私の片隅散策「広島・中島本町と原爆ドーム編」

平成29年3月

広島・中島本町と原爆ドーム散策
・平和記念公園
・原爆ドーム
・レストハウス
・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・中島本町編)


この世界の片隅に 私の片隅散策

平成29年3月3日夕暮れ。
その象徴的な空間に吸い寄せられるように歩みを進める。

その尊き墓標に真正面から対座する。
極めて神妙な面持ちの中で、 魂が、心が、震え緊張する空間を。

この日は、広島護國神社を参拝し、そして南下。 

平成29年(2017年) 廣島護國神社 3月3日夕刻。この日は広島中心部に宿を取っていた。 宿に向かう途中、広島護國神社に立ち...

広島電鉄八丁堀電停。
八丁堀の交差点に着いたのは17時ごろであった。

福屋百貨店

八丁堀交差点の「 福屋百貨店 」

里帰りしたすずさんが鉛筆を持つ右手を伸ばし構図を作りながら描いた建物ですね。 早速の既視感のある光景に早速興奮してしまう私…。

八丁堀交差点「福屋百貨店」
爆心地から約710メートル

鉄筋コンクリート造地上8階地下2階建て建造物。
原爆の炸裂により被災した建物は、骨組みと外郭を残すだけと。

広島の町に残る被災建造物は、そのひとつひとつが歴史の伝承者であり。

紙屋町交差点

八丁堀の交差点から西に歩めば紙屋町交差点。
広島城の真南であり、今も昔も往来激しい交通の要所。

旧・広島県産業奨励館(原爆ドーム)

昭和20年8月6日。
史上初の原子爆弾はこの建物の直上600mで空中爆発。

実は昔、ここには来たことはあった。
しかし当時はさほどに興味を抱いていなかった。

あれから十数年。
改めてこの場所で、真摯に対座する。

各地の戦争遺跡や慰霊碑をめぐるようになって 各地で手を合わせ、頭を垂れるようになって、そうして一段とこの場所が重くのしかかってきた。

薄っぺらい平和学習では伝わらなかった、凄みが。
まさに墓標であった。
しばし立ち竦み緊張した面持ちで静かに対座する…

歩みを進める。原爆ドームから対岸へ。

右上が旧市民球場(旧・護國神社)。
原爆ドーム隣の橋は相生橋。
T字の相生橋の南は中洲となっている「旧・中島本町」が現在の平和記念公園。
この中島本町こそが原爆で消滅し、「この世界の片隅に」で蘇った街。

広島・平和記念公園

平和の灯
平和の池

「核兵器が地上から姿を消す日まで火を燃やし続けよう」という象徴の灯火。 慰霊碑と原爆ドームの中間に位置する。

原爆死没者慰霊碑

鎮魂

無心で手を合わせる。
政治や思想の色を持たずに雑念を捨てて、 真摯に頭を垂れる。
余計なことはここでは言わない…

広島市平和記念公園レストハウス

元安川にかかる元安橋まで戻る。

この橋の先に見えてくる建物が「広島市平和記念公園レストハウス」
原爆被災の中心となった中島地区でただ一つ残った戦前からの建造物。

「レストハウス」
1929年「大正屋呉服店」として中島本町に開業。
1943年に閉店し「広島県燃料配給統制組合」が使用。
1945年に原爆被爆するも全壊は免れた。

幼少のすずさんがおつかいにきた冒頭の街が被爆前の中島本町。

中島地区。
爆心から100~700m
戦前は市内有数の繁華街。スズラン灯が設置されモダンな街であった。

街の北側の相生橋は市の中心部でT字型であったために原爆投下目標となり、1945年8月6日に被爆し「中島本町」は全滅する。

「大正屋呉服店」(レストハウス)以外にはもちろん往時を物語る何かはない。失われてしまった空間。
あの瞬間から約70年後。
「この世界の片隅に」で、昭和8年12月22日の歳末で賑わうモダンな「中島本町」が蘇ったのだ…

中島本町・中洲の西側。
太田川にかかる本川橋付近。

ここあたりが、幼少のすずさんが江波からおつかいに行く途中に、舟から上陸した場所。
石垣の石段(雁木)は上陸地点の対岸の石段をイメージで撮影。
(かなり滑りやすいので注意!)

中島本町北端。嫁入り後の里帰り。
この場所で、すずさんは「産業奨励館(原爆ドーム)」をスケッチ。

「さようなら広島」

そして昭和21年1月。
草津の森田家にすみちゃんを見舞いに訪れた帰路。同じ場所で破壊された建物を見つめる。

中島の中洲から元安川むこうの対岸に。

産業奨励館(原爆ドーム)
爆心地から約160m 1915年(大正4年)4月完成。
原爆によって建物は大破・全焼。

相生橋

橋名の由来は、2つの橋が「相合う」ことから、と。

初代親柱 1878
二代目親柱 1945再建
三代目親柱 1983 が現在の相生橋。

相生橋。
その特徴的なT字の橋は1940年(昭和15年)に形成されている。
幼年期のすずさんが中島本町におつかいに来たとき、すなわち「ばけものにさらわれて、そして周作さんとはじめて会った」時は、まだT字にはなっておらず。

戦後、相生橋上の二人。

周作さん
「もうあの頃には戻らん。この街もわしらも変わり続けていくんじゃろうが。」
すずさん
「周作さんありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて…」


幼少のあの頃と戦争を乗り越えたその後の光景。

原爆ドーム

再びこの場所に。
18時15分。

徐々に闇へと包まれていく、その墓標を前に。

18時30分。
相生橋の片隅で。

奇妙な心持ちであった。
これは皮肉なものであった。

語弊のある言い方になってしまうが、美しかった。
緊張する美しさがそこにあった。

慰霊の念とともに、 心静かにファインダーを覗きシャッターを切る。

気がつけば19時近く。
立ち去るのが名残惜しい。が、時間は有限であった。

最後に深々と一礼、そうして私は新たな歩みを。

多様な目線と思案とともに貴重な反芻を行いつつ、薄っぺらい平和学習では得られない良き経験ができました。

ありがとうございました。


平成29年3月 広島・江波散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・江波編) この世界の片隅に 私の片隅散策 ...

※呉編は準備中。


「この世界の片隅に」 散策ガイド

現地散策の参考に。
「この世界の片隅に ロケ地マップ」 (広島中島本町・広島江波)

有志作成のgoogleマイプレイス この世界の片隅に_ロケ地MAP

映画「この世界の片隅に」ゆかりの地をマッピングしています。 独自の情報、考察を追加しています。 ●青実線=すず幼少期の海岸線 ●黄色実線=すずが砂糖を買出しに行った「とうせんば」など Filming locations guide to "IN THIS CORNER OF THE WORLD";"Kono seka...