浅川地下壕の戦跡散策

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平成29年11月 八王子市・高尾駅

ある秋の日。
事前に申し込みをしていた見学会に参加しておりました。

浅川地下壕の保存をすすめる会」様主催の地下壕見学。

保存をすすめる会様では地権者など関係各位との許諾のもと、月1度の見学会を行っている。そんな見学会に参加してきた模様を以下に。

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浅川地下壕

戦争末期、中島飛行機武蔵製作所疎開工場として機能した地下工場跡。
高尾駅の南に、イロハの3地区に別れており、現在は「浅川地下壕イ地区」が月一度公開されている。総延長は10km以上という。

浅川地下壕イ地区南端開口部の地権者高乗寺の協力と東大地震研との協定により月1度の公開。

壕内には東大地震研による地震計が設置。
これは地表の振動影響を受けない地下壕地盤は観測装置を設置するのに最適環境である為。ゆえに振動が発生する見学会は月一度に制限され見学会中は観測は中断。

中島飛行機武蔵製作所

昭和19年11月24日、中島飛行機武蔵製作所が空襲されたことを機に工場疎開が決定。
東京多摩浅川、福島信夫山、栃木大谷などに地下工場の建設が始まる。
まずは陸軍浅川地下倉庫として昭和20年2月に第一期工事が完了。次いで第二次工事にて地下壕の増設が終戦まで続く。

中島飛行機浅川工場
 (第十一製造廠浅川工場)

昭和20年4月、中島飛行機武蔵製作所は第一軍需工廠第十一製造廠と改称。 昭和20年6月に中島飛行機武蔵製作所より機械の搬入がはじまり7月頃に「第十一製造廠浅川工場」として地下工場が稼働。

しかし湿気による機械の腐食と劣悪な地下環境による工員の体調不良もあり、また各種部品製造所を分散疎開させたために交通事情の悪化も伴い効率は低下。
生産性は悪かった。

白く見えるものはカビ、この日は外は雨ということもあり湿気も一段と・・・

終戦迄の浅川地下工場でのエンジン生産台数は諸説ありゼロ台~数十台とも。
戦後の米軍調査によると約10台のエンジンが完成、組み立て中が18台、多数のエンジン部品が残されていたという。

全体として生産力減少の影響は空襲被害よりも疎開による非効率が大きかったと分析されている。

昭和20年8月17日創業停止。
中島飛行機は社名を変更。第十一軍需工廠は解散。

中島飛行機武蔵製作所は「富士産業株式会社武蔵工場」、
中島飛行機浅川工場は「武蔵工場浅川分工場」と名称変更。

戦後は地主への返還や払い下げなどが行われ旧地下壕の一部ではマッシュルーム栽培などに使われたこともあった。

平成9年「浅川地下壕の保存をすすめる会」発足。

平成11年には「イ地区」でダイナマイトなど3トンの火薬が発見。

平成26年、長年私有地であった「ロ地区」(金比羅山)が八王子市の市有地となり市文化財保存に期待が高まっている…

地下壕の掘削には削岩機とダイナマイトを使用。

岩盤にダイナマイトをつめる「穴」を開け、爆破させ掘削をした名残も残っている。

「浅川地下壕」に関しては、(月一回の公開もあり)多くのレポートがあるので詳細は割愛。

壕に入ったときは雨でしたが、壕から出たら晴れておりました。

金比羅山

せっかくなので金比羅山(標高280m)に登ってみよう。
山頂には「浅川金比羅宮」が鎮座。

かつて金比羅山は戦国時代に八王子城主北条氏照が整備した砦を設けた地でありかつての「堅堀跡」などが残っている。

その金比羅山の下には昭和の戦争遺跡として「浅川地下壕・ロ地区」が残っている。

浅川金比羅宮

江戸時代後期に商売繁盛の神社として建立。
戦時中は地下壕建設のために金比羅山が軍により接収されるも、戦後は浅川の鎮守として崇敬を集めている。

浅川金比羅宮
 平和観音像

平和観音の像
浅川地下壕は第二次世界大戦の史跡です
戦争の裏側での犠牲者を偲び世界平和をここに祈念する
平成7年8月15日

金比羅山(浅川地下壕・ロ地区)から地下壕が掘られた山々を望む。
正面に「浅川地下壕・イ地区」
左手は「浅川地下壕・ハ地区(初沢山)」

高尾駅

正面に見える山が金比羅山。
この山の下に浅川地下壕が広がっている。

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