えるんだろうなあ、と。
地下壕跡4
里山から林道に、景色がかわったところに。
なにやら塞いでるような。
柵がありました。こちらも開口してますね。
地下壕の内部を照らしてみました。
横沢入里山保全地域イラストマップ
里山の中心あたりに、イラストマップがありました。
戦車橋2つと、地下壕4つは、きちんとこの地図に書いてありましたので、散策がはかどり助かりました。
ご参考まで。
「戦車橋(東)」と「戦車橋(西)」。
そして2つの戦車橋の間に「地下壕跡1」。
「戦車橋(西)」の近くに「地下壕跡2」。
戦車橋(西)から歩道にそって「地下壕跡2」「地下壕跡3」「地下壕跡4」と並んでいる。
私は、そのまま林道を抜けて、武蔵五日市駅を目指してみました。
釜ノ久保
ここは、釜ノ久保と呼ばれ、横入沢の源流部です。
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ここが「峠」
武蔵五日市駅に。
所要時間
武蔵増戸駅 0935
横沢入 0950 ~ 1050
釜ノ久保 1055
峠 1100
武蔵五日市駅 1120